カテゴリーアーカイブ:社会の見方

仲間うちの投稿

2018年9月9日   岡本全勝

9月5日の朝日新聞連載「平成とは」「仲間うちの投稿欄、部数増」から。
・・・大島さんは近くに本社がある産経新聞社が発行する保守系の論壇誌「正論」の元編集長だ。新聞の記者などを経て編集長に就任したのは1990(平成2)年。冷戦が終わって米ソ対立という大テーマが後退。苦戦を強いられたオピニオン誌をどう活性化させるか大島さんは真剣に考えていた・・・
・・・まず目をつけたのが、雑誌の最後にあった1ページの読者投稿欄だ。届いた投書を読んでいると「読者の書くものが面白いことに気づいた。その知恵をもっと拝借しようと思った」。
「読者の指定席」と名づけて投稿欄を6ページに増やしたのを皮切りに、93年には投稿に編集者が一言感想を添える欄「編集者へ 編集者から」を新設。2000年には読者の疑問に編集者や他の読者が答える「ハイ、せいろん調査室です」も追加した。「自国の歴史と先祖に誇りを持って生きるのはすばらしいことですね」「国旗を購入したいがどこにも売っていない。日の丸は簡単に手に入りません」……。次々と舞い込む封書やはがきを紙袋いっぱいに詰め込み、自宅に持ち帰って目を通した・・・
興味深い発言もあります。
・・・異論にも耳を傾けようと「朝日新聞的な意見」を載せたこともあったが、読者は「それは、他で読めばいい」と反発した・・・

・・・最近では敵を探そうとする流れも強固になっている、とメディアコンサルタントの境治さんはいう。データ会社を通じ、在京キー局の情報番組などを調べたところ、森友学園問題や日大アメフト部のタックル問題など一つの話題を集中的に伝える傾向が、ここ数年で強まっているのを確認したという。
「『悪役』が誰かわかりやすい話題が好まれる。常にたたける相手を探し、徹底的に打ちのめす傾向が社会的に強まっているのではないか」
水島久光・東海大教授(メディア論)は、平成は人々が「味方集め」に奔走した30年だったとみる。「SNSの『いいね!』もそうだが、誰かからの評価を求めてさまよう人々であふれ、ネットを中心にその傾向が加速している」・・・

他者との対話を拒否し、身内だけで盛り上がる。寛容性が低くなり、排他性が高まっています。以前からその傾向はあったのでしょうが、インターネットの発達がその拡散を助長します。
あわせて、多くの人は「話を聞いて欲しい」「意見を言いたい」。しかし、「反論されるのは嫌だ」「いいねと言って欲しい」。「私は正しい。あの人たちは間違っている」のです。友人、家族、職場でも同じです。

仏像と近代日本人

2018年9月5日   岡本全勝

多川俊映著『仏像 みる・みられる』(仏像を見る、仏像に見られる)に触発されて、碧海寿広著『仏像と日本人-宗教と美の近現代』 (2018年、中公新書)を読みました。
明治時代から現在までの、日本人と仏像との関わり方を、分析した本です。切り口が鋭く、よく整理されていて、名著だと思います。仏像の分析ではありません。仏像の社会学と言ったら良いでしょうか。仏像や古寺ファンの方には、お勧めです。

信仰の対象だった仏像が、美術品となっていきます。写真となって、流布します。それは、御札(おふだ)ではなく美術品としてです。そして、一部知識人の鑑賞の対象から、一般人の観光の対象になります。修学旅行の定番となります。お寺ではなく、博物館で見ることが多くなります。
信仰の対象であった時代には、秘仏として、参詣者が見ることができない場合でも、仏さまは仏さまでした。見ることができないほど、ありがたいものです。しかし、美術品、観光の対象となると、見ることができない仏像は、対象となりません。

しかし、私たちは、お寺で仏像を見た時、単なる彫刻に対してとは違った思いを抱きます。ミロのビーナスやダビテ像を見る時とは、違った気持ちになります。
仏像を見る、仏像に見られる2」の記述で、私たちは仏様の目を見て、仏様の目を通して自分を見ると述べました。仏像写真家として有名な土門拳さんと、入江泰吉さんの言葉が紹介されています。

・・・ぼくは被写体に対峙し、ぼくの視点から相手を睨みつけ、そして時には語りかけながら被写体がぼくを睨みつけてくる視点をさぐる・・・土門拳、p159

入江泰吉さんが秋篠寺で伎芸天を撮影しようとした際のことです。ライトでは見えない仏様の表情が、ろうそくの明かりの前に現れます。
・・・そこでわたしは、灯明やローソクの明かりで仏像を仰ぎ見ながら祈りをささげた昔の善男善女の目にこそ仏像本来の慈悲のすがたが映ったのではないかとかんがえました・・・入江泰吉、p164

頭という限りあるキャンバス

2018年9月3日   岡本全勝

飯田 芳弘 著『忘却する戦後ヨーロッパ』を読みながら(忌まわしい過去を忘却する戦後ヨーロッパ)、次のようなことも考えました。
「思考の枠」「頭は限りのあるキャンバス」ということです。これだけでは、何を言っているかわかりませんよね。

『忘却する戦後ヨーロッパ』では、独裁政権が倒れたあと、忌まわしい過去を忘れるために「忘却の政治」がとられます。しかし、その際には、積極的に「忘れる」という行為は取られません。他の政治課題が優先され、過去の断罪が脇に追いやられるのです。
多くの場合、「忘れよう」「許そう」とは主張されません。新国家建設(共産主義崩壊後は、たくさんの国が生まれました)、経済再建・経済発展などが優先課題になり、これらの課題は後回しになり、取り上げられなくなります。もっとも、国際社会からの要求もあり、その範囲では対応せざるを得ません。

すなわち、複数の政治課題がある場合に、同時にすべてを処理することはできません。ある期間に取り組むことができる思考には、限りがあるのです。
画用紙・キャンバスを想像してください。白地なので、何でも描くことができます。しかし、1枚の紙に書くことができる図柄には、限界があります。たくさん描きたい動物があっても、大きな象とシマウマを書くと、他の動物は描くことができません。そして、細かく書き込もうとすると、時間が無くなります。次の紙に描くしかありません。

新聞紙面も、わかりやすいでしょう。毎日、ニュースが伝えられます。しかし、その日の一番大きなニュースが大きな紙面を占めて、他のニュースは隅に追いやられます。ほかの日だったら、1面に来るニュースも、大災害の翌朝だと、載らないこともあります。そして、翌日には、次の朝刊が配達されます。

「思考の枠」「頭は限りのあるキャンバス」とは、このように、人が一時に考えることができる項目には限りがあることを、言いたいのです。これは、個人の脳とともに、政治空間や新聞紙面も同じです。
すると、何を重要項目として取り上げるか。これが、本人、政治家、編集者の重要な判断項目になります。嫌なことを取り上げないことも、同様です。「話をそらす」ことです。
他方で、「忘れてはならない重要な課題」は、その時には取り上げられなくても、忘れることなく考え続ける必要があります。そして、他に重要課題がない時に、取り上げるように準備しておく必要があります。

身につけた経済力を生かす2

2018年9月3日   岡本全勝

先日、「身につけた経済力を生かす」を書いたら、次のような指摘がありました。
・・・中国に抜かれたとはいえ、まだまだ日本の経済力は強いです。この国力を、どのように後世に残すか、世界に貢献するかを考えるべきです・・・

ご指摘の通りですね。私の発言は、過去のことや、過ぎたことへの反省が多いです。歳をとりましたね(反省)。

豊かになった現在、個人がその豊かさを楽しむこと、企業が消費者の要望に応えること、行政が公共サービスを充実すること。これらも大切ですが、日本社会として、日本国として、後世と世界にどのように、何を遺すか、残すことができるか。

フランス旅行の際に見物するのは、古代ローマ・中世の遺跡、18世紀から19世紀のフランスの建造物や富、文化です。フランスが強かった時の富や国力が、建造物、街並み、美術、小説、料理を含めた文化に残っています。
観光客が多いことは、それだけ世界の人を引きつける魅力があるということです。日本も、海外からの観光客が急増しています。アジアの国々が豊かになったという条件もありますが、日本の魅力が認識されたということです。自然(そのものとともに残す努力も必要です)、街並み、建造物、歴史文化、食事・・。買い物やお土産。
では、さらに何を日本の魅力として売り出すか。

モノとともにコトにも、注目したいです。安全、清潔、誠実・・。和食・日本酒の他に、お風呂なども広がって欲しいです。
脱線しますが。その点で、日本企業に相次ぐ性能偽装は、心配です。

忌まわしい過去を忘却する戦後ヨーロッパ

2018年9月2日   岡本全勝

敗戦の認識」で紹介した、橋本明子著『日本の長い戦後』に触発されて、飯田 芳弘 著『忘却する戦後ヨーロッパ  内戦と独裁の過去を前に 』( 2018年、東京大学出版会)を読みました。私が知らなかったこと、考えていなかったことが多く、勉強になりました。

ナチズム、戦後南欧諸国の独裁、共産党支配。これらは、20世紀にヨーロッパで続いた、暴力的独裁です。ナチスや共産党支配については、そのとんでもないひどさが、よく伝えられています。
では、それらの支配が倒されたあと、国民と新政府は、それら過去をどのように扱ったか。すべてを否定することができれば、簡単です。しかし、支配者側にあった人やそれに加担した人たちが、たくさんいます。どこまで、彼らを裁くのか。また、その時代にされた行政や判断を、どこまで否定し、どれを引き継ぐのか。そう簡単ではありません。公務員を全員入れ替えることは、不可能でしょう。

過去を否定し、断絶することを進めると、社会の混乱は大きく、国民の間に亀裂が入ります。行政も産業も、ゼロからのスタートは非現実的です。
また、ヒットラーやスターリンに押しつけられたとはいえ、祖国と祖先たちが行ったことをすべて否定することは、ナショナリズムにとっては屈辱です。
そこで取られたのが、ある程度で妥協し、それ以上は過去にこだわらないことです。裁判の打ち切りであったり、恩赦です。著者は、過去の忌まわしい記憶を忘れるための「忘却の政治」と表現します。

各国によって、事情は異なります。ドイツと日本では、連合国による軍事裁判が行われましたが、イタリアでは行われていません。そして、自国が過去の自国民を裁いた国と、しなかった国があります。
この本は、ヨーロッパを対象としていますが、日本の戦後政治を考えざるを得ません。ぜひ、日本やアジアの国を対象とした本が、書かれることを望みます。

買ってあったのですが、積ん読でした。フランスに行く飛行機(片道10時間以上)で、集中して読めると思い、持ち込みました。読みやすくて、読み終えました。『日本の長い戦後』とあわせてこの2冊は、この夏、もっとも収穫があった読書でした。
エリック・ホブズボーム著『20世紀の歴史』(2018年、ちくま学芸文庫)は下巻の途中まで読んで、道草中。トニー・ジャット著『ヨーロッパ戦後史 1945-1971 』も、買ってはあるのですが。