「社会と政治」カテゴリーアーカイブ

社会と政治

倫理的・法的・社会的課題。ELSI

11月29日の読売新聞に「ELSI研究 活発化 先端科学 社会への影響は 混乱回避 倫理・法的観点で」が載っていました。

・・・最先端の科学技術は社会に恩恵だけでなく、予期せぬ混乱をもたらすこともある。そうした科学技術の光と影を踏まえ、研究開発がもたらす「倫理的・法的・社会的課題(ELSI(エルシー))」を検討する研究が国内でも活発化してきた。研究対象は、人工知能(AI)や脳科学など幅広い最先端領域に広がるが、人材育成など課題も残る。
利用が急拡大する生成AIでは、個人情報や著作権の保護などを巡る議論が、技術の普及を後追いするように進んでいる。ELSI研究は、こうした混乱を避けるために、技術開発の過程で社会との関係などを議論するものだ・・・

ELSIとは、Ethical(倫理的)、Legal(法的)、Social(社会的)なIssues(課題)の頭文字による略語。人の全遺伝情報を解読する「ヒトゲノム計画」が1990年に米国で始まった際、必要性が主張された。現在は、強力な計算能力を持つ量子コンピューターが既存の暗号を解読することによる混乱や、脳科学で読み取った意思に関するデータの取り扱いなど、科学技術全般で議論されている。兵器利用の是非や、技術を使える層と使えない層との格差拡大など、論点も多岐にわたる、とのことです。

科学技術の進歩が人間社会を混乱させないように、悪影響を及ぼさないように、制御しなければなりません。産業用機械や自動車などの事故の防止から始まって、核・生物・化学兵器の禁止など。科学の進歩が急速、かつ大規模なだけに、新しい問題も多岐にわたります。

アジア大会と政治

読売新聞オンライン、10月8日の「君が代や日本の得点にブーイング、韓国と北朝鮮の合同チームなし…アジア大会閉幕」から。

・・・一方、あらゆる場面で政治的な背景を感じる大会でもあった。過去大会は韓国と北朝鮮による合同のチーム結成や行進が話題となったが、関係悪化で今大会は見られなかった。

サッカー女子の日本対北朝鮮戦は、国歌斉唱で君が代が流れるとブーイングが始まり、日本が得点するたびに落胆の声が響いた。バスケットボール女子の日本対中国戦も、日本の好機のたびにブーイングが起きた・・・

国語辞典を作る

中世ラテン語の辞書を編む 100年かけてやる仕事』の続きです。いくつも、なるほどと思うことがあったのですが、一つだけ書き留めておきます。日本の辞書の歴史です。

現存する最古の辞書は『篆隷万象名義』で、空海が編集し、830年以降にできたとされています。漢字辞典です。『和名類聚抄』は930年代にできた、国語辞典兼漢和辞典兼百科事典です。広辞苑のご先祖ですかね。

明治になって、政府は一人前の国になるために、国語辞典と文法書が必要と考えます。最初の本格的国語辞書は、明治24年に完結した『言海』です。明治憲法が施行されたのが明治23年です。出版祝賀会には、初代総理大臣・当時枢密院議長の伊藤博文などが出席しています。しかし、これは私費で作られたのです。日本には、国が作った辞書は一冊もないとのことです。

日本は、国語に無関心な国だと思います。義務教育学校で国語が教えられ、規範はあるのですが、国定の文法書も書き方の標準もありません。文科省が定めた常用漢字表記のよりどころなどがあり、国立国語研究所もありますが。原稿を書いていて、どこで句読点を打つのか、迷うことが多いです。
そして、英語をカタカナで表記したカタカナ語が氾濫しています。多くは、国語辞典にも載っておらず、素人には理解しにくい、また覚えられない言葉です。カタカナにすらせず、アルファベットのままで使っている新聞もあります。
多くの国語辞典では、ひらがなとカタカナが見出しで言葉を検索します。アルファベットは見出しに立っていないのです。困ったことです。関係者は、どのように考えているのでしょうか。

弱者に徹底して優しい国

9月7日の朝日新聞オピニオン欄、鈴木幸一・インターネットイニシアティブ会長の「ネット敗戦の理由」から、いくつか気になった部分を紹介します。私には、引用した最後の段落が最も気になります。ただし、「日本が弱者に徹底して優しい国」というのは、留保が必要です。声の大きな弱者には優しいのですが、このホームページ「再チャレンジ」の分類で取り上げる弱者にはとても冷たい国です。

・・・インターネットの時代が訪れて、はや30年。その間に創業したグーグルやアマゾンなどは、今や世界を席巻するガリバー企業だ。日本には、なぜそうしたビッグテックが育たなかったのか。「ネット敗戦」とも言われる我が国の現状について、「日本にネットを創った男」鈴木幸一さんは、いま何を思うのか。
――日本初のインターネット接続事業者(プロバイダー)としてIIJを設立してから、もう30年も経つのですね。
「ネットは20世紀最後の巨大な技術革新であり、世界を変える。その変化のイニシアティブ(主導権)を我々が取るのだ、と気負った思いを社名にこめました。当時の日本社会には、どこにもそんな認識はなかった。当局は通信事業者としての厳しい条件を課してくるし、民間企業の理解もなく、私は出資を求めて説得と金策の日々。1年以上も八方ふさがりの状況でした」
「そのころ米国では、すでにUUNETという世界初の商用プロバイダーがサービスに乗り出していました。日本もそれに遅れまいと、なんとか世界の2番手で本格的なサービスを始めたのは1994年の春でした」

――当時掲げた夢や目標は、実現できましたか。
「高い技術力で日本企業のネット化を先導し続け、売上高も3千億円近くになりました。ただ、設立後7年足らずで米ナスダック市場に株式公開し、世界企業をめざした勢いからすると、どうなのかなあ。アップルやグーグルなどGAFAと呼ばれる巨大IT企業の急成長を横目にすると、なぜ、という思いが頭から離れません」

――日本は米欧や中国に立ち遅れ「ネット敗戦」状態です。なぜこんなことに?
「ネットが国防予算で成長した軍事技術、国家戦略だという視点が、平和に慣れた日本では希薄でした。文化の違いも大きい。ネット事業というのは、法制度的にはグレーゾーンだらけです。検索ビジネスもユーチューブも、著作権法を厳密に考えたら微妙な点も多い。それでも米国の事業者たちは訴訟の山になることを覚悟し、乗り越えながら突き進んできました。それと対極なのが日本社会です」

――グレーゾーンの受け入れの可否が、日米の実力差につながったということですか。
「もっと深刻な問題があります。一つは日本ではプライバシーに神経質になりすぎること。さらに日本が弱者に徹底して優しい国だということです。IT化が進むと、まず使えない弱者に配慮し、IT化を遅らせたり昔ながらの仕組みを残したりする。二つの社会インフラが必要でコストが高くなり、遅れた仕組みもそのまま残ってしまう」・・・

寛容とは

8月15日の日経新聞オピニオン欄、小竹洋之コメンテーターの「終戦の日に考えたい寛容 価値の分断越えるリアリズムを」から。詳しくは原文をお読みください。

・・・第2次世界大戦の終結から78年。私たちは「パーマクライシス(永続的な危機)」とも「ポリクライシス(複合的な危機)」とも評される時代に行き着いた。
地政学、経済、地球環境などの危機は、そろって長期化の様相を呈する。しかも複数の危機が共鳴し、個々のリスクの総和を上回る惨事に発展しかねない。

権威主義国家が生み出す安全保障上の危機は、とりわけ深刻だ。ロシアのウクライナ侵攻は1年半に及び、中国による台湾制圧の危険さえ迫る。核開発に動く北朝鮮やイランなどを含め、世界の「火薬庫」は四方八方に広がる。
これに対抗する民主主義国家もほめられたものではない。新型コロナウイルス禍やインフレで痛手を負った米欧の内向き志向は強まり、自国第一の政治が幅を利かす。人種や性、学歴などを巡る社会の分断も深まる一方だ。
米人権団体のフリーダムハウスが世界195カ国・15地域の自由度を算定したところ、「悪化」の数は「改善」を17年連続で上回った。権威主義の伸長だけでなく、民主主義の劣化がもたらす危機も憂慮すべき状況である。
民主主義を意味するギリシャ語の「デモクラティア」は、デモス(民衆)とクラティア(権力)の造語とされる。米国のトランプ前大統領をはじめ、抑圧的で排他的な指導者が助長した権力のゆがみは看過できない。だが彼らの台頭を許した民衆の緩みにこそ、本質的な問題があるように思う・・・

・・・私たちはどう振る舞うべきか。「不寛容論」などの著書で知られる東京女子大学の森本あんり学長(神学者)に尋ねてみた。
「寛容というのはきれい事ではない。自分とは異なる人、自分が否定するものを、渋々受け入れるところに本来の姿がある。不寛容の存在を認めない姿勢や、周囲に関心を持たない無寛容の姿勢から、真の寛容は生まれない」
「勝者が敗者をぎりぎりまで追い詰めず、カムバックのチャンスを残しておく。それが民主主義のありようではないか。アイデンティティーや価値観の問題に踏み入ると、徹底的に戦おうという方向になりがちだが、理想を性急に追いすぎないのが賢明だ」・・・