カテゴリーアーカイブ:社会の見方

スマホの副作用

2019年9月28日   岡本全勝

先日ある新聞で、ガラケー(携帯電話)を、スマートフォンに買い換えるかが、議論されていました。ガラケーがよいとする意見と、スマホがよいとする意見とが並んでいました。
この議論を読んでいて、「大きな忘れ物をしていませんか」と、言いたくなりました。スマートフォンにはインターネットにつながる便利さがあります。その点を比較したら、スマートフォンに軍配が上がるでしょう。でも、スマホには、大きな欠点、副作用があるのです。

9月25日の日経新聞夕刊に「中高年も脱ネット依存」という記事が載っていました。
・・・スマートフォンの使いすぎで日常生活に支障が出る例が、子どもや若者だけでなく中高年の間でも増えつつある。スマホ依存をやめたいと思っている人を支援するため、専門外来を設ける病院や講習を実施する企業も出てきた。プライベートに加え仕事でもスマホを使う機会が多くなりがちな中高年。医師は「深刻であれば専門の医療機関を受診してほしい」と呼びかけている・・・

・・・「仕事が手につかない」。神戸大病院(神戸市)を受診した40代の男性会社役員は職場でも仕事と関係のないことでスマホを操作し続けてしまい、次第に長期の経営計画を立案するのが難しくなっていった。部下から「人が変わったようだ」と言われ、ショックを受けて受診したという。
スマホへの依存で多いのは、自らの意思でネットやゲームの利用時間をコントロールできなくなる「ネット依存症」。そんな患者に対応しようと、同病院は18年5月にネット依存症を専門に扱う外来を新設。患者はこれまで子どもや若者が多かったが、19年から中高年の患者の受診が目立つようになった・・・

横に置いてあれば、ついつい見てしまいますよね。この記事にあるほど中毒にならなくても、仕事に差し障りがあったり、このホームページで取り上げているように周囲への気配りができなくなるのです。
このスマホの弊害が怖いのです。「君は間違っていない、しかし

安倍総理 トランプ大統領 国連演説要旨

2019年9月26日   岡本全勝

9月26日の読売新聞が、1面を使って、安倍総理とトランプ大統領の国連演説要旨を載せていました。
ほかの新聞は確認していないのですが、これまであまり目にしたことはありません。

もちろん、このご時世ですから、インターネットで調べれば、原文を読むことができるのでしょうが。
広く国民に、国連でわが国の首相がどのようなことを発言しているかを知ってもらうことは、重要だと思います。さらに、トランプ大統領だけでなく、主要国の元首がどのようなことを話しているか。
これまでの日本のマスコミは、国際情勢に疎かったです。日本語という障壁に守られて、内弁慶でした。
「国連によって、世界が変わるか」と言われれば、それまでですが。世界では何が課題になっていて、首脳たちは何を議論しているか。それを知ることは、重要だと思います。芸能界のゴシップを追っているよりは、価値があると思います。

池上 俊一 著『情熱でたどるスペイン史』

2019年9月26日   岡本全勝

池上 俊一 著『情熱でたどるスペイン史』 (2019年、岩波ジュニア新書) を読みました。
私は、ローマ帝国の属領、イスラム支配、レコンキスタ、植民地帝国、フランコ独裁などの知識しかなく、スペインの通史を読んだことがなかったので、とても勉強になりました。お勧めです。
「ジュニア」と銘打っているので、中高生向けと思いますが、大人が読んでも十分に役に立ちます。というか、中高生には少々難しいかもしれません。

先生の著書「××でたどる○○史」には、このほかにフランス、イタリア、ドイツ、イギリスがあり、これで5か国目です。
イタリアがパスタ、フランスがお菓子、イギリスが王様、ドイツが森と山と川です。この切り口は、それぞれに「なるほどなあ」と思います。もちろん、一つの切り口でその国の歴史、文化、社会を紹介することはできませんが。わかりやすいです。
では、日本を紹介するとしたら、何を切り口にしますかね。天皇、和食、仏教と神道、島国・・・。

参考『ドイツの自然がつくったドイツ人』『パスタでたどるイタリア史

国際政治史研究、冷戦後をどう見るか

2019年9月25日   岡本全勝

東京財団政策研究所、「政治外交検証研究会レポート ―政治外交史研究を読み解く」、細谷 雄一教授の「国際政治史研究の動向」から。

・・・今回は「近年の通史にどのような傾向が見られるのか」という問題意識から、以下3冊を取り上げてお話したいと思います・・・この3冊の通史に共通することとして、ポスト冷戦時代についての記述の分量が非常に多いことが挙げられます。私が大学生のころは、基本的には20世紀まで、つまり冷戦史を中心に歴史を学んでいたと思いますが、今の大学生は21世紀に生まれ、20世紀を知りません。冷戦どころか90年代も知らない世代がいま大学生として国際政治を学んでいるわけです。

そのような学生の問題関心は、当然ながら平成とほぼ重なる冷戦後30年がどのような時代であったのかという点に向かっていきます。例えばモーリス・ヴァイス『戦後国際関係史』では、全体の半分が冷戦後の記述です。冷戦後すでに30年が経過しており、第二次世界大戦終結から冷戦終結までが40~45年ですから、「戦後+冷戦時代」と「冷戦後の時代」が徐々に同じ長さになってきており、当然といえば当然かもしれませんが、問題となるのは、この冷戦後の時代をどう位置付けるかということであり、恐らくそれが重要な意味を持つのだろうと思います・・・

・・・ポスト冷戦期は、ソ連という帝国が崩壊したことでアメリカ一極となりましたが、その後アメリカがイラク戦争、アフガニスタン戦争によって国力を浪費し、2008年のリーマン・ショック以降さらに世界から後退していくことによって、アメリカが超大国としてのリーダーシップを失い、一極が零極、無極となりました。つまり現在は無極の時代なのだろうと思います。無極の時代とは、覇権安定論の理論で言えば混乱の時代だと言えます。このような時代をみて、ヴァイスはポスト冷戦期の時代を「混迷の時代」と位置付けたのではないでしょうか。

では、具体的に何が問題なのか。これについて、ヴァイスは必ずしも同書で明確に主張しているわけではありません。ただし、フランス的な視野から言えば、望ましい国際秩序とは多極である、つまり「ヨーロッパ協調(Concert of Europe)」なのです。
5大国によって勢力均衡と協調が図られた19世紀のウィーン体制は、このヨーロッパ協調の理想的なイメージであり、このイメージを基に、第一次世界大戦および第二次世界大戦の戦後処理が進められ、さらにはこれが国連安保理における常任理事国、いわゆる「P5」として帰結します。結局のところ国連P5の大国間協調による安定は、実現しませんでした・・・

・・・ポスト冷戦期の時代に対する3冊の描き方の相違を以上にみましたが、つづいてこの3冊の本に共通するもう一つの特徴についても触れたいと思います。それは、「西洋中心主義の相対化の模索」です。
ここで「模索」と言いましたのは、ヴァイス先生にしても、あるいは板橋さんや有賀先生にしても、そもそもアカデミックなトレーニングとしては、やはり欧米中心の国際政治史をこれまで学んできたのだろうと思います。それをいわば「接ぎ木」のように、力技で他の地域も加えていく。現代の国際政治を論じるためには、構造自体の見方を変えなければいけないので、やはり非常に難しいところがあると思うのです・・・

日本の社会の仕組みを変える

2019年9月22日   岡本全勝

NHKウエッブニュースの、小熊英二さん「もうもたない!? 社会のしくみを変えるには」が参考になります。画面で読むには少々長く、私は紙に印刷して読んでいます。

・・・2019年7月に出版した本では、終身雇用や年功序列といった雇用慣行をはじめとした日本社会の構造を、雇用、教育、福祉の観点から横断的に分析し、解き明かしています。小熊さんは、「今の社会は、1970年代の仕組みのままで、もうもたなくなっている」といいます・・・

・・・「どのポジションから見るかによって、全然見え方の違う30年」だったと思いますね。日本社会の約26%に当たる、大企業の正社員や官庁勤めの人から見れば、「変わらなかった時代」。ただ、それ以外の人たちにとってみれば、かなり大きな変化があった時代だと思います。
最近書いた『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』という本で、私は現代日本での生き方を「大企業型」「地元型」「残余型」の3つの類型に分けて説明しました。
「大企業型」は、毎年、賃金が年功序列で上がっていく人たち。大学を出て大企業の正社員や官僚になった人などが代表です。「地元型」は、地元にとどまっている人。地元の学校を卒業して、農業や自営業、地方公務員、建設業などで働いている人が多いです。「大企業型」は、所得は多いものの、長時間労働や通勤時間が長く、地域社会につながりが薄い人が多い。「地元型」は、所得は比較的少ないものの、地域コミュニティーを担い、持ち家や田んぼがあったり、人間関係が豊かだったりします。
ただ、平成の時代に増加してきたのが、所得も低く、人間関係も希薄という「残余型」。都市部の非正規労働者などがその象徴です。

これらの3つの類型を先行研究などをもとに2017年のデータで推計したところ、「大企業型」が約26%、「地元型」が約36%、「残余型」が約38%となりました。
このうち「大企業型」の割合は1982年から2017年までほとんど変化がなかったのです。日本社会の約26%にあたる「大企業型」の人たちの雇用形態や働き方は70年代初めに完成した「社会のしくみ」です。平成は、大枠で言えば、国際環境が大きく変わる中で、この「社会のしくみ」を無理にもたせてきた時代だったと言えると思います・・・

・・・70年代後半から80年代は、日本は、いわば今の中国みたいな位置にありました。つまり、世界の工場です。しかも当時は東西冷戦のさなかでしたから西側陣営の工場です。冷戦が終わると、その日本の地位は失われていくことになりました・・・

・・・日本は近代化が遅かった国だったので、先進国に比べてソーシャルキャピタル(地域のつながりや人間関係)がとても豊かでした。だから、行政は方針だけは出すけれども、地域のことは地域で、業界のことは業界でやってくださいという、そういう姿勢でやってきたからでしょう。
これまでの日本は、非常に安上がりな国家だったと思います。地域社会の力にあぐらをかいて、行政職員を増やさないでやってきた。なんでそんな安上がりな国家が築けたかと言えば、遅れて近代化したがゆえに、地域社会の関係が多かったからだと思います。自治会長か中学校の先生に聞けば、その地域のどこの家族が貧困であるか、おおかたわかる。つい最近までそういう社会でした。
ところが、それがもたなくなってきました。地域社会を支えていた自営業の人々、具体的には町内会や自治会や商店会を担ってきた人々が、高齢化するか、非正規雇用に移動している。そうなれば、地域のつながりは希薄になります。そうなると、行政が自治会や業界団体に方針を示しても、地域の末端や業界の末端まで、それが行きわたらなくなりました。私は、基本的には、他の先進国の基準程度には、公務員を増やさないとこれからもたないと思います・・・

私は、連載「公共を創る」で、同じような趣旨で、日本社会の変化とその対応に遅れている行政や日本人の意識を指摘しています。平成時代が、その曲がり角でした。10月から掲載される「第1章3(4)変貌した社会への対応」が、この小熊さんの主張と重なります。