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佐伯啓思先生「SNSが崩した近代社会の大原則」

2024年12月25日の朝日新聞オピニオン欄、佐伯啓思先生の「SNSが壊したもの」から。いつもながら鋭い分析です。原文をお読みください。

・・・21世紀は情報社会であり、それを支えるものはデジタル技術である。この20~30年におよぶデジタル革命は、まちがいなくわれわれの生活を大きく変えてしまった。とりわけSNSが社会に与える影響は途方もなく大きく、様々な問題を生み出している・・・
(トランプ現象などを取り上げたあと)
・・・欧米においても日本においても、「既存のマスメディア」は、基本的に近代社会の「リベラルな価値」を掲げ、報道はあくまで「客観的な事実」に基づくという建前をとってきた。そして「リベラルな価値」と「客観的な事実」こそが欧米や日本のような民主主義社会の前提であった。この前提のもとではじめて個人の判断と議論にもとづく「公共的空間」が生まれる。これが近代社会の筋書きであった。
SNSのもつ革新性と脅威は、まさにその前提をすっかり崩してしまった点にある。それは、「リベラルな価値」と「客観的な事実」を至上のものとする近代社会の大原則をひっくり返してしまった。民主政治が成りたつこの大原則が、実は「タテマエ」に過ぎず、「真実」や「ホンネ」はその背後に隠れているというのである。「ホンネ」からすると、既存メディアが掲げる「リベラルな価値」は欺瞞的かつ偽善的に映り、それは決して中立的で客観的な報道をしているわけでない、とみえる。

一方、SNSはしばしば、個人の私的な感情をむきだしのままに流通させる。その多くは、社会に対する憤懣、他者へのゆがんだ誹謗中傷、真偽など問わない情報の書き込み、炎上目当ての投稿などがはけ口になっている。SNSは万人に公開されているという意味で高度な「公共的空間」を構成しているにもかかわらず、そもそも「公共性」が成立する前提を最初から破壊しているのである。
今日、公共性を成り立たせている、様々な線引きが不可能になってしまった。「公的なもの」と「私的なもの」、「理性的なもの」と「感情的なもの」、「客観的な事実」と「個人的な臆測」、「真理」と「虚偽」、「説得」と「恫喝」など、社会秩序を支えてきた線引きが見えなくなり、両者がすっかり融合してしまった。「私的な気分」が堂々と「公共的空間」へ侵入し、「事実」と「臆測」の区別も、「真理」と「虚偽」の区別も簡単にはつかない。SNS情報の多くは、当初よりその真偽や客観性など問題としていないのである。「効果」だけが大事なのだ。これでは少なくとも民主的な政治がうまく機能するはずがないであろう・・・

・・・通常の財やサービスについては消費者は対価を支払う。それが市場の原則である。しかしSNSのような情報取引においては、消費者(使用者)は対価を支払わない。「いつでも、どこでも、誰とでもつながる無料のサービス」という奇妙なものが市場経済の中枢で無限に自己増殖してゆくのだ。
一方、プラットフォームの製作者や管理者は、大きなコストを必要とせずに広告収入で労せずして世界の支配者となってゆく。プラットフォームを使用するインフルエンサーはあちこちに自分の領地をもつ小ボスになる。そしてそれと連動するかのように、「既存のメディア」は力を失い、既存の民主政治は機能不全に陥ってゆく。
これは、高度な公共性をもつはずの情報・知識や通信ネットワークという「公共財(万人のインフラストラクチャー)」を、公的部門の管理にではなく、私的な市場競争に委ねた結果であった。

何かが間違っていたのだろうか。いやそうではあるまい。それはわれわれが、近代社会をとことん推し進めようとした結果ではなかろうか。
なぜなら、近代社会は、なんといっても個人の自由と幸福の追求に絶対的な価値を認めてきたからである。個人の活動の障害となる、既存の権力や伝統的権威、集団の規律、国境のような恣意的な線引きにはあくまで抵抗してきた。そしてそれが行きついた先が、グローバリズムであり情報革命である。ここでは個人の自由は最大限発揮される。
情報化にせよSNSにせよ、もとは権威主義的な政府に対抗する左翼リベラル派の戦略であった。しかし、皮肉なことに、情報ネットワークで世界を結ぶという計画を打ち出した民主党のクリントン大統領の情報革命が、その30年後には、トランプ氏の大統領返り咲きをもたらして民主党を窮地に追い込んだのである。
SNSのような「何でも表現できる自由なメディア」を称揚してきたのは、近代社会の「リベラルな価値」の信奉者である。とすれば、SNSによる政治と社会の混乱は、ただこの技術の悪用というだけの問題ではない。それはまた、近代社会を支えてきた「リベラリズム」という価値観の限界を示しているとみなければならないであろう・・・

孤独とともに発展したコンビニ

2024年12月8日の日経新聞日曜版に「「家庭」を商品化したセブンイレブン50年 孤独を伴って」が載っていました(これも古い記事ですが、速報性とは関係ないので許してください)。

・・・・セブンイレブンが日本に登場して今年で50年を迎えた。小さなスーパーなのか、新しいよろず屋なのか、誕生間もない頃はなんとも形容しがたい「異形の商店」だったが、2万店を超える巨大チェーンに成長。その影響力は世界にも及び、ついにカナダの同業と創業家による数兆円規模の買収合戦にまで発展した。

改めてセブンとは何だったのか? なにがここまで消費者、ビジネス界を魅了しているのか?
歴史を振り返ると、日本の家庭生活に深く入り込むと同時に「日本型個人社会」の発達がセブンやファミリーマート、ローソンなどコンビニエンスストアを世界に類のない小売業に育ててきたように思える。

1号店がオープンした1974年はダイエー主導の流通革命が進行し始めた頃だ。それは価格革命だった。大量仕入れ・大量販売で食品からテレビまで物価を下げ、夫婦と子供ふたり家族を主な顧客層として「経済の民主化」を推し進めた。
しかしセブンは違う。価格ではなく、「便利さ」と「習慣」に着目したのだ。例えば専業主婦という言葉が定着したのは高度成長期で、仕事が忙しい夫とこれを支える妻という「分業」が効率的だったからだ。まるで家庭の「原風景」にも見えた専業主婦型モデルだが、実は70年代には変化しつつあった。
分業化は落ち着き、女性の就業率は上昇していく。例えば1978年には「結婚しない女」という映画がヒット。女性の自立をテーマとした内容で、まさに意識と行動変化を映していた。セブンの創業者である鈴木敏文氏の口癖はまさに「社会の変化を捉える」。今の社会の半歩先にこそ、コンビニの潜在的なニーズがあると確信していた。
とは言いながらも、実はセブンも最初は品ぞろえに困惑していた。親会社のイトーヨーカ堂で若い顧客が買っていそうなものを置いたり、日本は生もの需要が多いのでスーパー的に生鮮品を置いたり、試行錯誤が続いた。購買経験を見ているうちにようやくコンセプトが定まった。「調理する必要のある生鮮品は不要で、調理しなくていい食品を柱にする」
まさに「家庭の商品化」こそがセブンおよびコンビニの成長源となったわけだ。鈴木氏はこんな発言をしている。「おにぎりやお弁当は日本人の誰もが食べるものだからこそ、大きな潜在的需要が生まれる。良い材料を使い、徹底的に味を追求して、家庭でつくるものと差別化していけば、必ず支持される」・・・

ここまで日本型コンビニが成長した背景には、おひとり様社会の成熟化も無視できない。博報堂生活総合研究所は年初に個の時代の幸福をテーマとしたイベント「ひとりマグマ」を開催し、日本の「ひとり」史を披露している。コンビニが誕生してきた1970年代は「ひとりなんてありえない」時代と位置づけていたが、2010年以降は「ひとりでも気にならない」時代と見立てる。
ひとりマグマでは「肌感覚だが、日本はファストフード店やコンビニなど世界で最も『ひとりになれる』施設が多い国だと思う」(大室産業医事務所の大室正志代表)という識者の声も紹介している。とりわけコンビニが成長してきた1990年代以降、企業や家族などの集団秩序は崩れつつある。

そもそも日本は内向きな国民性だ。ひとりで楽しめる数々の武器を手にして、縛りの強い共同体から解放された「超・個人社会」が日本で育まれているのではないだろうか。コンビニはそんな日本型個人主義と共鳴しつつ、世界でも類のない産業に変貌した。まさにコ(個)ンビニ。飽和化しつつも社会とさらに融和しながら、「異形」の小売りとして存在感を増していく気がしてならない。もちろん孤独という社会問題をはらみながらのことだが・・・
一人で過ごすクリスマス?

一人で過ごすクリスマス?

2024年12月21日の日経新聞夕刊1面に「クリスマス「ひとり」が最高! 食も旅も自分ファースト」が載っていました(古くてすみません)。

・・・クリスマスをあえて「ひとり」で楽しむことを提案する動きが目立つようになってきた。外食や旅行、持ち帰りのケーキなどジャンルも様々だ。近年はお店や観光地をひとりで訪れる「おひとりさま消費」が定着しつつある。家族や友人と過ごす人も多い季節だが、自分のペースで満喫したい人の心をとらえている。

12月上旬の午後、横浜市中心部のホテルにあるレストラン「RISTORANTE E’VOLTA -Unico Polo―」へ、ひとり客が続々と入っていった。お目当てはクリスマスシーズン限定、おひとりさまを対象にしたアフタヌーンティーだ・・・

例えば欧州のクリスマスマーケットを巡るツアーでは「女性ひとり参加限定」コースに注目が集まった。クリスマスイブの24日、当日の25日を海外に滞在する日程にしたおひとりさまプランは初めて。定員20人ほどで夏休み前から受け付けを始めると、想定を上回るペースで予約が入り、約1カ月で完売した。その後もキャンセル待ちを希望する客の問い合わせが相次いだという。
ひとりで気兼ねなく楽しめるよう、移動中のバスの座席が相席にならないように配置し、食事を取る際は団体客と離れた席を確保した。担当者は「ひとりで思い切り楽しみたい人に支持されたのではないか。おひとりさま限定にすることで、参加のハードルを下げられた」と説明する・・・

こうした動きは新型コロナウイルス禍もあって広がりを見せたようだ。博報堂生活総合研究所(東京・港)主席研究員の内浜大輔さんは「『ひとり』で過ごすことに対する価値観が変わってきたのではないか」と指摘する。
同研究所の調査では「みんなで過ごすよりもひとりで過ごすことの方が好き」と答える人の割合が1993年から2023年までの30年間で10ポイント以上上昇し、半数を超えた。ひとり行動は珍しくなくなり、楽しみ方が多様化。SNSなどで「いつでも誰かとつながれる」状況になったのも背景にあるとみる・・・

よく読むと、一人で過ごすのではなく、一人でサービスを利用するということなのですよね。
本当に一人で過ごすのは、家で一人で過ごすことでしょう。いずれにしても、さみしいと思うのは私だけでしょうか。

国内モスク、150か所

1月11日の日経新聞に「国内モスク、25年で10倍」が載っていました。

・・・国内でモスクが増えている。2024年6月時点で全国のモスクは約150カ所と、25年でおよそ10倍になった。日本の人手不足を背景に在日イスラム教徒は増え続け、身近な存在となっている・・・

推計では、在日イスラム教徒はおよそ35万人、人口の350人に1人となります。35万人と言えば、和歌山市や奈良市の人口です。1990年には3万人弱、2005年では10万人ですから、急増しています。
ハラルフードの飲食店も増えています。学校給食も、対応しなければなりません。

ペットボトル、円柱から角形へ

1月16日の朝日新聞に「ペットボトル、○形→□形 物流対策、形状を見直し」が載っていました。

・・・飲料メーカーの間で、ペットボトルを円柱形(丸形)から角柱形(角形)に変えるなどスリム化して、効率的に運べるようにする動きが広がっている。トラック運転手の残業時間が規制された「2024年問題」などで輸送力が減ることへの対策だ。ただ、ボトルのデザインは売り上げにも影響するため、判断に悩むメーカーもある。

サントリー食品インターナショナルは昨年2~5月、「サントリー烏龍(ウーロン)茶OTPP」「グリーンダカラ」「緑茶 伊右衛門 濃い味」の3商品について、600ミリリットル入りのペットボトルを丸形から角形に変えた。
ボトルの幅は丸形は7~7・2センチだったが、角形は6・4センチと細く、隙間なく詰められるため、24本入り段ボールの体積を約2割小さくできた。輸送時に使うパレット(台)に載せられる段ボールは35箱から45箱になり、トラック1台に積める数も増えた。
昨春には「サントリー天然水」の1リットル入りボトルも丸形から角形に変えた。これらの結果、輸送に必要なトラック台数を1割削減できたという・・・