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経済

年金財源と方式

25日の経済財政諮問会議は、年金制度が議題でした。日本の公的年金は加入者の保険料で成り立っていますが、基礎年金の3分の1は税金で賄っています(日本の年金は保険料方式といわれますが、正確には、保険料・税金混合方式です)。それを2分の1まで引き上げることが決まっていますが、まだ財源は決まっていません。その分が2.5兆円、ちょうど消費税の1%分に当たります。
この税金投入を2分の2にすると、全額税金になり、基礎年金部分は保険料負担がなくなります。その場合は、12兆円必要です。
そのような財源問題だけでなく、それぞれにどのような長所短所があるかを、比較して提示してあります。全額税金方式は、各人の掛け金がなくなるので、言ってみれば生活保護と同じです。これも一つの考え方です。たくさん給付をもらいたい人は、掛け金比例部分(いわゆる2階部分)をたくさん納めればいいのです。また、民間の年金もあります。
ところが、これまでは保険料方式を取っていたので、たくさん納めた人と、納めていない人(納めなければならないのにさぼった人、若くてまだ短期間しか納めていない人)がいます。これが問題になるのです。
既にまじめに納め終わり、これからは給付を受ける人からすると、「まだ、年金財源として消費税をたくさん納めるのか。私は既に満額納めたのだから、2重の負担じゃないか」と不満が出ます。また、これまでさぼった人は、これまでだったらもらえなかった給付がもらえます。「ラッキー、やはり納めない方が得だった」。これは、まじめに納めた人は、納得できません。「そんな人に給付するな」という声が出てくるでしょう。
年金を始め社会保障は、国民が誰がどれだけ負担するのか、そして誰がどれだけ給付を受けるのか、まさに政治なのです。健康保険は給付が医療なので受益が比較しにくいですが、年金は金額で見えるので、国民にわかりやすい=利害が対立するものです。社会保険料負担は約15%。国税負担15%、地方税負担10%とくらべても、大きなものになっています。
さて、これまでは年金は厚生労働省と専門家に任せておけばいい、というのが国民の意識だったと思います。財源が不足すること、そして社会保険庁がずさんな事務をしていたことから、専門家に任せておけないと認識されるようになったと思います。諮問会議は選択肢を示すことはできます。また、内閣として案を決める必要はあります。しかし、国民の利害を統合するのは国会の場だと思います。時あたかも、衆参でねじれ状態になり、政府与党案がそのまま通るということもなくなりました。政治が活性化するでしょう。

金融危機から10年

20日の朝日新聞変転経済は、「金融危機10年」第1回でした。1か月の間に、三洋証券がコール市場で初のデフォルトを起こし会社更生法申請、北海道拓殖銀行が都銀では初の経営破綻、山一証券が大手では初の自主廃業、そして仙台の徳陽シティ銀行が経営破綻し、全国の多くの銀行で取り付け騒ぎが起きました。心配になった預金者が、ほかの銀行にも預金を下ろしに集まったのです。
取り付け騒ぎを静めるために、政府は、預金と銀行間取引の安全を保証する声明を出しました。その後、金融システムを守るために、巨額の公金が投入されました。破綻した銀行を、一時国有化することをも行われました。今も続いています。
いくつもの課題と教訓が残りました。1990年代初めから、いくつかの銀行が経営危機に陥り、また予備軍もいるといわれ、銀行(金融システム)を守るために公金を投入すべきだという議論はありました。しかし、なかなか実現しませんでした。大議論をして、住専処理のために入れたのが1995年、6850億円でした。最終的には、70兆円を用意しました。もっと早くに大きな額で投入しておれば、被害は少なかったのではないかといわれています。
もっとも、なぜ銀行だけを特別扱いするのか(普通の企業が倒れても公費では救いません)という意見も強く、また銀行の方も「自分のところが危ないと思われる」という意識で最後になるまで自らは救いを求めませんでした。大手銀行や証券会社が倒産し、取り付け騒ぎが起きたからこそ、巨額の公費投入が、国民の理解を得たのです。
また、それまでは破綻させることなく護送船団で守る、どこかの銀行に救済合併させるというのが行政の方針でした。そして、行政当局が、どの程度それら金融機関の経営悪化を把握していたのか、という問題も指摘されています。
バブル崩壊から立ち直りつつあった日本経済に、追い打ちをかけたのが1997年の金融危機でした。護送船団方式という行政のあり方を変え、危機の場合は巨額の公金を投入しなければならないという経験を残しました。その後、破綻した企業を、国策会社(産業再生機構)が再生するという手法も導入しました。大学生にとっては、小学生の時の話で、知らないでしょうね。行政学にとっても、大きな教材です。連載に期待しましょう。

ブラックマンデーの意味

19日の日経新聞は、「ブラックマンデーから20年」を特集していました。1987年10月19日、ニューヨーク株式市場が、これまで最大の2割も暴落しました。1929年の大恐慌の時(10月24日、ブラックサーズデイ)が13%の下落ですから、いかに大きかったかがわかります。しかし、アメリカ経済も世界経済も、この時は大恐慌に陥ることなく、復活します。
だから、ブラックマンデーそのものは、経済史に大きく扱われていないと思います。意味を持つのは、なぜ起きたか、そしてアメリカはそれにどう対処したかです。さらに重要なのは、その後、世界経済はどう変わったかです。
暴落の背景となった経済条件はありますが、犯人の一人は、コンピュータのプログラム取引=株価が下がると自動的に売りを出す仕組みでした。
1980年代に日本は、1人当たりGDPでアメリカを抜きます。財政と経常収支の大幅な赤字に悩んでいたアメリカは、市場の信認を取り戻すため、財政再建に取り組みます。それに成功したグリーンスパンFRB議長は、高い評価を得ました。
一方、日本はジャパン・アズ・ナンバーワンとおごり、バブル経済に入ります。2万円台だった平均株価は、4万円近くまで上がりました。しかし、バブルが崩壊し、株価は8千円を割り込むところまで落ちました。もっとも、1991年にバブルが崩壊したのに、最安値をつけたのは2003年です。これが、失われた10年といわれるゆえんです。現在でも1万7千円前後です。そして、実物経済を含めて、勝者と敗者が逆転しました。
また、金融のグローバル化が進み、金融工学が進み、市場が政府を振り回すようになりと、いろんなことが進みました。経済学、経済財政策にとっても、進歩の20年だったのではないでしょうか。実態が大きく変化することで、学問と行政が後を追ったのです。
20年というのは、結構長い年月です。しかし、同時代を経験した私には、この間のことは、つい最近の出来事と感じられます。でも、学生にとっては、生まれた頃の話ですね。新聞を読んで勉強してください。

負担と受益の将来推計

17日に諮問会議に出された「給付と負担の選択肢」について、いくつか問い合わせや意見がありました。その意義や「増税誘導ではないか」といったものです(もっとも、私はこの件について、直接の担当ではありません)。
常々言っていますが、経済財政諮問会議で、歳入と歳出が一体的に議論できるようになりました。これまでは、国税(政府税調、党税調)と歳出予算(各部会)は、別々に議論されたのです。足らない分は、国債に頼りました。さらに、歳入であっても、国税(財務省)と社会保障負担(厚労省)は、別に議論されました。それらが、一体的に議論できるようになったのです。
また、これまでは、当年度の財政収支と翌年の収支見通しは、明示されましたが、将来推計は十分にはなされませんでした。例えば、制度が変更ないとしてといった条件での、粗い推計でした。今回の試算は、経済成長率を場合分けし、歳出削減額や社会保障の伸びを場合分けして、試算してあります。そして、借金残高が発散しないようにするためには、どの程度の増税が必要かを示したのです。
ある記者曰く、「このような試算を出すのが、遅すぎるくらいですね」。
そうですね、高度経済成長期、安定成長期に、増税をしなくて済んだ成功体験の「負の遺産」でしょう。高齢化率が世界一、社会保障も成熟し、公共事業は西欧先進諸国より大きく、それでいて消費税はかの国が20%近いときに、日本だけが5%なんて、魔法使いでない限りできませんよ。それを、子々孫々に借金として残しているのです。「新地方自治入門」p113以下とp299をご覧ください。
私は、この世代間の不公平は、とんでもない罪だと考えています。将来、子や孫たちは、私たち世代をどう評価するでしょうか。私たちの1世代前は、経済大国を残してくれました。2世代前は、戦争で世界各国特にアジアの国々に、日本の悪評という負の遺産を残しました。