「社会と政治」カテゴリーアーカイブ

社会と政治

尾身茂さん、科学的厳密性と政治

日経新聞「私の履歴書」、尾身茂さんの第5回(3月5日)「緊急事態宣言」から。

・・・「第1波」が収束する見通しは一向にたたない。2020年3月末から、クラスター対策を率いてきた押谷仁さん、西浦博さん、脇田隆字さん、そして私は毎日のように新型コロナ対策を担う西村康稔経済財政・再生相と大臣室で約1時間、緊急事態宣言発出に向けて話し合いをしてきた。
本再生産数というウイルスがもつ感染力から西浦さんが試算したところ、現状のままだと1日の感染者数が5000人を超え、さらに増加するという。欧米に近い外出制限をしなければ、もはやオーバーシュート(爆発的な患者の増加)は避けられないとのことだった。
一方で人と人との接触を8割減らせば、約4週間で感染は落ち着き、再びクラスター対策が有効になるとの結果も導いていた。

4月6日午後、私は西村氏とともに首相官邸を訪れ、安倍晋三首相と面会した。世界保健機関(WHO)西太平洋地域事務局長時代に一度、フィリピンのマニラにある日本大使館でお会いしたことがあったが、首相としては初めてであった。
「明日、緊急事態宣言を出さざるを得ません」と私は切り出した。続けて「人と人との接触を8割減らさなければ、短期間での収束は難しいと思います」と述べた。
すると首相は「8割は厳しい。何とかなりませんかね」と即座に返してきた。政治家の直感として「8割削減」だと経済活動や国民生活への影響が大きすぎると判断したのだろう。

その夜、首相の意向を西浦さんに伝えた。私自身、数理モデルを基にした西浦さんの提言は画期的であると考えていた。が同時に、人と人との接触をできるだけ避けることが急務であって、8割という数字に厳密にこだわる必要はないと考えていた。
7日午前、7都府県に対し緊急事態宣言を発出するために政府が専門家に諮る「基本的対処方針等諮問委員会」が開かれた。会長の私は「最低7割、極力8割の接触機会削減」を落としどころとして提案、了承してもらった・・・

・・・国内初となった緊急事態宣言は、発出する以上にどう解除するかが困難を極めた・・・
・・・そもそも5月4日に開かれた会議で「ある程度定量的な解除基準の目安」をなるべく早く示すことが合意されていた。目安がなければ決定が恣意的になる。しかし、疫学専門家は厳密なエビデンスがない、無理だと主張。最後はこの分野の責任者、鈴木基さんにクラスター対策が再開可能な感染レベルをなんとか数値化してもらった。
パンデミック(世界的大流行)初期において得られるデータは限られる。厳密な科学的根拠に基づき提案するのがベストだが、完璧さを求めては時間がまってくれない。
「ここは学会ではない。政府に助言するための組織だ。限られたエビデンスの中で意見や判断を述べるのが専門家の役割ではないか」。私は何度となくこの点を強調せざるを得なかった・・・

尾身茂さん、厚労省の猛反対

日経新聞「私の履歴書」、尾身茂さんの第4回(3月4日)「3つの密」から。

・・・世界保健機関(WHO)は2020年3月11日、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)を宣言した。諸外国が講じた公衆衛生上の対策はまちまちだった・・・

・・・急激な感染拡大が起きて医療が逼迫すれば救える命が救えなくなる。医療崩壊は絶対に回避しなければならない。そうした思いから専門家会議は3月9日に「感染拡大の防止に向けた日本の基本戦略」をまとめた。
社会・経済活動への影響を最小限にしながら感染拡大防止の効果を最大限に引き出すにはどうすればよいか。その一つが「クラスター(集団)対策」だった。
感染が確認された人が過去に訪問した場所などを調べ、共通項を見つけ出しクラスターの発生源を突き止める。そして次のクラスターの発生、つまり感染の連鎖を断ち切る。そのための調査が「後ろ向きの積極的疫学調査」だ。
実はこの調査を通じ、押谷仁さんと西浦博さんが重要な点を突き止めた。換気の悪い「密閉」、多くの人が集まる「密集」、近距離での会話や発声といった「密接」の「3つの密」が重なった場面で感染が広がるという・・・

・・・クラスター対策などにより、パンデミック初期には急激な感染拡大は防げたが、3月後半の3連休を控え、リンクのわからない感染者が増えてきた。オーバーシュート(爆発的な患者の増加)の懸念は払拭できず、新たな策を講じなければならなくなった。
3月19日の提言書を巡って国と専門家との間でこんな攻防があった。西浦さんがこのまま何もしなければ、人工呼吸器の台数を超えるほど感染が拡大する地域が出てくるとのデータを盛り込もうとした。すると「そんなものを入れてどうするんだ」と厚生労働省の担当者が猛反対した。

推計データによって不要な不安を国民に与えるべきではない。国はそう考えたのであろう。一方、私を含め専門家は、データを基にした結果はありのままに国民に伝えるべきだと思った。
巨大地震の情報発信にも似たところがあるのかもしれないが、災禍におけるリスクコミュニケーションの難しさである。
西浦さんと厚労省との話し合いの結果、西浦さんのデータは専門家会議の見解として盛り込まれた。そして同時に提言書の最後に緊急事態宣言の発動の可能性にも初めて言及した・・・

尾身茂さん、専門家の意見を聞かない政府

日経新聞「私の履歴書」、尾身茂さんの第3回(3月3日)「専門家」から。
・・・専門家会議による独自見解をまとめた2020年2月23日以降、私たちは政府が開く公式の会議とは別に、非公式である「勉強会」を、手弁当で集まって開催してきた。平日の夜や日曜の午後、多いときは週3回開いた。
パンデミック(世界的大流行)における感染症対策とは、複雑な方程式を解くようなものである。しかも正解を導けるかどうかわからない。

ウイルスや感染状況は時々刻々と変化する。検査も医療提供体制も無尽蔵というわけではない。なにより人々の協力を得られなければどうしようもない。
専門家といえども誰一人、新型コロナ対策に関する全てのテーマを熟知している完璧な人などいない。
専門家会議12人のメンバーに加え、必要に応じて様々な分野の専門家を誘い議論に加わってもらった。
ウイルス学や免疫学、感染症学に公衆衛生学、さらには医療社会学等々。みなその道のプロで一家言ある。対策の方向性をめぐって意見が真っ向から対立することがしばしばあった・・・

・・・2月27日、政府は全国の小中高校に対し一斉臨時休校を要請した。私たち専門家にとって寝耳に水で事前の相談もなく、報道によって知らされたほどだ。あまりにも唐突だった。
確かに09年の新型インフルエンザの流行では小中学生が感染の中心で、臨時休校には一定の効果があった。
しかし新型コロナの状況はまったく違う。むしろ一斉休校は社会に対するマイナスの影響が大きすぎると考えていた。
政府が示した基本的対処方針案には「文部科学省は専門家の判断を踏まえ(中略)学校の一斉休業をする」との文言があった。

突如決まった一斉休校に私たちは反論した。結局、「案」のとれた基本的対処方針からは「専門家の判断を踏まえ」の10文字は削除された。
その後も政府から「専門家」が都合よく利用されそうになることが度々あった・・・

尾身茂さん、政府が嫌がる意見も表明

日経新聞私の履歴書、3月は尾身茂先生です。いろいろと教訓になる話が載っていますが、ここでは「政治行政と専門家」の観点から、何回かに分けて紹介します。その2回目(3月2日)「ルビコン川」から。

・・・2020年2月3日、厚生労働省の担当官から電話がかかってきた。「新型コロナ感染症対策でアドバイザリーボード(専門家による助言組織)を立ち上げます。そのメンバーになってください」
たまたまなのであろうか。その日の夜、乗客の数人に感染が確認されたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」が横浜に入港した・・・

・・・初会合は4日後の7日に開かれた。東北大教授の押谷さんや川崎市健康安全研究所長の岡部さんといった世界保健機関(WHO)や09年の新型インフルエンザ対策で一緒に奮闘した人もいれば、初対面の人も何人かいた。
1週間後には内閣官房に「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」が発足、メンバーはそのままスライドした。
実は20年早々、私たちはこの原因不明のウイルス性肺炎について、海外の感染症専門家と連絡を取り合い、情報を集めていた。発生地とされた中国・武漢にとどまらず、シンガポールなどでは市中感染が始まっていたからだ・・・

・・・メンバー12人は新型コロナウイルス感染症のしたたかさに強い危機感を抱いていた。1週間ほどかけA4判用紙6枚からなる「アドバイザリーボードメンバーからの新型肺炎対策(案)」という非公開提言書を作成、13日に厚労省に送った。
コロナ禍においてまとめた100以上の提言の先駆けとなる文書だ。すでに国内での感染が始まっている可能性を指摘した上で、国民に対して政府から感染状況の全体像がわかるよう情報発信し、状況の変化に応じて可及的速やかに説明することを求めた。

しかし、1週間たっても、政府から新型コロナ対策の全体像は示されなかった。クルーズ船対応に奔走していたとはいえ、このままでは取り返しのつかないことになる。
皆にフラストレーションがたまっていくなか、武藤さんの提案により、専門家として独自の長期的な見通しや基本戦略をまとめ、一般市民にも知らせるべきだということになった。
23日午後、メンバーが急きょ東京大医科学研究所内の会議室に集まり、独自見解案をまとめた。厚労省に送ったところ、すぐに懸念を示した回答が返ってきた。要はやめてほしいということだ。

「ルビコン川を渡りますか」。私は皆に質(ただ)した。霞が関の世界には専門家は政府から聞かれた個別の課題にのみ答えるという暗黙のルールがある。この境界線を越える覚悟があるかを問うたのだ。全員が賛同してくれた。
翌日、加藤勝信厚労相に直談判し、一専門家ではなく専門家会議として見解を出すことを了承してもらった。
当初、記者会見で自ら説明する予定はなかったのだが、なぜか独自見解を政府に示したことがNHKに知られ、夜7時のニュースへ出演、説明することになった。
2時間後、厚労省で緊急記者会見となった。国のコロナ対策において私たち専門家が表舞台に登場する日々が始まった・・・

マイケル・サンデル教授「働く尊厳、取り戻すために」2

マイケル・サンデル教授「働く尊厳、取り戻すために」」の続きです。

―ただバイデン政権は、学位のない人にも雇用を生むインフラへの投資など、ニューディール以来と言われる野心的プロジェクトを手がけたはずです。
「確かに新自由主義的路線から脱却しようとしたことは正しい。あまりにも長く放置された公共インフラへの投資やグリーン経済化で政府に積極的な役割を与え、独占禁止法を厳格に執行してハイテク企業への権力の集中に対抗しました。しかし、こうした投資は恩恵が行き渡るのに時間がかかり、彼は政治的利益を得られませんでした」

「新たな統治の哲学を示せなかったことも大きい。ニューディール時代、当時のルーズベルト大統領は公共投資や社会保障、労働組合の支援など多くのプログラムを手がけました。それがまったく新しい経済の姿なのだと国民にわかりやすく、感動的な言葉で語りました。だから今でも私たちはニューディールを覚えています」
「しかしバイデンは、自身の政策が象徴する大きな意味、つまり経済における政府の役割の転換について、説得力あるメッセージを打ち出せなかった。それがいかに労働の尊厳を取り戻すことにつながるかも説明できませんでした。彼の強みは議会との交渉にあり、レトリックにはたけていない大統領でした」

―私たちは「消費者」のアイデンティティーにとらわれすぎていた、と指摘しています。
「グローバル化は衣料品などの国外生産のコストを下げ、消費者としての米国人を助けました。しかし、その代償として生産者としての米国人に深刻な打撃を与え、中西部各州の工業都市は空洞化しました。こうした激戦州では今回、トランプが全勝しました。消費者としてのアイデンティティーに気をとられすぎた結果、生産者としての米国人を支える政策の重要性が軽視されたのです」

――人々を「生産者」としてとらえ直すことが大事だと。
「良質な雇用を維持するという意味で経済的に重要なだけでなく、労働の尊厳の観点からも、政治哲学上も大切です。自らを消費者とだけ考えていれば、単に安い商品を追い求めるだけになってしまう」
「しかし、自らを生産者と位置づけるとき、自分の仕事や育んでいる家族、奉仕する地域社会を通じて、私たちは共同体の『共通善』に貢献する役割を担っていると気づきます。それが国づくりにもつながるのならば、私たちは単なる消費者ではなく、政治的な発言権を持つ『市民』なのだと考えられるようになります。それは、政治的な無力感の克服にもつながるはずです」