11月26日の読売新聞「縄文直系の子孫 いない ゲノム解析プロジェクト」は、驚きの内容でした。詳しくは本文をお読みください。
・・・縄文人や弥生人のことは小学校でも習う。私たちの祖先として、親しみを感じる人もいるかもしれない。しかし、彼らがどんな人たちだったのか、実はまだよくわかっていない。今年3月末まで5年間にわたった国の大型プロジェクト「ヤポネシアゲノム」で、国立科学博物館の篠田謙一館長は、遺伝情報(ゲノム)から縄文や弥生の人々に迫った。篠田さんが研究の過程で感じた「三つの驚き」を通して、新たに浮かび上がった彼らの姿を見てみよう・・・
・・・約1万6000年前から、弥生時代が始まる約3000年前まで続いたとされる縄文時代。この時代に日本列島に生きていたのが、縄文人だ。「彫りの深い顔立ち」が特徴とされる。
プロジェクトでは69体の縄文人のゲノムを解読した。ゲノムの特徴から近縁関係を分析すると、縄文人は、中国など北東アジアから東南アジアにかけての大陸の現代人とは、かけ離れた存在であることがわかった。北海道・礼文島北部の船泊(ふなどまり)遺跡(縄文後期)で見つかった約3800年前の縄文人のゲノムを、アジア各地の約50集団と比較しても、近縁な集団はなかった。
「東南アジアなど、どこかに縄文人の子孫がいると考えていたが、ゲノム研究で完全に否定された。縄文人はもう現代には生き残っていない。予想外の結果だった」と篠田さんは驚く・・・
・・・次に弥生人を見ていこう。九州北部で稲作が始まったとされる約3000年前から古墳時代(3〜7世紀)が始まるまでの弥生時代に住んでいた人たちだ。縄文時代から引き続き住んでいた人たちや、大陸から稲作文化を持ち込んだ渡来人たちがいた。
彼らのゲノムを分析して浮かび上がったのが、現代の本州などの日本人をしのぐ、驚くべき多様性だ。篠田さんは「現代よりもはるかに少ない人口だった弥生時代だが、遺伝的に由来の異なる集団が共存し、混血のなかで多様性が生まれたのだろう」と分析する・・・
へえ、と思いますね。でも、現代の日本人は縄文人と弥生時代に渡来してきた人が混血し生まれたする「二重構造説」は正しいようです。