カテゴリーアーカイブ:社会の見方

「レジャーランド大学」

2018年8月6日   岡本全勝

読売新聞月曜日の文化欄に、竹内洋・関西大学東京センター長が「大学の大衆化」を連載しておられます。7月30日は、1960年代以降の大学生の急増と、大学紛争後のシラケ世代についてでした。そして、1980年代に「レジャーランド大学」と呼ばれるようになったことが指摘されています。
・・・レジャーランド大学が可能だったのは、好景気が続き、就職に困らない時代だったからである。再び教授本位と経営本位大学が生き延びた。しかし、ここまでくると教授本位は研究も教育も手抜きが許される大衆大学教授天国に、経営本位は「マスプロ」(大量生産)といわれるようなST比(教員1人当たりの学生数)の高い利益至上主義の極みになる。大衆化に向き合わないだけではない。大学の教育そのものが空洞化し、研究業績の生産も停滞する。
海外からは日本の初等・中等教育は範とすべきものだが、日本の高等教育はジョークだとまでいわれるようになる・・・

7月31日の日経新聞夕刊、海老原嗣生さんの「就活のリアル」は、「日本の大学 どう変えるか」でした。
・・・日本の大学、それも文系の場合、その多くは名前こそ異なれど、法律・経済・経営・文学部からなる・・・会社に入れば仕事は、総務・人事・経理・宣伝・マーケティング、営業などとなる。これらの仕事で法律や政治、マクロ経済や文学がそのまま生かせるはずはない。だから、大学と社会は乖離していく。大学生が勉強しない一因もそこにあるだろう。これを変革するために、ドイツとフランスの、大学進学の資格審査を厳しくする一方で社会が求める人材をしっかり送り出す事例を、うまく接ぎ木した絵を示してみたい。

日本で数年前に議論されたグローバル人材を育てるG型大学と地域密着のローカル人材を育てるL型大学は、大学を学校ごとにG型・L型と分けてしまう方法だ。それは非常に厳しいだろう。私は、大学自体は今のまま学部構成も変えずに、大学2年からA課程(アカデミズム)とB課程(ビジネス)に分けることを提唱したい。
A課程は今までのカリキュラムとほぼ同じで、そこには将来、研究・公務・教育・士業などを目指す人が行く。専門教育が実務にかなり結びつくだろう。
一方、民間就職を考える人たちはB課程に進む。こちらはドイツの職業大学(専門大学)を範として、2年次には人事・総務・経理・営業・マーケティングなど実務を徹底的に教える。さらにB課程では3年次に上位1割程度を選抜してエリート教育をするようにする・・・
続きは原文をお読みください。

社会は変わる。おもてなしと営業

2018年8月4日   岡本全勝

8月1日の朝日新聞オピニオン欄、小田真弓・加賀屋女将の「時代で変わるおもてなし」から。
・・・旅館の椅子に座って、ご夫婦の一人は海と雲をずっと眺め、もう一人はかたわらでゆっくり本を読んでいる。
そういう時間の過ごし方をするお客様が増えてきたように感じます。バブル期のころまでは、旅館といえば、大勢でいらしてお酒を飲んで騒ぐというイメージも強かったのですが・・・
・・・おもてなしの中身は、時代の変化に応じて変わっています。私が先代に学び始めた約50年前は「10回はお茶を差し上げなさい」と教わりました。近年は「ゆっくりしたい」というお客様が増えてきたので、お部屋への出入りは以前より減らしています。宴会場でも以前は女将が全員にお酌して回りましたが、「自分のペースで飲みたい」と希望する方が増えました・・・

8月2日の日経新聞夕刊、永井浩二・野村ホールディングスグループCEOの「私のリーダー論」から。
・・・「もう昔の成功体験は通用しません。分かりやすい例でいえば、かつてはお客さまに日中に会えなかったら、出勤前の朝や帰宅後の夜に自宅に伺って話を聞いてもらいました。いま朝行けば『忙しい時間に来るな』と文句がきますし、夜行けばパトカーを呼ばれます。昔は『熱心によくやっているな』と評価してくれて、株式や投資信託などの金融商品を買ってくれましたが、いまは価値観そのものが変わりました」
「時代の変化を示す例がもう一つあります。かつては新人が初めてお会いしたお客さまには、必ず墨を使って自筆でお礼状を書きました。ところが、いまはそんなことをやったら『気持ちが悪いからやめてくれ』と言われます。30年たてば営業のやり方も変えなければいけません」・・・

社会はブラウン運動2 個人の動きもバラバラ

2018年8月2日   岡本全勝

「社会はブラウン運動」の続きです。前回はその前段として、生物の進化や人類の進化が、ある一定の法則が働いたのではなく、偶然の積み重ねだと説明しました。

社会を考える際も、統率の取れた集団がある方向に、そして全員が同じ方向に進むのではなく、各人の勝手な動きの結果が社会の変化だと考えるべきです。
社会は、個人のブラウン運動の集合と考えた方が、実態に合っています。誰か指導者がいてその人の指示の下に進む、あるいは多くの人が一定の目標を持って、社会を動かしていく。社会はそのようなものではなさそうです。

各個人は、考えも趣味も価値観もばらばらです。そして、その趣味や嗜好にそって行動します。例えば、体を動かすことが好きな人、スポーツは観戦する方が好きな人。音楽が好きな人にも、クラッシックが好きな人とジャズが好きな人など・・・。

では、そのばらばらな動きをする個体が、どのようにして一定方向に動くのか。動かすことができるのか。
動物には、走光性があります。ミドリムシや蛾が、光の方に向かって進みます。進化の過程で、そのような能力が身についたのでしょう。
人に当てはめると、ばらばらな人の群れが、何かのきっかけで、ある方向に向かって同じような行動をします。雨が降ってきたら、一斉に軒下に入るとか。

そのような「本能」でなく、人間には、意識して人を動かすことができます。
「政治」は、他者をこちらの思いに従って動かすことです。その際には、力ずく(強制)、計算(お金の力)、魅力(信仰や文化)によって、動かそうとします。しかし、「命も金も要らない」という人には、強制や金は効果がありません。
この項続く

サイバー攻撃を予防するサービス

2018年7月26日   岡本全勝

サイバー攻撃・サイバー犯罪が問題になっています。情報を盗まれたり、お金を盗られたりします。個人や会社のパソコンが乗っ取られて、パソコンが使えなくなったり、知らないうちに悪事に加担させられたりとかも。
一般人にとって、パソコンやインターネット自体が「便利だけど、仕組みはよくわからない装置」です。世界中と簡単につながる便利さが、危険を伴います。
新しい社会のリスクの一つです。とはいえ、パソコンやスマートフォンなしの生活は、ほぼ考えられません。

では、どのようにしてリスクを防ぎ、損害を減らすか。利用者の教育、プロバイダーなどによる規制と制限、犯罪者の摘発などが考えられます。
しかし、パソコンとインターネットの普及が近年のことであり、また急速に技術が進歩することから、対策は容易ではありません。
私自身が、サイバー攻撃というものを知ったのは、近年のことです。職場で、危険性と対応の研修を毎年受けることで、勉強しています。でも、このような職場は少ないでしょう。学校教育では、どれだけ組み込まれているのでしょうか。

企業が抱えるリスクを予防する、サービスを教えてもらいました。
損保会社が提供する、「サイバーインテリジェンス情報分析サービス」です。
攻撃の兆候がないか、データ漏えいが発生していないか、フィッシングが起きていないか、偽情報でブランドを棄損されていないかなどを、調べてくれるそうです。
犯罪にあってからでは遅い(被害救済はむつかしい。警察に届け出ても対応はむつかしい)ですから、このような予防が効果を持ちます。
これも、企業の(本業による)社会貢献です。

その説明についてる図が、勉強になりました。インターネット空間には、3層のものがあるのですね。
1 グーグルなどで検索可能な「公開空間」。Clear Web。
2 検索はできず、パスワードがないとみることができない「関係者限りの空間」。Deep Web。
3 匿名性が保たれる「見えない空間」。Dark web。ここが犯罪に利用されます。

社会はブラウン運動1 人類の進化は偶然の積み重ね

2018年7月25日   岡本全勝

歴史を見る時、「単線的思考では視野が狭い」という議論を続けてきました。その続きです。しばらく、放ってありました。この分野「ものの見方」は不定期連載です。

今回は、歴史はある法則に従って進んでいるのではなく、ジグザクに動くという話です。その基礎には、人の動きはブラウン運動的であることがあります。
ブラウン運動は、微粒子が不規則に動き回ります。人の動きは、このブラウン運動に似ています。各自の考えや好き嫌いで、各々が思う方向に動きます。もっともブラウン運動は、微粒子は自分の考えて動いているのではなく、液体の方が動いていて、その上に浮かんでいる微粒子が動いているのが観察されるのですが。
この反対は、指導者の指示を受け入れて、各個体が一定の方向に動きます。あるいは、歴史の法則に沿って、社会が発展します。しかし、実際はそうではないのです。

この考えを説明する前に、人類の進化について触れます。
人類の進化の解説書を読んでいると、人類も神様が作ってくださったのでもなく、一定の法則や道筋で進化したものでもないようです。
アフリカの森に暮らしていたサルの一種族が、森を追い出されました。暮らしやすい森を追い出されたのは、弱かったからでしょう。競争相手に負けたのです。
弱い動物ですから、肉食獣に食べられたものも、たくさんいました。その過程でたくさん死んでいます。死に絶えた種もあります。
彼らが、生きていくために、いろんなことに挑戦しました。二本足になったり、手を使ったり。家族で協力したりと。幸運に、生き残ったのが私たち人類です。

人類に限らず、生物の進化は、偶然の積み重ねです。進化は、ある目的を持って進んではいません。突然変異が繰り返され、その中で生き延びたものが、生き残っていく。さらに変化が繰り返され、うまく適合したものが生き延びます。
法則があるとするなら、これが法則でしょう。

脱線すると、人類は強いが故に生物の頂点に立ったのではなく、弱いが故に強くなったようです。道具を使うようになり、智恵を使うようになってです。人類もまた、偶然の中からできたのです。森の中で苦労せず、おいしい木の実を食べていた強いサルたちは、そこから進化はしませんでした。しなくても、暮らしていけたのです。
その後の社会の発展も、同じです。故郷を追われた(弱い)人たちが、新天地で新しい生活を始めます。例えば、イングランドを出て、アメリカ大陸でニューイングランドをつくった人たちです。もちろん、全員がうまくいったわけではなく、冬を越せなかった人たち、失敗した人たちも多かったのですが。
この項続く