カテゴリーアーカイブ:社会の見方

ネクタイはなくなるか

2025年6月27日   岡本全勝

6月15日の読売新聞に、松原知基・経済部次長の「受難のネクタイ 外す夏に思う事」が載っていました。私にとってネクタイは、気合いを入れる「小道具」です。

・・・91年には国内生産・輸入量の合計が約5645万本と過去最高を記録した。
変調を来したのはその後だ。IT企業を中心に軽装の会社員が増える。痛撃となったのがちょうど20年前、小泉純一郎内閣の旗振りで始まった「クールビズ」である。夏に社会を挙げてネクタイを外すようになった。
2024年の1世帯あたりの購入額は20年前の3割弱にまで急減した。東京ネクタイ協同組合によると、22年の国内生産・輸入量の合計も約1107万本と4分の1になった。05年に45社程度だった組合加盟社は半減したという。
この間、各社はそれまでにないカジュアルなデザインを施したり、ワンタッチの着脱式ネクタイを開発したりと工夫を凝らした。だが、冷房の温度を下げすぎないことによって電力消費を抑え、温室効果ガスの排出量を減らすという環境保護キャンペーンにあらがうことは難しかった。

きょう15日は6月第3日曜、すなわち「父の日」。かつてお父さんに贈るプレゼントの定番の一つがネクタイだった。総務省の家計調査によると、20年以上前、1年のうち1世帯あたりの購入本数が最も多いのは6月だった。
だがクールビズが始まると、新年度を控えた3月の方が多くなった。6月にネクタイを締めるお父さんが減った影響だろう。もとは妻や恋人が無事を祈る気持ちを込めた布が、父の日に贈られることが少なくなったとは、ちょっと寂しい。
和田さんはネクタイの意義をこう語る。「ネクタイは『着ける』ではなく、『締める』と言いますよね。ハチマキを締める、ふんどしを締めると言うのと同じ。気持ちを引き締めたり、気合を入れたりするものなんです」・・・

田んぼ、50年前の7割に

2025年6月26日   岡本全勝

6月13日の朝日新聞に「減る田んぼ、50年前の7割」が載っていました。

・・・私たちが日々口にするご飯。店頭での不足、価格高騰から備蓄米放出へと、めまぐるしく動いていますが、いま、稲を栽培する水田はどこにどれだけあり、誰が耕しているのでしょうか。各種のデータから、日本のコメ生産の現在地をみてみました。
農林水産省の統計によると、2024年の水稲の作付面積は、全国で151万ヘクタール。国土面積のおよそ4%にあたる。これには加工用米や飼料用米などが栽培された面積も含まれており、ご飯として食べる主食用米の面積は126万ヘクタールだった。
この126万ヘクタールの田から、679万トンが収穫された。10アールあたりの平均収量は540キロ(玄米)だった・・・

・・・宇都宮大農学部の小川真如(まさゆき)・助教(農業経済学)によると、田の面積がピークを記録した1969年から2020年までの約50年間で、ご飯用のコメ作りをする田は180万ヘクタール減った。このうち97万ヘクタールが、宅地になったり荒廃したりと、田ではなくなった。
田はピーク時の面積の7割に減り、残っている田のうちでもコメを作っているのは6割弱となっている・・・

欧米、解雇の実態

2025年6月24日   岡本全勝

6月13日の日経新聞オピニオン欄、「過酷な解雇通告 突然のメールや電話が今や6割」に、欧米の解雇の実態が書かれていました。

・・・ある朝、目が覚めて、仕事でフランスに電話をかける前にベッドに寝そべりながら前夜のメールを確認していて、自社の最高経営責任者(CEO)からメッセージが届いていることに気づいた自分を想像してみてほしい。
そのメッセージには、多くの従業員が解雇されると記されていた。次のメールはもっと衝撃的だった。自分もその一人だと書かれていたのだ。

ベッドから起き上がり、心臓の鼓動が速くなる中、パソコンに飛びつき、会社のネットワークにログインしようとする。しかし、もはや自分のパスワードでは拒否されてしまう。フランスに電話する時間になったが、相手の名前や電話番号を思い出せない。それらはすべて、アクセスできなくなったメールに書かれていた。

幸いにも懇意にしているマネジャーの電話番号が自分の携帯電話に登録してあったので、テキストメッセージを送ってみた。だが返ってきたメッセージは、彼も解雇されたというものだった。彼はオフィスに入ろうとしたところ、IDカードが反応しなかったという。
やがてベッドから起き上がり、今後歩むことになるみじめな数週間について考えざるを得なくなる。

ビベェク・グラティさんにとって、こうした出来事は想像する必要がない。なぜなら、それはまさに彼自身にほぼ実際に起きたことだからだ。彼は、米テック各社が相次いで人員削減に踏み切った2023年初めにグーグルから解雇された1万2000人の従業員の一人だった。
47歳のソフトウエアエンジニアであるグラティさんは23年3月、ハーバード・ビジネス・レビューに、メールで解雇を告げられてショックを受けた体験談を記した。
米国ではこのほど、4月の人員削減数が20万人近く急増したとの新たなデータが発表された(編集注、人員削減数は3月は約160万人だったが、4月約180万人に増えた)・・・

・・・同調査では過去2年間に解雇された米国の労働者のうち、メールや電話で解雇通告を受けた人は57%に達した。それに対し、対面で解雇を告げられたのはわずか30%だった。
残りはビデオを通じた面談や職場の噂でそれを知ったという。なお、会社のメールやスラックなどのコミュニケーションツールにログインできなくなったことで解雇されたことを知ったという不幸な体験をした人も2%いた・・・

氷河期世代の現状

2025年6月23日   岡本全勝

6月3日の日経新聞経済教室「氷河期世代はいま」、玄田有史・東大教授の「雇用は改善 賃金なお低く」から。

・・・日本企業は長年にわたり職場内部での時間をかけた入念な人材育成を重視してきた。併せて学校と連携し、潜在成長力のある新卒採用を重視する雇用慣行を作りあげた。企業の優れた人材育成力は、高度経済成長期以降の日本の国際競争力の源泉となり、新卒採用の正社員(主に男性)には安定した長期雇用と年功賃金の恩恵がもたらされた。
半面その慣行は、学校卒業直後に正社員として採用されなかった若者にとって企業内での育成と成長、ひいては長期雇用や年功賃金のチャンスを失うことを意味する。1990年代半ばから2000年代前半の深刻な不況期に学校を卒業し就職難を経験した就職氷河期世代とは、日本的雇用システムから多くの若者が排除された世代だった。

卒業後に非正規雇用で生活する「フリーター」や、就職をあきらめて社会から距離を置く「ニート」「ひきこもり」は、就職氷河期世代の若者を象徴する一般用語となった。
2010年代後半以降、就職氷河期世代の多くが40歳代にさしかかり、親世代も引退して無職の70歳代になる。世帯が孤立して共倒れ状態に陥る「7040問題」も懸念された。そこで安倍晋三内閣は20年度から3年間、就職氷河期世代支援プログラムの実施を決定する。政府は30万人の正社員数の純増を目標に、大規模な施策を展開した。
支援プログラムは、新型コロナウイルス感染拡大の影響もあって2年延長され24年度まで実施された。5年間の取り組みを通じ、就職氷河期世代のうち不本意ながら非正規として働く人々は11万人減少し、正規雇用と役員はあわせて31万人増加した。人手不足の追い風も受け、氷河期世代の支援策は一定の成果をあげてきたといえる。

雇用者に占める正社員の割合や、人口に占める就業者の割合にも、若年期に比べて中年期になると変化がみられる。40歳代の正社員率や就業率は、氷河期世代では前の世代と比べても男性でほぼ匹敵する水準になり、女性ではむしろ上回る状態が確認できる(総務省統計局「労働力調査」)。
氷河期世代にフリーターやニートが高い割合で含まれるという言説は、若年期には確かにあてはまっていたが、中年期になるともはや事実とかけ離れている。
次第に雇用状況が改善したのは、何より氷河期世代の個々人の努力があった。2000年代から本格化した政府の若年雇用対策も一定の貢献を果たした。仕事と子育ての両立支援策は、女性の就業継続を後押しした。就職支援ビジネスの拡大など、正社員向けの転職市場が急速に整備されてきたことも大きかった。
今や雇用の安定度からすれば、就職氷河期世代は特別な弱者とはいえない状況にある。しかし就職氷河期世代と直後の世代にとって雇用安定とは別に、低賃金という深刻な問題が依然として影を落としている・・・

6月4日の、堀有喜衣・労働政策研究・研修機構統括研究員の「氷河期世代のキャリア、不安定な「ヨーヨー型」多く」も合わせて読んでください。

襲われた?遣唐使船

2025年6月22日   岡本全勝

肝冷斎日誌、6月15日は「夜尽殺之(「牛氏紀聞」)」でした。

・・・唐の時代のことでございます。
「日本国使至海州、凡五百人、載国信、有十船、珍貨直数百万」
(日本国からの使者が江蘇の海州に到達した。一行はおよそ五百人、国家の公式の手紙を載せており、十隻の船団であった。持ってきた珍奇は貨物は、数百万金に当たると思われた)

時の海州知事は湖北・江夏の李邕(り・よう)、文人としても名高い人でした。李邕はその貨物を確認すると、日本国使を宿舎に収容してその出入りを監視した上で、
「夜中、尽取所載而沈其船」
(夜中に、すべての貨物を盗んだ上で、使者が乗ってきた船をすべて沈めてしまった)

そうして、
「既明、諷所管人白云、昨夜海潮大至、日本国船尽漂失、不知所在。於是以其事奏之」
(朝になってから、港を掌る役人を教唆して「昨晩、高潮が起こりまして、だと思いますが、日本国の船はすべてどこかに流れ去り、発見できておりません」と報告させた。そうしておいて、「そういう報告がありました」と中央官庁に報告したのである)・・・

ひどい話です。でも、肝冷斎に確認したところ、次のように教えてくれました。
・・・この話は、おそらくガセです。天宝年間の日本からの派遣は一回(もう一回計画がありますがこれは日本国内で中止)、752年のは有名な藤原清河大使で、玄宗皇帝の前で新羅使と席次を争ったときです。帰りは清河・安倍仲麻呂の船は安南漂着、二番船が鑑真乗り組みで薩摩坊津、そのほか紀州に行ったり対馬に行ったりしてます。いずれにしろこのころの遣唐船は四隻なので、十隻は無いです・・・
でも、このような話が書かれるのは、何か「事案」があったと思うのですが。