カテゴリーアーカイブ:ものの見方

近代経済学を越えて

2026年5月4日   岡本全勝

私は大学で経済学や財政学を学び、その切れ味に目を開かされました。教科書はサミュエルソンなどでした。財政学は貝塚啓明先生でした。わかりやすかったです。価格が需要曲線と供給曲線の交わるところに落ち着くこと。国民経済計算の三面等価など。
地方財政を職業にしてからは、神野直彦先生に教えを請いました。財政の地方分権、三位一体の改革で、国税から地方税への税源移譲も、神野先生の理論的支えによって実現しました。

ところがその後、いささか不満を持つようになりました。
1つめは、経済学の教科書に載っている分析は、極端な単純化をしています。人はすべて合理的に判断行動し、商品はリンゴとミカンの2つだとか。すべての情報を手に入れて、瞬時に判断するとか。世の中、そんな単純ではありませんよね。「二つの脳、直感と熟慮
2つめは、数式が多用されますが、その割には現実を分析しているとは思えないことです。専門家同士はそれで良いのかもしれませんが、多くの国民は「そんな難しい数式を使わなくても、もっとわかりやすい言葉で説明してくれよ」と思います。
3つめは、数式や分析が精緻化しているのに、現実の経済問題を解決している、あるいは経済問題に取り組んでいるとは思えないことです。日本では、30年間にわたって経済停滞が続きました。格差や子どもの貧困も大きな問題です。それらに取り組まずに精緻化しても、有用とは思えないのです。
4つめは、私が大学で経済学を学んで以降、目を見張るような革新や進歩があったようには見えないのです。

天気予報などは、観測技術とコンピュータによる計算が進んで、精度が向上したようです。このような数式の利用は納得できるます。
門外漢の感想です。経済学者からは反論が、そして「政治学や行政学も同じ、いやもっと有効ではないではないか」との批判が来そうです。

有限な資源としての時間

2026年2月9日   岡本全勝

日本人がつくった社会通念・時間厳守2」の続きになります。織田一朗著「日本人はいつからせっかちになったか」の第Ⅵ章は「資源としての時間が見直されてきた時代」です。

・・・「時間に使われる」のではなく、「自分の時間を〈自分で決めて〉使う」ことが大切なのだ。つまり、本当の豊かさは自分の生活、人生の中で「自分で自由になる時間がどれほどあるか」だとする。確かに幸福とはモノの豊かさで充足されることではなく、精神的な充足感である。
「モノが足りなかった時代」にはモノを手に入れるための金が大切だったが、モノが余ってきた現代に、人生の価値の基準を「金持ち」であることから「時持ち」へと進化させたのだ・・・(p181)とあります。

192ページ以降には、情報化社会になって情報量が加速度的に増えたこと、単位時間当たりに接する情報量の多さ、その摂取と処理・利用にますます時間が取られることを指摘しています。
しかし、過剰な情報は流れていても、処理と利用はされない「無駄なモノ」でしかありません。それに振り回されていると、有限な時間を浪費する「有害物質」でしょう。
この本が書かれたのは、1997年。まだスマートフォンは、世に出ていません。注意と時間泥棒であるスマホによって、さらに自由時間はなくなっているようです。

ところで、162ページに、マーキングペンの生産額が昭和63年(1988年)に急増したことが書かれています。それ以前の7年間は800億円前後で横ばいだったのが、一気に10倍以上の約9000億円に達したのです。「人々が大量の情報を処理するためにマーキングペンを活用し始めたものと推定される」と分析しています。
へえ・・・。印刷機で印刷した資料に、色で線を引いたのでしょうか。その後、印刷せずに画面で見ることが多くなると、マーキングペンは売れなくなったのでしょうか。

冷めた風呂現象?

2026年1月21日   岡本全勝

ゆでガエル現象」ということは、聞かれたことがあるでしょう。
カエルを水に入れてゆっくりと温度を上げると、カエルは気がつかずに、そのまま茹でられて死ぬという話です。実際は、逃げ出すでしょうが。緩やかな変化は気づかずに、致命的な状況に陥るという警告に使われます。

この30年間の日本経済の停滞は、これに当てはまりますが、温度が下がるので逆だと思います。徐々に経済力が落ちて、国際的には先進国と言えない状況にまでなりました。国内では給与は上がらず、非正規が増え、貧しい国になりました。しかし、徐々に変化した、というか変化しないうちに世界は成長していたので、危機感を持ちませんでした。

この状況は水温が上がったのではなく、暖かいと思って浸かっていたお風呂が、徐々に冷めて冷水になったと言った方がよいでしょう。どこかで風呂から出なければならなかった、そして追い焚きをしなければならなかったのですが、外も寒いので「もうしばらく浸かっていよう」と考えたのです。「冷めた風呂」とでも呼びましょうか。
「ゆでガエル」という表現に対比するなら、どんどん冷たくなって、ついには凍ってしまう「冷凍ガエル」でしょうか。

と書いたら、肝冷斎が、「まあまだいいか」という言葉を使っていました。
そうですね。気づかないうちに危機になる場合と、気づいていても対策を先送りする場合とがあります。もう一つ、間違った対策を打ち続ける場合もあります。この30年間の日本は、二番目と三番目だったようです。

内包と外延、行政と行政学について

2026年1月14日   岡本全勝

連載「公共を創る」第244回で、これからの地方自治体の在り方を考える際には、役所そのものを対象としているだけでは不十分で、地域の状態とその中での役所の役割を対象としなければならないと主張しました。その違いを「内包と外延」と表現しました。この言葉は数学や哲学で使われるですが、私は「内容を深掘りすること」と「周囲を見渡して置かれた立場を考えること」として使っています。これについては、「内包と外延、ものの分析」「その2」として書いたことがあります。今回は、行政を見る際に使ったのです。

役所の仕事を効率化することは、内容を深掘りすることです。それはそれで重要ですが、効率化の末に住民の期待に応えていないのなら、それは目的をはき違えています。置かれた立場、役所の役割を考慮しなければなりません。
公務員も学者も、その点を十分認識していなかったのではないでしょうか。行政学で行政機構を詳しく分析することは必要ですが、役所に何が求められているのか、外部の要素と主体(政治、社会、住民、民間組織など)との関係や、対応しなければならない課題を抜きに行政機構を分析しているだけでは、住民の期待に応えられません。教科書では、個別分野の政策を扱うものもありますが、このような視点ではまだ十分とは思えないのです。それは、政治学にも言えることです。

なぜ、今になってそれが問題になるのかは、第243回で述べました。地域社会が大きく変化し、役所に求められることが変わったからです。
日本が発展していた時期には、役所は増大する人口と生活水準の向上にあわせて、行政サービスを提供し、その質量の拡大をしていれば、住民の期待に応えることができました。ところが高齢化と人口減少が進むと、雇用の場がなくなり、各種のサービスが提供されなくなって、暮らしにくい地域が出てきたのです。そこでは、市町村役場が良い行政サービスを提供しているつもりでも、人びとは便利に暮らしていくことができません。ここに、外延を考える必要性が出てくるのです。

「外延を考える」といっても、外部の環境や外部主体との関係を分析するだけではありません。行政や政治が、何と「戦う」のかです。行政も政治も、社会の問題を解決し、住みやすい国や地域を作ることが役割です。その視点がない学問や分析は物足りないのです。「実用の学と説明の学」「文系の発想、理系の発想

大学で行政学を学んで以来、実務の場で行政学を考えてきました。若いときは、従事した地方交付税と地方財政を通じて、日本の行政を分析していました。本も書きました。しかしある段階で、これ以上深掘りしても、効果・意義は少ないのではないかと悩んでいました。その回答が、これです。

大所高所から

2025年11月18日   岡本全勝

報道機関から、取材を受けたり意見を求められたりすることがあります。ときには、私の専門外のことや最近の動きに詳しくないこともあります。
「それは、私の専門外や」とお断りするのですが、「いえ、専門的な話は担当者から聞くので、大所高所からの意見が欲しいんです」と言われます。

なるほど。我が身を振り返っても、担当している仕事については詳しくなるのですが、それを外の人が見たらどう見えるかを忘れるときがあります。外部の視点の方が、問題点などを見つけることもあります。岡目八目とも言います。
「明るい公務員講座」では、目の前のことに集中せず、もっと広い視野で考えましょうということを、蟻の目と鷹の目と表現しました。あるいは、岡本全勝Aの後ろに、岡本全勝Bを置いて考えましょうとも。『明るい公務員講座』の表紙の帯は、それを絵にしてもらいました。

もっとも、広い視野とか大所高所からといっても、そう簡単に全体を読むことができるわけではありません。その分野にある程度精通していなければなりませんし、それを少し離れた場所から見るという能力も必要です。どうしたら、それを身につけることができるか。
そのためには、さまざまな分野をそれなりに知っている必要があります。いろんな経験を積むことと、本を読むこと、新聞を読むこと、様々な人の意見を聞くこと、そして物事を客観的に見る訓練をすることが必要なのでしょうね。

私が「違った視点から見る」ために心がけているのは、次の2つです。
1 時間軸。過去や未来と比べてみる
2 横軸。違った立場、諸外国から見てみる