カテゴリー別アーカイブ: 生き方

生き様-生き方

男と女は誤解して愛し合い、理解して別れる

12月19日の日経新聞に、ウイスキー「タリスカー」の全面広告が入っていました。「島地勝彦が語りかける、バーカウンターの嗜み」です。

その中に、「島地勝彦の格言vol.1」「男と女は誤解して愛し合い、理解して別れる」というコラムが載っています。ネタをばらしてはいけないと思いつつ、読む人は多くないと考えて、一部を紹介します。できれば、原文を読んで、楽しんでください。

バーに入ってきた男性客が、「将来を考えていた女性と別れた」と話します。
彼女とは、料理教室で出会った。趣味も味覚の嗜好も似ていたので、これが運命の人だと恋に落ちた。しかし、付き合うようになってからは、彼女は一切、手料理を作ってくれない。
「美食には興味はあるが、調理には興味がなく、自分では食事を作らなくてもすむように、料理男子を探していた」のだそうです。
島地さん」「島地さん、タリスカー

補足
この話の背景には、「夫婦では、女性が料理を作るもの」という、過去の「常識」があるようです。この話を、男女を入れ替えてみると、意味が違ってきますよね。(12月26日)

伊藤元重先生、人生3段ロケット論

11月24日の日経新聞日曜版インタビューは、伊藤元重先生でした。
東大経済学部大学院生の時に、アメリカのロチェスター大学に留学をします。その途中で、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで、森嶋通夫先生に会います。

・・・米国で最先端の勉強をするぞと意気込む一学生に、森嶋さんが貴重な言葉を投げかけてくれた。「それで一生やっていけると思ったら甘いよ」
森嶋さんが説いたのは「人生3段ロケット論」だ。研究者としてのエネルギーを若いころと同じように生涯持ち続けることは難しい。人生の中で何回か古いロケットを切り離し、新しいロケットに点火して生産性を維持せよという・・・

その後、伊藤先生がどのように古いロケットを切り離して、新しいロケットに点火されたか。それは、記事をお読みください。

人は物語を求める、2

人は物語を求める」の続きです。
人は、ある出来事を見て、物語やいきさつの中に置いて理解しようとします。それだけでなく、自分にとってどのような意味があるかを考えます。

病気も医学で説明がつき、事故も因果関係によって説明できます。しかし、その説明に納得しながらも、人はそれだけでは納得しできないのです。
「なぜ私だけが、このような病気になるのか(他の人は健康なのに」「なぜ、あの人が事故に遭うのか(他の人は無事だったのに」。そこには、医学や事故の因果関係による説明だけでなく、「何か意味ある説明」が欲しいのです。
因果関係による説明を「理解」できても、意味ある理由付けをしないと「納得」できないのです。

そしてその際には、偏向が働きます。「自分は優れている」「自分だけは特別だ」と思いたいのです。
子供が、ヒーローに憧れ、自分をそのヒーローと思い込んで、わくわくします。子供だけでなく、大人も人事評価の際に、自分のことを5割増しに、他人のことは3割引で評価するという傾向があります。そうです、人は自分を中心に物事を考えるのです。
他人が病気になると「かわいそうに。どこかで病気をもらったか」と同情しつつも、他人事です。しかし、自分が同じ病気にかかると、「なぜ私が病気になるのか」と落ち込み、その理由を探そうとします。そして病原菌が原因とわかっても、納得できません。
「何か悪いことをしたかな」さらには「前世で悪いことをしたか」とまで悩みます。

他人がずるをしていることに対して、腹が立つことも同様です。「私はこんなに正直に努力しているのに。あいつはずるをして、うまくやっている」。
すると、ずるをしている人に対して、厳しく当たることになります。その人に罰が当たると、喝采します。週刊誌が売れる、スマホで悪口が拡散するのも、この性質によるのでしょう。

このような、物語を作る、自分を中心に考える、何か「原因」(因果応報の説明)がないと納得しないことは、サルから進化する過程で脳が身につけたものなのでしょう。

人は物語を求める

千野帽子著『人はなぜ物語を求めるのか』(2017年、ちくまプリマー新書)を読みました。この新書は中学生向けのようですが、この本はなかなか難しい内容です。

人はある出来事を見て、その事実を理解するだけではなく、なぜそうなったか、あるいはそれはどういうことか、その背景や前後を「想像」して、物語の中に位置づけます。著者の説明は本を読んでいただくとして、読みながら考えたことを整理しておきます。

どうやら人間は、ある出来事について、「その意味」を明らかにしたいようです。そして、「その意味」とは、自然科学的な因果関係だけではありません。また、自然現象でない社会の現象でも、「過去にもこうだった」と物語の中に位置づけ、その先を予測します。

そして、そのような物語やいきさつだけでなく、自分にとってどのような意味があるかを考えます。というか、そのような意味づけをしないと、納得できないのです。
天気は自然現象ですから、季節、気温、大気の動きなどで決まります。気象衛星とアメダスが示すとおりです。
しかし、晴れ男と雨女がいるように、晴れたときは「ぼくは晴れ男だ」と自慢し、雨の時は「この中に誰か雨男がいるだろう」と責任を転嫁します。遠足の日に晴れると、「日頃の行いが良いからだ」と意味をつけます。
血液型による性格の当てはめも、そうでしょう。「あの人はA型だから、几帳面だ」と。科学的には根拠がないと分かっていても、そのように「理解」するのです。
この項続く。

本を読む人、読まない人

10月27日から11月9には、読書週間です。他方で、この時期には、本を読む人が減ったという記事が報道されます。

読売新聞の調査によると、この1か月で本を読んだ人の割合は47%です。2人に1人ですね。この数字は、この20年間、ほぼ変わっていません。
問題は、1995年に比べ、20代から30代の若者が、本を読まなくなったことです。スマホに負けているのでしょうね。

全国大学生協連合会の調査では、1日の読書時間がゼロの大学生は、約5割です。2010年には34%だったそうです。
まあ、驚く数字ではありません。大学が勉強をしたい人が行く場所から、 勉強が嫌いでも親が金を出してくれるので行くレジャーランドになって久しく.。進学率は、6割になっています。日本人全体の傾向と、同じ結果が出るのでしょう。