6月18日の朝日新聞オピニオン欄「サヨナラができない」から。
・・・「サヨナラだけが人生だ」という言葉がある。その通りと思ってきた。だが、スマホ1台で地球の果てまで「つながり」に追跡される時代は、「サヨナラできないのが人生だ」なのかも。
「不安な未来より過去の縁」 土井隆義さん(社会学者)
かつて若者の交友関係は、中学、高校、大学へと進学するに連れ、入れ替わっていくのが常でした。でも今は違っているようです。高卒で就職した同窓生と会って遊んでいる大学生はよく目にしますし、中学時代の仲間も「同中(おなちゅう)」と呼んで大切にしています。
近年は生まれた土地の人間関係がずっと維持されて、生活拠点が変わっても付き合いが消滅することはあまりありません。惜別と出会いで関係が更新された時代とは異なっています。
交友関係が入れ替わらない理由に、LINEのようなツールの浸透があるのは事実でしょう。しかし彼らの心理として、新しい関係を作ることへの不安が大きいのもまた事実です。
1990年代から2000年代にかけての日本では、ネットの発達にとどまらない大きな変化が起きています。1人当たりのGDP(国内総生産)も実質賃金も上昇から横ばいへと転じ、右肩上がりの時代が完全に終わったのです。
かつての若者にとって、未来とは目前にそびえる山のようなものでした。努力して登れば、一段高い自分になれると信じられた。しかし今の若者には、未来は平坦な高原としか映っていません。しかも霧がかかっているし、下りもあるかもしれないと感じてしまう。
「大学生の生活と意識に関する調査」(20年)では、「日々の生活で考えていることは」の質問の回答で、「よりよい未来を迎えられるよう」が約17%に対し、「過去を振り返りながら」が約30%と大幅に上回っていました。
積極的に未来へ目を向ける若者もいます。しかしそこでも「これから」の不安を減じる保険であり、時には命綱となるのが「これまで」の人間関係です。
一番安心できるのは血縁で、どの調査でも近年は家族を大切に思い、両親を尊敬する若者が多数派です。生まれた地域に今後も住み続けたいと答える者も多い。幼少期から同じ環境で気心の知れた仲間が「これから」の資産なのです。
血縁や地縁のような、かつて多くの若者が「しがらみ」と感じて嫌い、抜け出したいと願った「枠組み」に、むしろ積極的に包摂されることで安心感を得たいと思うのが今の若者です・・・