「経済」カテゴリーアーカイブ

経済

繰り返される金融危機・市場経済に内在する不確実性

26日の日経新聞経済教室は、奥村洋彦教授の「繰り返される金融危機。不確実性の分析、不可欠」でした。不確実性が高まったと言われますが、金融危機は今に始まったことではありません。1970年代以降でも、イギリスでの中小金融機関の経営危機、日本や北欧のバブル経済、アジア通貨危機、アメリカでのS&L(貯蓄金融機関)問題、ヘッジファンドLTCMの破綻、ニューエコノミー・バブル、そしてサブプライムローン・バブルと続き、むしろ常時生み出されるものと指摘しておられます。
人間が経済活動を行う以上、バブルの発生と崩壊は不可避との考えがあります。ケインズらは、現在の経済行動は人々が将来をどう予測するかにかかっていること、将来の「場」は現在や過去の「場」とは異なるので、何が起きるかを客観的な確率で予想できず、主観的な確率に頼らざるを得ないことなどを理由に、経済システムには不確実性が内在していると考えました。さらに、客観確立のある場合をリスクとし、ない場合を不確実性と区別しました。
どうして、バブルはいつか崩壊するとわかっていながら、失敗するのか。詳しくは、原文をお読みください。

骨太の方針2008

今日27日に経済財政諮問会議で、「経済財政改革の基本方針2008」(骨太の方針2008)が答申され、直ちに閣議決定されました。
今年のポイントの一つは、「骨太の方針2006」で決めた歳出歳入一体改革を堅持することです。これについては、各紙が報道しているように、「歳出削減は限界だ」「新たな歳出要素が出てきて、この原則は守れない」との大きな声が、各省や与党からありました。この点については、大田大臣の記者会見をご覧ください。
もう一つは、低炭素社会の構築が、柱として立ったことだと思います。そのほか、道路財源の一般財源化など、これまでに決まったことも、含まれています。

基礎年金消費税方式

25日の日経新聞経済教室は、八代尚宏先生の「未納こそ年金財政のカギ。税方式で真の皆年金、保険料は厚労省の目的税」でした。
未納の実質放置は、国民皆年金の放棄に等しいこと。税方式は、未納問題がなくなること。社会保障国民会議の年金財源試算には、あり得ないケースも含まれていること。年金の税方式化は、全体では負担増にならないことを主張しておられます。私は、先生の主張に賛成です。

石油危機の歴史

8日の朝日新聞時時刻刻が「迫る第3次石油危機」を解説していました。その中で、第1次・第2次の石油危機と今回を対比した表を載せています。
第1次石油危機(1973・74年)では、1バレル当たり3ドルが12ドルまで4倍に上昇。物価上昇率は20%に達しました。トイレットペーパーなどが店先から消え、戦後初めてマイナス成長になりました。第2次危機(1978~82年)では、1バレル12ドルが34ドルに、約3倍になりました。物価は8%上昇しましたが、社会での混乱は生じませんでした。
今回(2003年~)は、1バレル25ドルが現在140ドル近く、5倍になっています。今のところ、物価上昇にはならず、景気は(もともと弱いですが)減速していません。
かなり耐性がついたようです。エネルギー源に占める石油の割合は、1973年度の77%から、現在は50%以下に落ちています。発電は、75年には石油火力が62%だったものが、現在は8%。発電効率は3割から5割に上がっています。
24日の日経新聞経済教室は、吉川洋教授の「社会保障国民会議ー中間報告の焦点」でした。

前川リポート

17日の朝日新聞・変転経済は、「前川リポート」でした。アメリカとの貿易不均衡は、「貿易摩擦」と呼ばれ、激しい対日批判がおきました。1980年代は、アメリカが経済的に自信をなくし、日本がJapan as No1と浮かれた時代でした。アメリカからの批判に答えるため、日本の経済構造をどう変えるかが議論されました。さらにこの後、日米構造改革協議が行われました。
このリポートは、その後、日本経済がバブル経済に飲み込まれ、目標を達成しなかったと評価されています。詳しくは記事を読んでもらうとして、私はこのリポートは大きな意味があったと思います。
それまで日本は、せっせと輸出してお金を稼ぐ、という発想に囚われていました。もちろんそれが成功して、世界第2位の経済大国になったのです。しかし、そこまで大きくなったときに、国際社会で一人勝ちしては、許されないでしょう。日本は、もはや発展途上国ではなく、トップを走る先進国になったのです。しかし、国民の意識は、まだ切り替わっていなかったのです。このリポートは、輸出志向から内需拡大へと、方向転換を打ち出しました。
「日本人は貧しさの中で生き方は知っているが、豊かさの中での生き方は知らないのじゃないか」。これは、大平首相の言葉です。「新地方自治入門」p181で、紹介しました。
1986年のことですから、もう22年もたつのですね。私は、鹿児島県で課長をしていました。プラザ合意(1985年)による円高不況に、苦労していました。今の大学生には、わからないことですね。