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お子様ランチ

昨日に続き、日本の生活文化について。
3月29日の朝日新聞夕刊「あのときそれから」に、「お子様ランチ登場」が載っていました。
昭和5年(1930年)、東京日本橋三越本店で、「御子様洋食」が誕生しました。富士山ライスとスパゲッティ、クリームコロッケ、サンドイッチです。富士山型のライスには、登頂旗が立っています。基本的には、今と変わっていませんね。翌昭和6年には、上野松阪屋で、「お子様ランチ」が登場します。
1960年代、上野松阪屋では、日曜には1,300食も出て、4~5人でてんてこ舞いで、オムレツを焼いたのだそうです。私も、子どもの時、お子様ランチはわくわくしました。その後、我が家の子どもたちも、喜ぶ定番でした。いろんなものが入っている、子ども向け「松花堂弁当」か「幕の内弁当」なのでしょうね。
また、3月15日の日経新聞「こどもランキング」は、「お弁当に入っていたらうれしいおかず」の順位でした。皆さんは、何だと思いますか。
第1位、ハンバーグ。第2位、鶏の唐揚げ。第3位、ウインナー・ソーセージと卵焼きです。
私が子どもの頃、卵焼きやウインナーは、遠足の時のごちそうでした。他には,焼き魚とかかまぼこでした。私は昭和30年生まれです。今の若い人は、当時のムラの暮らしを、理解できないでしょうねえ(笑い)。ウインナーと言うより、ソーセージだったと思います。ハンバーグは、あったのかなあ・・。もちろん、マクドナルドもミスタードーナッツも、ファミリーレストランも回転寿司ありませんでした。
記事に戻ると、第4以下は、次の通りです。
5位、豚カツ。6位、豚肉のショウガ焼き。7位、ミートボール。8位、照り焼きチキン。9位、エビフライ。10位、牛焼き肉。ぜいたくな子どもたちです。

仏典漢訳、2

さて、その漢文経典を、古代日本人は朝鮮半島から学び、次には中国本土に学びに行き、輸入しました。そして、そのまま音読みしました。「如是我聞・・」を、「私はこう聞いた・・」とか「仏は次のようにおっしゃった・・」と翻訳せずに、「にょぜがもん」と読んだのです。「般若波羅蜜多」「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦」も意訳することなく、「はんにゃはらみった」「ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい」と声を上げます。別途、それを解説するために「説教」が行われたのでしょう。
キリスト教にあっても、ヘブライ語の聖書を、ギリシャ語やラテン語に翻訳しました。しかし、中世末期まで西欧の教会では聖書はラテン語でした。中世の西欧庶民も日本庶民も、それぞれラテン語聖書と漢文経典を、意味はわからず妙なる呪文として唱えていたのでしょうか。
また、単語を逐語訳することを見た日本人は、経典に返り点をつけることで、漢文を読む方法を編み出したのでしょう。訓読は、ここから来たと思われます。誠に省エネな翻訳でした。
仏典漢訳史には、鳩摩羅什や玄奘といった著名な翻訳家がいますが、日本語訳には、いないのでしょうね。

仏典漢訳

船山徹著『仏典はどう漢訳されたのか』(2013年、岩波書店)が、勉強になりました。古代インドで成立した仏教の教え(経典)が、梵語(サンスクリット語)やパーリ語から、どのように中国語(漢文)に翻訳されたかです。
はるばるインドまで、仏典を求めて旅をした玄奘三蔵は有名です。鳩摩羅什の名前も、歴史で習いました。インドの仏典から漢文への翻訳は、後漢(西暦1世紀)から唐(9世紀)にかけてが、盛んだったようです。
全く言語が違う古代インド語を、中国語に移し替えます。単語の並びも違います、文法も違います。さらに、中国にはなかった概念を、持ち込まなければなりません。
翻訳が集団で行われたこと、みんなの前で解説しながら行われたことも多いこと、単語を逐語訳してそれから漢文に並び替えたことなど、「へ~っ」と思うことが、たくさん並んでいます。その過程は、原文(梵語)を読み上げる人、それを漢字で書き取る人、そして漢語に置き換える人、文字の順序を入れ替え通じるようにする人・・と、分業で成されます。
音訳したり、近い漢語を当てたり、新しい字を作ったり。仏、寺、塔、魔。精進や輪廻だけでなく、縁起や世界といった単語もだそうです。また、梵語にはRとLの違いがあり、漢語にはありません。
インドに旅することと、世界観というべき仏教を輸入することで、中国が世界の中心でないことも学びます。中華思想が、崩れるのです。
おもしろいです。お勧めします。

西洋の衰退の原因

ニーアル・ファーガソン著『劣化国家』(2013年、東洋経済新報社)を読みました。というか、読んだあと、紹介するのを怠っていました。
この本は、イギリスBBCラジオの番組リース・レクチャー(Reith Lectures)の2012年の講義を基にしたものです。講義の題名は「法の支配とその敵」ですが、西洋を隆盛させた4つの制度が行き詰まることで、西洋の衰退を生んでいるという内容です。
4つの制度とは、政治(民主主義)、経済(資本主義、自由主義市場経済)、法の支配、市民社会(ソーシャルキャピタル、市民のつながりやボランティア)です。それぞれの記述には、驚くほどの新鮮さはありません。しかし、世界を代表する碩学が、現代社会を分析する際にこの4つの切り口から見ていることに、同感し安心しました。
私は、社会を、政治制度(官)、経済制度(私)、市民社会(共)の3つに分けて説明しています。ファーガソン先生は、それに法の支配を加えています。講義の題名が、そもそも「法の支配とその敵」です。その理由は、次のように語られています。
・・政治主体と経済主体の双方に対して、重要な制度的チェックの役割を果たすのが、法の支配である(rule of law)。立法機関の制定する法律が施行され、市民一人ひとりの権利が守られ、市民や企業の紛争が平和的かつ合理的な方法で解決されることを保証する、有効な司法制度がなければ、民主主義も資本主義も機能できるはずがない・・(p18)

全体の主張は、本文を読んでいただくとして、勉強になったか所を、紹介します。
「法の支配が経済成長を促す」という考えが、広く受け入れられた。その際には、民間主体による契約執行と、国家による強制を制限することが、重要である。そしてこの点に関して、英語圏のコモンローが、大陸法より優れている。大陸法が「政策施行的」であるのに対し、コモンローは「紛争解決的」だからである。
法による投資家保護は、金融の発達度・・および銀行の政府所有や新規参入規制、労働市場の規制、メディアの政府所有の度合い、徴兵制の有無・・を予測する、強力な指標である。これらの領域のすべてで、大陸法はコモンローに比べて、所有や規制における政府介入の度合いが強い。その結果として市場に悪影響が及びやすい・・(p104)
この100年間、公教育の拡大は善だった。無料の義務教育が、大きな見返りをもたらした。読み書き計算ができることで、労働者の生産性が大きく高まる(それ以上に、平等な社会を作ります)。しかし、読み書きが普及した社会にとっては、公的部門が教育を独占的に供給することの弊害が大きい。
それは、競争欠如による質の低下と、「生産者」側の既得権益の力の高まりである。著者は、私立の教育機関の数を大幅に増やし、同時に低所得家庭の子どもたちの多くがこうした機関に通えるように、教育バウチャーや奨学金、育英資金の制度を確立することを薦めています(p153)。
ご関心ある方は、どうぞ。なお、第4回分はインターネットで、聞くことができます。

官位を欲しがる中世人

本郷恵子著『買い物の日本史』(2013年、角川ソフィア文庫)が、おもしろかったです。「買い物の日本史」と表題がついていますが、内容のほとんどは、中世の官位を金で買う事情です。この表題には、やや疑問あり。
律令制が崩壊してから、官位は金とコネで買えるようになりました。相模守とか左右衛門尉とか、時代劇でおなじみの官位が、その役職に就いていなくても、もらえるのです。そのために、朝廷に対して、あるいは幕府を通じて、申請します。もちろん、相場の金額を納める必要があります。そのお金は、朝廷の収入になったり、社寺の造営の費用に充てられます。取り次ぎをする貴族たちも、手数料を取ります。
そんな官位ですから、もらっても収入が増えるわけでもありません。何故、皆がそんな肩書き=紙切れを欲しがるのか。この仕組みを成り立たせているのは、官位をもらわないと社会で名乗りをできない=一人前と認めてもらえないという風習です。現代だと、名刺がないということでしょうか。だから、猫も杓子も、少々の金と地位のある者は、官位を欲しがります。そして、さらに上の位を目指します。朝廷、幕府、貴族、社寺が、これらによって一つの秩序を構成します。公共システムを、成り立たせているのです(p122)。
恐るべし、官位の価値。逆にいえば、それも手に入れることができるという、貨幣の価値。
もっとも、時代とともに、ものの値打ちが下がることは、世の常です。どんどん、手数料が下がります。
そして幕末になると「七位、八位ならば、無位無冠の方がよほど良うございます。何故と申しますと、下駄屋、魚屋、そんな者が七位になるのでございます」という状態になります(p187)。なぜ、このような人たちまでもが、官位を欲しがるのか。そして手に入るのか。それは、本をお読みください。
もっとも、現代人も官位を欲しがります。中世の人たちを笑うことはできません。