カテゴリーアーカイブ:社会の見方

日本の投資の停滞

2026年4月20日   岡本全勝

4月2日の日経新聞経済教室、滝澤美帆・学習院大学教授の「日本は「イースト型」の経済成長を促せ」から。
・・・日本の労働生産性(時間当たり)はこの30年間、主要先進国で最低水準にとどまり続けている。深尾京司・経済産業研究所理事長の研究によれば、1人当たり国内総生産(GDP)を基準に見ると、日本が技術フロンティアから著しく乖離(かいり)した局面は鎖国下で産業革命に乗り遅れた江戸時代末期、太平洋戦争前後に続いて、1990年代以降が3度目だという。
今回の停滞は景気の波や政策の巧拙で全て説明できるものではない。日本経済が世界の技術の最前線から取り残されつつあるという、より根深い問題だ。
では、日本のどの産業で問題が生じているのか。バンアークらの研究(2019年)では産業をデジタル産業(ICT〈情報通信技術〉機器製造・情報通信)、デジタル集約的利用産業(金融・専門サービス・機械製造など)、デジタル非集約産業(建設・宿泊・運輸・農業など)の3群に分け、生産性への寄与を分析している。
表1に示す通り、日本の労働生産性成長率は全産業で低水準だ。世界金融危機後にデジタル産業の寄与が0.18%ポイントに急落し、デジタル集約的利用産業も0.13%ポイントにとどまる。デジタル非集約産業は危機後にわずかにプラスに転じた。全体の成長は0.39%まで落ち込んでいる・・・

・・・米国は経済全体の付加価値の約9%に過ぎないデジタル産業が、デジタル集約的利用産業と同程度の生産性寄与を生み出し、マッシュルーム型の傾向が見られる。ドイツは金融危機後にデジタル集約的利用産業が主役となる回復を示しており、イースト型に近い。
しかし日本はいずれにも当てはまらない。全セクターが低水準に収束し、成長のエンジン不在に陥っている。背景にあるのは二つの投資の停滞だ。有形インフラの老朽化と、無形資産投資の立ち遅れである。
有形インフラから考えよう。資本のビンテージ(世代)という概念が重要になる。ノーベル賞経済学者ロバート・ソローによれば、技術進歩は新規投資に「体化」される形で経済に浸透する。最新の機械や構造物には最先端技術が組み込まれているが、投資が滞れば資本ストックの平均年齢が上昇し、体化された技術水準が低位に固定される・・・

・・・無形資産でも立ち遅れは深刻だ。マスらの25年の研究は、現代の生産性成長ではICT投資単独ではなく、研究開発(R&D)・組織資本・人材育成・ブランドといった無形資産との補完的な投資が重要であることを示した。
表2には無形資産の有形資産に対する比率を日米独で比較した。日本は6〜8%にとどまり、16〜19%の米国に大きく水をあけられている。
さらに問題なのは表3が示す無形資産投資の偏りだ。無形資産全体に占める組織資本・人的資本の割合が、日本では約16%から約11%へと低下している。米国・ドイツがほぼ横ばいを維持するのと対照的だ。有形インフラと同様に、日本では既存の組織・人的資本の維持に資源配分が偏り、新たな能力形成への投資が相対的に抑制されている。
生産性低迷の背景には投資不足に加え企業規模の零細性という問題もある。一般に企業規模が小さいほど無形資産投資比率は低く、組織資本や人材育成への支出は後回しになりがちだ・・・

結果で測るか過程で測るか

2026年4月19日   岡本全勝

大学の授業ではしばしば、学生の理解度を測るために、レポートを課題とします。しかし、人工知能が発達し、学生は人工知能に答えを書かせます。すると、レポートという結果を評価することは、無意味になります。
他方で大学に求められるのは、学生の思考力を高めることです。すると、ある学生について、どのように思考力を高めたかを評価する必要が出てきます。「人工知能と大学教育
もっとも、人工知能に代行させることができることなら、人間にさせる必要はなく、何を人間に考えさせるかの分別が重要になるのでしょう。
「自分の頭で考えること」を学校で学ぶのですが、教師はどのようにして、それを学生に教え、測るのでしょうか。難しいです。

就職試験の面接で「ガクチカ」を尋ねるのは、意外とこの点を確かめているのかもしれません。大学の入学試験の偏差値は記憶力や試験問題を答える能力は判定できても、考える力はわかりません。多くの大学の卒業証書も、卒業生の能力を保証していません。その際に、大学時代に何に力を入れたか、そこで何を学んだかを聞くことは、考える能力を調べる方法になっているのでしょう。
人工知能に頼ったかもしれない卒業論文や応募書類の記述より、求職者の能力を調べることができるのです。

会社ではどうでしょうか。ある企画文書を作る場合に、課長としては良い企画文書を求めます。社員がどのような思考をしたのか、努力をしたのかは二の次です。それならば、人工知能でできる部分も多いのでしょう。しかし、人工知能は現在のところ、過去の情報を集めて答えを考えるので、新規なことは不得手なようです。時には、嘘をつきます。
若いうちは、いろんな経験を積んで、自分で考える、課題を切り抜ける方法を身につけます。人工知能に頼っていると、その能力は身につきません。
課長の仕事は、良い結果を求めることでしょうか、若手社員を育てることでしょうか。私が考えるに、将来の幹部になる社員と、言われたことをする社員とを分けて処遇することになると思います。

日本の教師は授業に時間を割けない

2026年4月19日   岡本全勝

日経新聞は「知の未来図 3歳から始まる国家戦略」を連載していました。世界各国が未来に向けてさまざまな取り組みをしていることがわかります。それは記事を読んでいただくとして。

ここで紹介するのは、3月31日の第12回「AI時代、インド突出 データが示す未来の頭脳競争力」に載っていた、「日本の教師は授業に割く時間が少ない」の図です。法定労働時間に占める授業時間の割合が、各国別に並んでいます。
イギリスが6割強、フランスが4割強、韓国・ドイツが3割半ば。日本は3割に満ちません。残りの時間を授業の準備に使っているのなら良いのですが、部活や保護者対応、報告書作成などに費やしているのなら、問題です。超過勤務も問題になっています。

都会の鳥は人間が怖くない

2026年4月18日   岡本全勝

3月31日の朝日新聞夕刊に「都会の鳥は…、人間が怖くない? 東京23区と茨城、逃げ出す距離に差」が載っていました。
・・・春が到来し、鳥の姿があちこちで見られる。「都会の鳥は人が近づいてもなかなか逃げない」とも聞くが、本当なのか? スズメやカラスなど身近な7種の鳥について、動物行動学の研究者が東京都心と茨城県の農村地帯で実験したところ……。

取り組んだのは国立科学博物館名誉研究員の浜尾章二さん。
対象とした鳥は、スズメ、ハシブトガラス、ムクドリ(いずれも遅くとも1920~30年代には東京に生息)、キジバト(東京定着は50年代)、シジュウカラ(同60年代)、ヒヨドリ(同70年代前半)、ハクセキレイ(同70年代後半)の7種。
浜尾さんは2022年(一部は23年)の3月中旬~5月上旬、東京23区内にある12カ所の緑地と茨城県南部の農村地帯の18カ所で実験。人がゆっくりと歩いて近づいた際に、鳥が飛んだり走ったりして逃げ始めたときの距離(逃避開始距離)を、計500羽超で測った。
その結果、7種すべてで東京都心での逃避開始距離は茨城南部よりも統計的に明確に短く、人を恐れず警戒性が低下していると考えられた。例えば、スズメの逃避開始距離は、茨城では平均11・1メートルで、20メートルを超える個体もいたが、東京では平均4・2メートルで10メートル超の個体はほとんどいなかった。種ごとに見ると、東京での逃避開始距離は茨城南部の0・28~0・58倍だった。

では、なぜ都会の鳥は人が近づいてもなかなか逃げないのか。浜尾さんによると、動物は捕食などのリスクを回避するために逃避行動をとる。一方で逃避には、食事を中断するなど、行動面での負担が伴う。そのため、捕食者を避けて安全を図るという利益が十分になければなかなか逃避しないと考えられるという。
浜尾さんは「都会の鳥は東京では著しく警戒性が低下し、大胆になっていることが確認できた。人が危険な動物ではないと学習しているだけなのか、人に追われるリスクがあっても採食し続けなければいけないほど食べ物が乏しいのか。警戒性が低下している直接の原因を解明したい」と話す・・・

『リベラリズムとは何か』

2026年4月17日   岡本全勝

マイケル・フリーデン著『リベラリズムとは何か』(2021年、ちくま学芸文庫)を読みました。別の本を読んでいて、紹介されていたので、こちらを先に読みました。日本語では「自由主義」だと思います。
宣伝文には次のように書いてあります。
「政治理論の本流に位置し、現代において最も重視される思想であるリベラリズム。だが、その中身はどこか曖昧で理解しづらく、「リベラリズムとは何か」という問い自体が一つの争点であり続けてきた。ときに互いに矛盾する内容すらはらむ、この思想の核心はいったいどこにあるのか。本書では、「リベラリズム」という用語自体の歴史的変遷や思想的広がりを五つの層という視点から捉えなおし、そこに七つの中核的概念を見いだしていく」

この論点や分析について、本書の記述になるほどと納得しました。歴史的にどのように変遷してきたかが、よくわかりました。
第一は、君主権力からの解放と個人の自由の確保です。これが、リベラリズムの出発点・核となります。
第二に、市場において自由に経済活動をすることです。契約が尊重されます。
第三は、個人の個性の発展を促進するという考え方で、言論と教育の自由を重要視します。自由は固定的でなく、発展するものとなります。
第四は、第三をさらに発展させます。人間の発展への障害物がより広く認識されます。欠乏、疾病、無知、不潔、怠惰。これら障害物の除去です。国家は積極国家になります。個人と国家は切り離されたもの、対立するものではなくなります。
第五は、権力の分散から、集団の多元性へと転換します。性別、民族、宗教という分類が、否定・排除・無視されるのではなく、保護・参加になります。(本文はより難解なので、私なりに要約しました)

連載「公共を創る」で、西欧近代憲法から現代憲法へと哲学が変化してきたこと、日本国憲法が80年前につくられその後改正されていないこと、行政が現代憲法の思想に止まっていてその後の社会の変化・新しい課題に対応できていないことを論じています。この本を読んで、リベラリズム・自由主義の意味・意義が歴史的に変化していることを確認して、参考になりました。
例えば、イギリスの自由党が19世紀に支持を受け、20世紀になると凋落します。戦う敵、目指す社会像が変化していたのです。また、「進化」の過程で、それまでのリベラリズムの限界や問題、過ちが見えてきます。

政治思想は、その時々の社会課題に対応するために、内容を変えてきたのです。数学の定義はあらかじめ決まっていますが、政治思想はそうではありません。そして、対立する思想があって初めて、その意味が確定します。その点では、対立する思想との違いを説明してほしかったです。本書では、競合する他のイデオロギーからの挑戦を受けているとして、保守主義、ナショナリズム、社会主義、緑の政治、原理主義、ポピュリズムを挙げています(203ページ)。追加するなら、全体主義、独裁主義、権威主義などもあるでしょう。

ところで、リベラリズムを解説すると、ほぼ西欧の政治史になりますが、日本が出てくるか所があります。
38ページに次のような記述があります。「実際、「リベラル」というラベルを誇示する一部の政党はリベラル派とはほど遠い。その例が、日本の自由民主党であり、この政党は中道府は保守政党である」。
204ページには次のような記述があります。「現在、多くの保守的、社会民主主義的、ナショナリズム的、またはポピュリズム的(政治)システムー特にヨーロッパとアメリカ大陸の、またオーストラリア、ニュージーランド、インド、日本でもーにとって、立憲主義と法の支配を受け入れながら、明白ないし一義的にリベラルなイデオロギーを採用しないでいることは、ごく普通のことになっている」。
学問、特に輸入学問の世界に閉じこもった概念や議論で終わると、リベラリズムも国民の実践には結びつかないでしょう。「日本におけるリベラリズムの位置」

本文は220ページほどの文庫本なのですが、内容は大きかったです。読み終えるのに結構な時間がかかりました。原文が、特にその言い回し(構文)がそうなのでしょうか、日本語訳が「堅く」て、理解するのに少々難渋しました。
類書に、宇野重規ほか編『リベラリズム 基礎からフロンティアまで』(2026年、東大出版会)があります。