カテゴリーアーカイブ:社会の見方

「先の大戦」をどう呼ぶか

2022年9月10日   岡本全勝

8月31日の朝日新聞オピニオン欄は「77年…あの戦争の名は」でした。
「「先の大戦」「第2次世界大戦」「15年戦争」「大東亜戦争」「太平洋戦争」「アジア太平洋戦争」……。戦後77年たっても戦争の名前が定まらない。どう考えたらよいのだろう。」

波多野澄雄・筑波大名誉教授の発言から。

「先の大戦」や「あの戦争」と呼ばれている戦争について日本国民が呼称を共有できているのかといえば、できていないと思います。私は歴史教科書の検定に携わった時期もありますが、標準的には「太平洋戦争」という呼称が使われる一方、「大東亜戦争」「アジア太平洋戦争」も併記される状況でした。

あの戦争はそもそも、単純な一つの戦争ではありません。四つの戦争からなる複合戦争だったのです。
まず1937年に始まった日中戦争があります。41年には日米戦争と、東南アジアを主舞台とする日英戦争が始まりました。終戦前後にはソ連との日ソ戦争も起きています。少なくとも四つの大きな戦場があったうえ、異なる戦場間を移動した兵士は少数に限られていた。それが、戦争イメージが一つに収斂しにくかった一因だと思います。
41年12月に対米英戦を始めた直後、日本政府は戦争の呼称を決めています。それ以前から続いていた対中戦争と新たに始めた戦争、両方を合わせて大東亜戦争と呼ぶと閣議決定したのです。しかし敗戦後の占領下で、大東亜戦争という呼称の公式使用は禁じられました。代わって使われた呼び名が太平洋戦争です。

しかし太平洋戦争は米国視点から見た名です。アジア太平洋戦争という呼称は普及していません。ならば、あえて大東亜戦争という呼称を正面から見据える議論があってもいいのではないかと、私は近年思うようになりました。
「大東亜戦争という呼称を使うことは、あの戦争を解放戦争として正当化することだ」と言われてきましたが、「大東亜戦争の一面は侵略戦争だった」という語り方があってもいいはずだと思うのです。日中戦争はどう見ても日本の侵略戦争でしたから。
大東亜戦争という呼称で考えることのプラスの意味は、「日本が主体的に実現しようとしていたものは何か」「継承すべき遺産は何か」を考える機会になることです。
あの戦争は「望ましい国際秩序をめぐる戦い」でもありました。西洋近代とは異なる原理を持った「大東亜新秩序」を東アジアに作るとの目標が日本には一応あり、米英側には「リベラルな秩序を守る」意味があったのです。
実際の大東亜新秩序には「指導する日本と従属するアジア」という関係を押しつける面もありました。しかし、対等な関係を築こうと試みた一部の指導者もいたのです。
大東亜戦争という呼称を用いながら、侵略などの負の側面も見据えた議論を深めていく。それができる環境が国内外に今あるかと問われれば否定的ですが、結論や評価を急ぐべきではありません。戦争への考えを深める作業は、時間がかかることなのです。

佐伯啓思先生、民主主義を支える人びとの信頼

2022年9月9日   岡本全勝

8月27日の朝日新聞オピニオン欄、佐伯啓思先生の「社会秩序の崩壊と凶弾」から。私は連載「公共を創る」で、社会を支える信頼関係の重要性を主張しています。

「民主主義とは言論による政治」といわれるが、ここにはひとつの前提がある。それは、言論による合意形成という手続きを人々が信頼する、言い換えれば暴力を排除するという前提だ。これはまた次のことを意味する。それは、論議される問題の重要性や理解において、人々の間にある程度の共通了解があり、仮に意見の対立があっても、その根底には人々の間の相互信頼がなりたっている、ということだ。
民主的社会は、基本的にこの種の前提に基づいて政治秩序を維持してきた。だから、「民主主義」「言論の自由」「法の支配」「公私の区別」「権利の尊重」などは相互に連結した普遍的価値とされたのであり、それを総称して「リベラルな価値」といってよい。
従来、「リベラルな秩序」の実現こそが社会の進歩をもたらすとみなされ、リベラルな価値は先進国ではおおよそ受け入れられてきた。ところが今日、日本だけではなく世界的にも、あきらかに「リベラルな秩序」が崩壊しつつある。どうしたことであろうか。

少し考えればわかるが、リベラルな価値は、理念としては結構であっても、それだけで社会秩序を作れるわけではない。自由の背後には自制がなければならず、民主主義の背後には政治的権威の尊重が必要であり、法の背後には慣習や道徳意識がなければならない。権利の背後には義務感や責任感が不可欠である。
これらは目にみえるものではなく、暗黙のうちに保持されてきた価値だが、社会秩序を維持する上で実は決定的な意味をもってきた。リベラルな秩序の実現は、リベラルな価値の普遍性によって担保されるのではなく、現実社会の具体的様相のなかで、人々が、「目にみえない価値」を頼りにして営む日常の生によって実現されてゆく。
実際に「目にみえない価値」を醸成し維持するものは、人々の信頼関係、家族や地域のつながり、学校や医療、多様な組織、世代間の交流、身近なものへの配慮、死者への思い、ある種の権威に対する敬意、正義や公正の感覚、共有される道徳意識などであろう。

かつて政治学者の高坂正堯氏は、国家は「力の体系」「利益の体系」そして「価値の体系」からなるといった。安倍氏はとりわけ政治力や経済力に関して日本の国力を強化しようとしたし、着実に一定の成果をあげた。
ところで私は、「価値」には二つの側面があると思う。法や政治的理念などの「公式的価値」と、文化や習慣といった「非公式的価値」である。「リベラルな価値」は前者であり、ここでいう「目にみえない価値」は後者である。「保守の精神」は、一方では国家の安全保障にかかわるが、他方では日本の「目にみえない価値」の維持をはかるものでなければならない。

グローバルな大競争の時代にあっては、政治は、リベラルな普遍的価値という「公式的価値」を高く掲げ、技術革新を推進し、社会を流動化し変化させなければならないだろう。だがそのことが、日本社会が保持してきた「非公式的価値」を蝕むことにもなるのである。安倍政治の成果が、逆説的に「保守の精神」の衰弱という帰結をもたらしたとしても不思議ではない。社会の土台や、人々の精神の拠り所が崩壊しつつあるのだ。
それは、われわれの社会生活の土台であり、精神生活の核となる。それらは、あまりに急激な変化にさらされてはならないのであり、その意味で、「目にみえない価値」を重視するのは「保守の精神」なのである。それがなければ、リベラルな価値など単なる絵にかいた餅に過ぎなくなるであろう。そして安倍氏殺害の容疑者にあっては、この「目にみえない価値」を醸成する安定した生活や精神の拠り所が失われていたようにみえる。

現実逃避が進めるゲーム中毒

2022年9月8日   岡本全勝

これも、定番になってきました。スマホ依存症についてです。8月30日の日経新聞に「スマホ依存防げ、自主対策広がる 各国の規制議論に対応」が載っていました。詳しくは、記事を読んでいただくとして。

スマホ依存症が、大きな問題になっています。生活が困難になるほどオンラインゲームなどに没頭する「ゲーム障害」は、2019年に世界保健機関が、ギャンブルなどと並ぶ依存症として国際疾病分類に加えたそうです。

子どもも大人も、たくさんの人が「中毒」になっているようです。面白いのでしょうね。ゲームの作成者は、そのようにつくっているのですから。
私は、もう一つの要因があると思います。それは、中毒になる人の精神状況です。それは2つあります。
一つは、「やめる」意志の強さです。面白いゲームでも、のめり込む人と、とどまる人がいます。これは、勉強を続ける集中力がある人と、投げ出す人がいるのと同じでしょう。この点で、子どもは、親や周囲が指導しないと危ないです。

もう一つは、現実からの逃避です。記事にも例が出てくるように、実生活がうまく行かない場合に、それからの逃避として、ゲームにのめり込むのです。たぶん、その人も「これではいけない」と思っているのでしょうが、それがまた、その現実からの逃避に逃げ込むという悪循環を呼ぶのでしょう。
学校が面白い、友達と遊ぶのが面白い、仕事が充実しているなど、ゲーム以外に生きがいや楽しみがあれば、中毒になることはないと思うのですが。孤立が、中毒を悪化させます。

衰退途上国

2022年9月8日   岡本全勝

8月31日の日経新聞経済コラム「大機小機」は「「衰退途上国」から脱却するには」でした。

・・・本年5月に行われた日本経済学会春季大会のパネル討論でパネリストの1人が、日本は「衰退途上国」になってしまったと指摘していた。「発展途上国」が先進国よりも高い経済成長率を続けて先進国に追いついていくのに対して、「衰退途上国」は低い成長率を続けて世界から取り残されていく、そんな国になってしまったというのだ。
今日、日本の1人当たり国民所得は、かつてアジアの小竜といわれたシンガポール、香港などに抜かれてしまっている。このままでは、タイやインドネシアに抜かれるのも時間の問題だろう・・・

「発展途上国」「先進国」という言葉は、これまでよく使いましたが、「衰退途上国」という言葉は初めて聞きました。しかし、良くできた言葉だと思います。
それが実現しないように、しなければなりません。

日本経済停滞の原因、大企業の保守化と起業の低調

2022年9月7日   岡本全勝

8月28日の日経新聞1面は、「設備投資、ルーキー不在 企業の新陳代謝鈍く成長停滞」でした。
・・・日本企業の設備投資が低迷している。過去最高水準の利益の下でピークに届かず、米欧と比べても伸び悩む。金額のトップ10を集計すると、通信や電力、鉄道などインフラ系が目立つ。エレクトロニクス関連企業は順位を下げた。次の成長をけん引するルーキーは見当たらず、日本経済の活力の低下を印象づける・・・

経済協力開発機構の調べでは、過去30年間の企業の設備投資は、アメリカが3.7倍、イギリスが1.7倍、ドイツが1.4倍ですが、日本は1%増と横ばいです。日本企業は儲けていても、新規投資に慎重なのです。

他方で、開業率と廃業率を足し合わせた「代謝率」は、アメリカ、イギリス、ドイツが20%前後で推移しているのに対し、日本は5%程度です。新しい企業が出てこないのです(他方で廃業も少ないのですが)。
アメリカの大企業ではGAFAが有名ですが、これらも新しい企業です。老舗大企業は伸び悩むか、つぶれています。すると、日本の経済活性化に必要なのは、経団連加盟企業のような老舗大手企業の頑張りではなく、新しい企業の出現でしょう。
ここには、日本の若者が就職に際して大企業を目指す風潮、親も社会もそれを良しとする風潮も寄与していると思います。