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経済

振り返る「失われた20年」

朝日新聞「変転経済」取材班編「失われた〈20年〉」(2009年、岩波書店)を読みました。
小峰隆夫著『平成の経済』に続いてです。改めて「失われた20年」を勉強しようと有識者に聞いたら、この本を推薦してくれました。この本も、優れものです。

経済復活のために取られた、いくつかの政策や企業の判断が取り上げられ、その経緯と日本社会に及ぼした影響が具体的に描かれています。
朝日新聞の記事を、加筆編集したものです。そのような本は、しばしば記事を集めただけで、筋が通っていないことが多いのですが。この本は、かなり編集しているようです。わかりやすいです。

2009年と10年前のものですが、失われた20年の雰囲気がよく伝わってきます。当時を知っている人は、思い出すために。当時を知らない人は、勉強のために。お勧めします。

小峰隆夫著『平成の経済』

小峰隆夫著『平成の経済』(2019年、東洋経済新報社)を読みました。連載「公共を創る」の執筆に当たって、平成時代の経済をもう一度確認するためにです。読まなければと思いつつ、先延ばししていました。専門家に「どの本がよいですか」と聞いたら、何人かの人が、この本を推薦してくれました。

確かに、よくできています。平成30年間の経済の動きを、いくつかの時期に区切って、その特徴を切り出します。そしてなにより、当時の関係者(政治、行政、産業界、エコノミスト、マスコミ)の意識、取られた政策、その評価が書かれています。これは、官庁エコノミストであった小峰先生でなければ、書くことができなかったでしょう。

平成時代の経済は、バブルで幕を開け、その崩壊、不良債権処理、長引くデフレ、金融危機(金融機関の倒産)、回復、そして世界金融危機(リーマンショック)と、大きな波に翻弄された時代でした。政府も、手をこまねいていたわけではありません。次々と大型の経済対策や、不良債権処理対策、金融危機対策を打ちました。そこには、新しい政治過程も生まれました(与野党協議、財金分離、経済財政諮問会議などなど)。
政策の評価は、なぜそのようなものが採用されたか、なぜその時期になったか、なぜある政策は実行できず、効果が疑問視された政策が実行されたのか。極めて、客観的な評価になっています。

終章は「平成経済から何を学ぶか」と題して、平成の経済政策の失敗から学ぶべき教訓が整理されています。
1 認知が遅れること(バブル、デフレの例)
2 経済学的にあいまいな政策を避けること
3 経済政策を遂行するには、政策立案の分析力とともに実行していく政治力が必要なこと
他に7つの項目が挙げられています。
また、第15章では「これからの経済的課題」として、これまで十分取り組まれなかった課題なども議論されています。

昭和30年(1955年)生まれの私にとって、平成時代は34歳から64歳で、官僚として活動した時代に当たります。ついこの間のことと思えます。しかし、若い人たちにとっては、子供のころのことが多いでしょう。平成元年に20歳だった人は、現在51歳ですから。体験していないこと、学校で教えてもらっていないことが多いと思います。この本は、お勧めです。

近年の経済危機の歴史

3月24日の日経新聞経済教室は、伊藤隆敏・コロンビア大学教授の「コロナ対応で再度強化必要 異次元緩和、8年目へ」でした。
詳しくは原文を読んでいただくとして、そこに、「経済ショック時の株式相場下落率と回復期間」の表がついています。分かりやすいです。
発生年、アメリカでの下落率とその期間、回復に要した期間が載っています。そこを抜粋します。

ブラックマンデー(1987年)、33.5%、3か月。1年11か月
ITバブル崩壊(2000~2002年)、49.1%、2年6か月。7年2か月
世界金融危機(2007~2009年)、56.8%、1年5か月。5年6か月
コロナ・ショック(2020年)、31.9%、1か月。?

イオンとセブンイレブン、勝利の後に

2月13日の日経新聞オピニオン欄、中村直文・編集委員の「流通0強の時代に セブン・イオン、拡大の大義薄れる」から。イオンがスーパー業界で、セブンイレブンがコンビニで、拡大路線で勝利したことを紹介した後で。

・・・流通2強の競合時代を振り返れば、安さだったり、便利さだったり、消費者が望む”大義”が成長の原動力となってきた。2強は平成の三十数年の間、ショッピングセンター(SC)とフランチャイズ(FC)に金融を絡めたモデルでのしあがった。物量の規模で他社を圧倒、生活インフラとしての価値を生み出した。
ところが、追いすがる敵のいない頂上で、予想もしなかった逆風にさらされている。新しいデジタル消費の現実、アマゾンなど外資の攻勢に対して、足元を固めるのに精いっぱい。勢いが感じられない。業界内、消費者に対して大義を示せないのであれば、それは強者とは呼べない。その意味で、流通は「0強」の時代に突入した。

恐らくこの先、イオンとセブンを中心とした再編劇は見られなくなる。撤退した小売りや店舗の買い手はつかず、各地に荒涼とした風景が広がりそうだ。
1月に突如営業を終了した山形市の百貨店、大沼はその最たる例といえる。00年代、地方中心都市の百貨店なら必ず買い手がついた。三越伊勢丹ホールディングスが系列化を進めた札幌の丸井今井、福岡の岩田屋などがそうだ。これからは単に空き店舗になるだけ。山形県に続き、百貨店の空白県が生まれるだろう・・・

・・・日本経済の本質は海外のコンセプトやアイデアを企業がうまく取り込み、日本人の感覚に合う形にかみ砕き、市場を広げたところにある。流通だけでなく、メーカーも同じだ。島国であることも奏功し、外資からの攻勢を免れた。
だが、デジタル時代で風景が変わった。実物に頼らない経済のソフト化はアイデアなど知的資産がものを言うし、リアルタイムの勝負になる。産業界はこのことを理解しながら手を打てていない。かつての強者が苦しむ姿は流通だけではない。電機、情報機器など様々な分野で、業界をけん引してきた巨人企業が方向感を見失っている。ネット産業も強者は海外。国内に世界企業はいない。

もっとも消費者は楽しんでいる。アマゾンやフェイスブック、ディズニーランドやユニバーサル・スタジオを。だがこれでは国力があがるとはいえない。インバウンドであれ、アウトバウンドであれ、世界で売れるグローバルコンテンツがない限り、どんどん国民の消費の棚は海外で埋め尽くされる。令和の時代、自立性なき未来を楽しんでばかりもいられない・・・

見えざる手だけでは成り立たない経済

1月26日の読売新聞言論欄、堂目卓生・大阪大教授 の「誤解されっぱなしの経済」「見えざる手 その心は共感」から。

・・・みなさん、聞いたことがあるでしょう。富を分かちあう気のない人が、利己的に活動をしても、その方がかえって全体の富を増大させる、それがスミスのいう「見えざる手」だと。
これも、ある意味、誤解です。スミスは最初の著作「道徳感情論」(1759年)で、人が野放図に富の獲得を目指せば社会の秩序は乱れると論じます。そして富への欲望だけでなく、人間にあるもう一つの本性を使おう、その能力を使えば富を得ながらも富に囚とらわれず、心の平静を保つことができる、と書いています。
それが「共感」、シンパシーです。誰でも人が泣いていたら悲しいし、喜んでいたら一緒に笑いたくなる。こうした共感は、損得勘定とは別の能力で、人間に自然と備わっている。家族だったら自分だけ食べて、他の人に食べさせないということはしませんね。当然、分けあいます。他人でも目の前に飢えている人がいれば、自分が相手の立場だったらどんな気持ちになるか想像し、利他的な行動をすることもある。こうした共感によって自分の行動を制御することができれば、それぞれが自由な経済活動をしても、おのずから最低限の富が全体に行き渡る――これが「見えざる手」によってスミスがイメージしていたことだった、と私は考えています・・・

・・・では、なぜ、スミスは誤解されたのでしょう。それは蒸気機関の時代に生きたスミスの予想をはるかに超えたスピードと規模で科学技術が発達し、富と人口が爆発的に増え、物が豊かになり、消費が増えれば幸せになるという世界観が誕生したことにあります。
富や地位への野心は、勤勉、創意工夫などを通じて繁栄に貢献しました。一方で、物の豊かさに目を奪われ、目に見えない文化や習慣、伝統などは軽んじられました。そして、歯止めのかからない野心、利己心から、今や富は偏在し、少数の富裕層が世界の資産の大半を握り、貧しい人は置き去りにされています。その結果、他人を顧みない富の追求が経済だと誤解されるようになったのです。
こうした経済の学祖とされているのをスミスが知ったら、さぞかし不本意でしょう。同時に米中貿易紛争に見られるような保護主義的な介入を見たら、約250年前の重商主義時代となんら変わっていない、と嘆くでしょう・・・