・・日米安保体制の強化で中国の行動への抑止力を高めることは必要でしょう。けれども20年後、さらに50年後はどうか。米国に頼って中国と軍事的に対峙する路線が、どれだけ賞味期限をもつのか。そうしたリアリズムこそ日本に必要なものです。
13億人の中国は、多少の挫折はあっても将来米国と肩を並べ、さらに米国を超える超大国になる可能性が高い。他方、百年国恥の屈辱感の裏返しである現在の中国の攻撃的な路線が永久に続くわけではない。対立するより、諸国と共に中国の過剰な被害者意識をなだめ、卒業してもらう工夫を日本はするべきです・・
・・中国が持たないソフトパワーをいかすことです。日本の学者が主導してアジア国際法学会を日本で開催した際、参加した中国人が必死に運営のノウハウを学ぼうとしたことは象徴的です。製造業やサービス業、医療のシステム、アニメやファッション、さらには秩序だった市民生活のルールなど日本には中国にとって魅力のあるソフトがあります。それで中国の懐に入り込み、ウインウインの関係をつくり出すべきです・・
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統計数字の錯覚、都道府県別有効求人倍率
日経新聞4月21日の「地方の雇用、本当は元気。求人倍率、働く場所で集計すると都市部は減少」が、興味深かったです。都道府県ごとの有効求人倍率ですが、その算定方法を探ると、公表数値と違う結果が出てくるのです。
・・厚生労働省が公表するのは、本社所在地ごとの有効求人倍率。東京都に本社があるスーパーが青森県内の店の求人を出すと、原則として東京都の求人として計算するため都市部が上昇しやすい。これを就業地別に青森県の求人として数え直すと、地域雇用の実態がみえやすくなる。
2013年の実績を本社地別でみると東京都が1.33倍で首位。就業地別で計算すると1.00倍と大きく下がり、15位にまで転落する・・
そうだったのですか。これでは、都道府県別の数字をそのまま鵜呑みにするわけにはいきません。
松尾洋平記者、良い記事を書いていますねえ。彼は、2010年10月4日にもこのホームページに登場しています。
愛国心、いびつな言説はメディアにも責任
朝日新聞オピニオン欄4月16日は、大沼保昭教授の「日本の愛国心。『誇り』か『反省』か、極論を見せ続けたメディアにも責任」でした。
「最近、日本人の愛国心が変だと心配されていますね」との問に。
・・「愛国」や「日本人の誇り」を主張する人が、日本の起こした過去の戦争を反省する姿勢を「自虐」と切って捨てる姿勢が強まっています。戦争を真剣に反省して努力を重ねたからこそ、世界に誇り得る戦後日本の見事な復興と達成がある。そこが十分理解されていないのではないでしょうか・・
・・他方、現在のいびつな状況をつくり出した大きな責任は、「愛国」「誇り」の論者と過去を「反省」する論者を対立させるという「激論」の図式で人々の思考に影響を与え続けてきた日本のメディアにあるのではないか。戦後日本は過去を反省し、世界の国々から高く評価される豊かで平和で安全な社会をつくり上げた。それを私たちの誇りとして描き出さず、戦前・戦中の日本に焦点を当てて、愛国か反省かの二者択一の極論を見せ続けた。その結果、いびつな愛国心が市民に広がったのではないでしょうか・・
・・私はずっと、戦後日本は過去の植民地支配と侵略戦争を反省して平和憲法を守り続けてきたことを世界にもっともっと発信した上で、欧米に対して「あなたたちはどうだったのですか?」と問題提起をするべきだと主張してきました・・
日本型人事管理と、西欧型人事管理
厚生労働省が、4月1日に「雇用指針」を公表しました。簡単には「概要」をご覧ください。これは、日本型人事管理・雇用慣行と、外国(西欧型)の人事管理・雇用慣行の違いを埋めようとするものだと、理解しています。
そこに「内部労働市場型」と「外部労働市場型」と表現されています。概要の説明では、次の通りです。
内部労働市場型=①新規学校卒業者の定期採用、職務や勤務地の限定無し、長期間の勤続、仕事の習熟度や経験年数等を考慮した人事・賃金制度の下での昇格・昇給、②幅広い配転や出向、③就業規則による統一的な労働条件の設定、④景気後退に際し、所定外労働の削減、新規採用の縮減、休業、出向等による雇用調整。雇用終了の場合は、整理解雇の前に早期退職希望者の募集等を実施。
外部労働市場型=①空きポスト発生時に社内公募又は中途採用を実施、長期間の勤続を前提としない、職務給の実施、②職務が明確、人事異動の範囲が狭い、③労働者個人毎に労働契約書で労働条件を詳細に設定、④特定のポストのために雇用される労働者について、ポストが喪失した際には、金銭的な補償や再就職支援を行った上で解雇を実施。
アメリカ型組織・人事と日本型組織・人事については、清家篤先生の本を紹介して、書いたことがあります(2013年12月25日、26日の記事)。
大学、社会との関わり方の変遷、2
ところで、自然科学系(理系)では、このように語られる社会との関係ですが、社会科学系(文系)では、どうだったのでしょうか。
まず、政治学、経済学、社会学などで、日本を研究対象にすることで、「輸入業」からの脱皮を進めました。もっとも、西欧の理論や思想を紹介する「輸入業」は、なお続いています。それが一方通行(入超)なら、昔と変わりません。双方向(日本の議論も、国際的な場で一緒に議論する)なら、「国際化」と評価できるでしょう。毎年、外国の専門書がたくさん日本語に翻訳されますが、日本の研究成果はどの程度、外国で知られているのでしょうか。
また、日本の研究者は、国際的な学界でどのような評価を得ているのでしょうか。それとも、そもそも社会科学の世界では、各国で閉じていて、国際的な学界は少ないのでしょうか。
もう一つ、社会との関わりについてです。
先に紹介した文章で、馬場教授は、科学者を社会との関わり方によって次の3つに分類しておられます。
・自然現象を科学的に追求し研究成果を活用することにあまり興味がない「ニールス・ボーア型」
・発明した技術が社会でどう役に立つかに情熱を傾ける「エジソン型」
・その両方を行い、真理を追究しながら社会貢献にも積極的に関与する「パスツール型」
自然科学においてこのような分類があるように、社会科学にあっても、このような分類は意味があると思いました。現在日本が抱えている課題に直接取り組む研究やそれに役立つ研究「実践型研究」と、過去や外国を対象とする「純粋型研究」とに分類するのでしょうか。現在の日本社会を対象としていても、単なる分析にとどまっては、実践型研究にはなりません。
社会との関わり方の一つの事例が、政府や行政との関わり方だと思います。政策にどのように参画するか、提言や審議会委員として発言することも、社会貢献の一例です。
さて、社会科学においては、マックス・ウェーバー(ヴェーバー)が唱えた「価値判断から独立した研究」が、一時もてはやされました。しかし、それでは、社会科学は現実社会の役に立たないのではないでしょうか。
また、これとも関係がありますが、社会科学の多くは、過去の分析に力を用い、未来を語りません。かつて、東京大学出版会のPR誌「UP」2005年6月号で、原島博教授が「理系の人間から見ると、文系の先生は過去の分析が主で、過去から現在を見て、現在で止まっているように見える。未来のことはあまり語らない。一方、工学は、現在の部分は産業界がやっているで、工学部はいつも5年先、10年先の未来を考えていないと成り立たない」といった趣旨を話しておられたことを紹介しました。