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新約聖書はどのようにしてできたか

先日の『聖書時代史旧約篇』(12月21日の記事)に続き、佐藤研著『聖書時代史新約篇』(2003年、岩波現代文庫)を読みました。こちらは、ユダヤ教からどのようにしてキリスト教ができたかの歴史、その推察です。イエスと言われる人は、いたらしい。しかし、その人がキリスト教を作ったわけではないようです。ユダヤ教の中の一つの派「ユダヤ教イエス派」が信者を増やし、ユダヤ民族以外に広げる際にユダヤ教から独立していったようです。なるほど。新約聖書の中の文書が書かれたのは、紀元1世紀から2世紀半ばまで。それが正式に新約聖書として確定されたのは、393年です。イエスが生まれてから、400年も経ってからです。
・・「キリスト教」と呼ばれるに至った宗教が、その基盤のユダヤ教から自覚的に自らを切り離して独り立ちを始めたのは―全体は一つの漸次的なプロセスであったとはいえ―実は紀元70年から1世紀の終わり頃である。それまでは、ユダヤ教の内部改革運動の一つであったと見なすのが、事態に最も即している。したがって、イエスもパウロも、「キリスト教」なるものは知っていなかったのである・・(まえがき)
キリスト教(の前身)以外にも、ユダヤ教にはいろんな派がありました。またキリスト教にも、その中にいろんな派がありました。その中で、現在のキリスト教が勝ち残りました。ユダヤ教から独立するまでは、本流になれず分派した過程です(しばしば、分家の方が本家より発展する場合があります。新大陸とか)。その後は、傍流を異端として排除した過程です。勝ち残るには、それだけの教義とともに、力業も必要であったのでしょう。政治に政策とともに権力が必要なのと同様です。組織の運動論、派閥抗争としては、このような見方もできます。

旧約聖書はどのようにしてできたか

山我哲雄著『聖書時代史旧約篇』(2003年、岩波現代文庫)が、勉強になりました。旧約聖書は、古代イスラエル・ユダヤ民族の歴史を記録したものです。しかし、それは現代で言う「歴史の記録」ではありません。
・・旧約聖書の歴史書の多くは、部分的に古い伝承や資料を用いているものの、語られる出来事よりもかなり後になってからまとめられたものであり、起こったと信じられている出来事や経過についての後代の信念と解釈を伝えるものなのである・・
・・古代イスラエル人にとって歴史とは、神によって動かされるものであり、神の意志、神の行為の展開する舞台であった。例えば出エジプトという出来事は彼らにとって、神による救いの歴史、すなわち「救済史」に他ならず、王国滅亡とバビロン捕囚という破局に向かう歴史は、イスラエルの度重なる契約違反の罪とそれに対する神の審判の歴史、すなわち「災いの歴史」=「反救済史」を意味するものであった・・
神話と歴史の混合です。口承伝説が、後に書物としてまとめられました。その際には、事実の記録ではなく、信仰の拠り所という意図からまとめられています。この本をはじめ聖書時代学は、発掘結果や他の資料(古代エジプト)などから、何が事実であったか、どのようにして聖書が成立したかを研究しています。
それにしても、紀元前12世紀ごろからの(部分的な)史実を伝えているとは、驚きです。周辺にたくさんの民族があったのに、ユダヤ民族だけが連綿と伝えました。王の名前が次々に出てきて混乱しますが、ダビテ王が紀元前1千年頃で、その後中断をはさんで紀元前1世紀まで続くのですから、当然ですよね。
この後、国家としては滅亡し、世界に散らばることになります。しかし、旧約聖書は生き残ります。また、ユダヤ民族は続きます。その大きな要因が、旧約聖書とユダヤ教です。民族を民族として団結させる要素を持っていたのでしょう。中国でも古い記録が残り、しかも民族が入れ替わっても伝えられたことも、すごいことですが。
この本には続編があります。佐藤研著『聖書時代史新約篇』(2003年、岩波現代文庫)。これから挑戦します。かつてジョン・リッチズ著『1冊でわかる聖書』(邦訳2004年、岩波書店)を読みましたが、すっかり忘れてしまいました。「また、変わった本を読んでますねえ」と、F君に笑われそうです。

宗教の社会的役割

ニコラス・ウェイド著『宗教を生みだす本能―進化論からみたヒトと信仰』(邦訳2011年、NTT出版)が、興味深くまた勉強になりました。注を入れて350ページの本なので、少々時間がかかりました。著者は、宗教は人類の本能に根ざしたもので、進化の過程で重要な役割を果たしたと考えます。なぜ、自分の命を投げ出してまで、信仰の名の下に集団のために戦うのか。個人の生存戦略とは矛盾するこの宗教的行為が続くのは、集団の生存戦略にかなっているからだと説明します。
宗教には、個人の信仰・神とのつながりという内面的機能と、信者が団結する・他方で異教徒を迫害するという外面的機能があります。個人を安心させる機能と信者同士をつなぐ機能は、社会を安定させる機能として大きな役割を果たしてきました。道徳もまた、人類が育ててきたものですが、道徳や法律とともに、宗教も人類が集団生活をする上で、必須だったのかもしれません。
飢餓や病気など、生きていくことが困難だった昔には、神に祈るしかなかったのでしょう。また、他部族と争うには、神の下での団結が有用だったのでしょう。それらのリスクが大きく減少した近代では、宗教の役割は変わってきています。しかし、文明が進歩した西洋でも日本でも、宗教は根強い力を持っています。さらに、新興宗教・あるいは宗教まがいのものが、若者を引きつけます。
近代文明は、道徳や法律は研究しますが、宗教はアヘンと呼ばれたり、いかがわしいものとされたり、科学や学問が関与しない分野におかれています。歴史の教科書では出てくるのですが、現代の記述になると消えてしまいます。国家は宗教とは関わらないとするのが、近代憲法の建前ですが、社会の安定を考える際には、宗教を無視してはいけないのでしょう。
この本は、宗教が社会にとってどのような役割を果たしてきたか、果たしているのか。広範な知識で、解説してくれます。3大一神教(ユダヤ、キリスト、イスラム)とその聖典の起源や成り立ちの解説は、勉強になりました。残念ながら、仏教や儒教、ヒンズー教は、取り上げられていません。

長期間の比較、日本の変化

総務省統計局が、面白い比較をしています。まずは、第1回の国勢調査(1920年)と現在(2010年)との比較です。
人口は、5,600万人から1億2,800万人まで、2.3倍になっています(現在の国土の範囲で比較しています。昨日「いわゆる本土」と書きましたが、誤解を招くので修正します)。世帯数は4.6倍になり、1世帯当たり人員は4.9人から2.5人に半減しています。合計特殊出生率は、5.1から1.4にと、4分の1になっています。平均寿命は男が42歳、女が43歳だったのが、80歳と86歳になっています。倍になっているのですね。子どもの体格も良くなっています。
米の収穫量が950万トンから、850万トンに減っています。人口が倍になったのに、米が減っても余っています。日本人が米を食べなくなったということです。
年平均気温が、14.2度から16.9度に上がっているのも、驚きです。
このほか、東京オリンピックの頃(1964年)と、現在を比べた表もあります。世帯の1か月の収入は、5万8千円から52万円に9倍にもなっています。消費者物価指数が4倍になっているのに、バナナやテレビ(白黒からカラーに変わっても)の値段がほぼ同じ、正確にはやや安くなっているのは、驚きです。他の数字もご覧ください。
私の父は1921年生まれ、私は1955年生まれなので、この2つの比較はいろいろと思い出すこと、考えることがあります。
私は『新地方自治入門』で、50年前(戦後)と現在の富山県の数値を比較して、いかに地方行政が成功したかを論じました。毎年の変化は小さくても、長期で比較するとその間の変化や、努力が見えます。

明治維新と戦後改革の違い

粕谷一希著『粕谷一希随想集2 歴史散策』(2014年、藤原書店)、「思いつくこと 着想の面白さ」(p107~)から。
・・明治の歴史記述はずば抜けて面白い。それは維新という近代革命があって、日本の社会がガラリと変わったこと、幕末のころに日本の儒学、蘭学、英語が絶頂に達していたことによるのだろう。
米欧を政府使節について廻った久米邦武の『米欧回覧実記』は生々しく面白い・・
・・総じて敗戦後の日本よりも、維新直後の文章の方がはるかに面白い・・
・・要するに明治国家の当事者たちも、近代国民国家として欧米”列強”に対抗して独立を維持できるかどうか不安だったのだろう・・
私は、明治維新と戦後改革はともに大きな変革ですが、二つの間には緊張感の違いがあると思います。それは、政治指導者たちの危機感の違い(植民地になるかもしれないという不安vsアメリカの指導の下に独立を回復すれば良い)、構想力の違い(これまでのお手本である中華体制を離れ、何をお手本にするかを自ら選ぶ必要があったvsアメリカの指導に従っておれば良かった)だと思います。