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経済

経済再生に苦しんだ平成時代

2月23日の日経新聞「平成の30年 経済再生 試練の時代」から。

福井俊彦・元日本銀行総裁の発言。
・・・戦後復興、高度成長の時期を経て平成の時代を迎えました。戦後成功物語の頂点は1980年代半ばごろでしょう。日本の産業界が「もはや世界に学ぶものなし」と言い始めたのがこのころです。
その後、日本は世界の先頭で新しい道を切り開くプレーヤーの一人として歩むべき時代に入りました。自ら経済・社会のモデルチェンジを施しながら前進する。それが容易にできず今日に至るまでその苦しみを味わい続けています・・・

・・・平成時代の金融政策から得られた教訓は、金融政策の役割は、人々の価値創造への努力や、傷ついた企業・金融機関が次の段階にいく過程を背後から支援する縁の下の力持ちであるということです。問題のすべてを解決できるわけではありません。平時は金利機能を生かし、異常時は金利機能をあえて封殺し流動性を豊富に供給して支える。だが、過剰な介入はかえって将来に禍根を残します。財政との関係でもそうです・・・

村瀬拓人・日本総合研究所副主任研究員の発言。
・・・人生のほとんどが平成だった世代としてこの時代をみると、日本の構造的な問題が顕在化するなかで対応することができなかった30年だと感じています。
私が大学に入ったのは2003年で、金融危機の処理の最終段階でした。就職氷河期も終わり、リーマン危機はありましたが最悪期はすぐに脱しました。比較的緩やかな成長を見てきた世代です。
低成長が普通と考えているので、景気がすごく良くなるという期待感もないし、それなりに成長が続けばよいという世代ではないでしょうか。・・・

平成時代、日本企業敗北の時代

3月9日の日経新聞「平成の30年 日本企業、再生への苦闘 平成から次代へ」、小林喜光・経済同友会代表幹事の「敗北見つめ新境地開拓を」から。

・・・反省をこめて言えば、日本企業は平成時代に手痛い敗北を喫しました。世界の株式時価総額ランキングを見ると、平成の初めには世界トップ20社のうち14社までを日本企業が占めましたが、昨年末は1社も入っていません。米国と中国のデジタル系企業が上位を占有し日本の存在感はゼロです・・・

・・・さらに気がかりなのは、国民の多くがこうした危機感や問題意識を持つことなく、日々の生活に満足しているようにみえることです。内閣府の調査では74.7%の人が今の生活に満足と答え、しかも若い世代ほど満足度が高いです。
国民一般だけではありません。過去4年、経済同友会の代表幹事として政治家や官僚とも多く接触しましたが、かなり近視眼的だと感じます。選挙で頭がいっぱいで痛みを求める改革に踏み出せない。経営者でいえば、目先の業績を気にするあまり、長期の展望に立った投資や事業のリストラを先送りするようなものです。アベノミクスの6年間は株高や円安で心地よかったですが、新たな飛躍や成長のタネは生まれませんでした・・・

西條都夫記者の解説から。
・・・日立製作所は日本を代表する企業の一つだが、・・・ところが、巨体のわりに中身(利益)は貧弱で、30年分を合算した営業利益は10兆1千億円、純利益は1兆7千億円にとどまる。最近数年の復調がなければ、純損益の赤字転落もあり得た。昭和時代に築いた事業モデルや成功体験が行き詰まり、時代遅れになったのは誰の目にも明らかだった。
そんな状況を同社が直視し、本格的に改革に乗り出したのはリーマン・ショックで巨額の赤字を計上して以降の過去10年のことだ。一度は引退しながら、09年に会長兼社長にカムバックし、再建の指揮をとった川村隆氏は「昔の日立には悪い事業をやめる発想がそもそもなかった」という。

日立は巨大な共同体であり、働く人たちは大切な仲間だ。そんな彼らを共同体の外に放り出すことは許されず、業績が悪化すれば、賞与のカットなど痛みを全員で分かち合うことで、乗り切ろうとした。
だが、この手法には限界がある。競争力を失った事業を抱えながら、多少のリストラやコスト低減をしても、「沈む巨艦」は浮揚しない。見込みのない事業を外部に売るなど外科手術を勇気をもって実行したのが川村改革の特長だ。「なぜあの事業を切ったのか、OBや関係者から叱責され、つらい思いもしたが、それに耐えるのも経営者の役割だ」と川村氏はいう・・・
・・・過去の自分を否定し、新たな時代に適合する組織文化や事業モデルを模索する。日立の30年間の悪戦苦闘は、他の日本企業や日本経済全体の歩みの相似形である・・・
原文をお読みください。

世界GDP、1900年で11倍、150年で31倍に

2月25日の日経新聞1面「進化する経済 見えざる資産、成長の源に」が、「無形資産、有形の1.5倍に」を解説しています。

・・・経済が進化している。産業革命以来、人類は技術を磨き、モノを効率よく大量につくることで経済を成長させた。そんな常識をデジタル技術の進歩と地球規模での普及が覆す。富の源泉はモノではなく、データや知識など形のない資産に移った。これまでの延長線から離れ、経済は新たな未来を探る。豊かさとは何か。新しい経済「ネオエコノミー」の実像を追う・・・

・・・英経済史家アンガス・マディソン氏らによると、西暦1年から1900年近くかけてやっと11倍になった世界の国内総生産(GDP)は、その後たった150年弱で31倍に膨らんだ。自動車などモノの大発明が原動力だった。ところが20世紀後半に年率4%だった成長率は21世紀に入って年率2%に鈍り、「長期停滞」も論じられている。
成長の時代は終わったのか。インターネットには検索やSNS(交流サイト)など無料サービスがあふれる。米調査会社コンファレンス・ボードのキャロル・コラード氏らは17年の米国のGDPで無形資産への投資が12%を占めたのに、うち6割は公式統計が把握していないとみる。値段のない豊かさはGDPという尺度では測りきれない。
「国境がなく、形も持たないデジタル技術は、世界経済を根本的につくりかえている」。20カ国・地域(G20)が共有する危機感だ。国家はこれまでモノの豊かさを測る基準を定め、税制や社会保障を通じて富を分配してきた。目に見えない豊かさが広がり、国家という枠組みを根底から揺さぶる。経済の姿をとらえ直し、秩序をつくりあげるときが来た・・・

紀元1年から最近までの世界GDPの伸びがグラフで示されています。この150年間は、人類の歴史で異常な時代だったのですね。また、各国の有形資産と無形資産の比較も出ています。

記事の続きで、カリフォルニア大学バークレー校のブラッドフォード・デロング教授が次のように指摘しています。
「経済学者は『アダム・スミス・プラス』の考え方を持つ必要がある。アダム・スミスは分業と良く管理された市場による需給の均衡を説いた。だが技術の変化をどうとらえたらいいのか・・」。

サービスの3形態

2月14日の日経新聞「やさしい経済学」「サービスの設計と価値の創出」で、西野成昭・東京大学准教授が、サービスの価値提供方法の3種類を説明しておられます。

第1は、マニュアル通りの型にはまった接客です。ファストフード店です。
客もお店も、サービス内容を知っています。それが、双方の強みです。

第2は、美容院のように、客は自分の要望を店に伝えます。そして、客との対話の中で、客の要望をかなえていきます。
客ごとに、頭の形や好みの髪型が違うので、見本はあってもその通りとは行きません。

第3は、客と店とが、ともに作り上げていくものです。利用者の意向に合わせて案を練って、旅行を企画します。
ツアー旅行は第1の型、ツアー旅行でもオプション付きは第2の型でしょう。

お寿司屋さんで、握りの定食は第1の型、お品書きから選んで握ってもらうのが第2の型、職人さんと相談しながらネタを選ぶのが第3の型でしょうか。
なるほどと思います。原文をお読みください。

日本の電機産業の衰退

2月10日の朝日新聞連載「平成経済18」は、「総合電機、解体への歩み」でした。
戦後日本の成功を象徴する産業だった電機。テレビ、ビデオ、パソコン、そいて半導体など、世界の最先端を行っていました。それがいまや、見る影もありません。この記事は、その実情を報告しています。
電機メーカーは残っていますが、売っている物は大きく変わりました。ある人に聞くと、「秋葉原がその象徴でしょう」とのこと。かつて電気街だった秋葉原は、今行くと電気店はなく、オタクの聖地になっています。

「選択と集中に失敗した」「先の見通しが甘かった」と言えばそれまでですが。それらは、後から言えることであって、当時の当事者は夢にも思っていなかったでしょう。
成功の次に、あるいは成功の影に、失敗が待っています。

それはさておき、ここで紹介したいのは、その記事に付いている「電機大手の従業員の推移」のグラフです。2008年に約160万人だったものが、2018年に約120万人に減っています。日立、パナソニック、三洋電機(途中で消滅)、ソニー、東芝、富士通、三菱電機、NEC、シャープです。
意外です。4分の3に減っていいます。しかし、それしか減っていないとも取れます。壊滅的状況ではないのです。関連会社などは、大幅に減っているのでしょうが。

「平成の日本は失敗の時代だった」と呼ぶ人が多いです。確かに、経済成長や支配的産業の面で、トップクラスから落ちたことは事実です。栄光の時代から低迷の時代へとです。
ところが、経済成長率も低いながらプラス、そして失業率も低いのです。いくつもの問題を抱えつつ、社会は安定しています。
後世、「あの時代は、そこそこよかったな」と言われるかもしれません。