カテゴリー別アーカイブ: 歴史

世界の歴史を100のモノで示す。その限界

昨日、東京都美術館の「大英博物館展―100のモノが語る世界の歴史」を見ました。人類が生みだしてきたモノを、世界から100選ぶとしたら、何を選ぶか。その基準に興味がありました。あなたなら、また私なら、何を選ぶかです。
展示をいくつかに区切って、テーマを付け、年表と世界地図(いつの時代のどこのモノか)で解説してあります。100見終わって、「なるほどね」と思わせるものがあります。
あわせて、いくつか考えました。
・大英博物館だからこそできる、世界から集めたモノです。
・日本のモノが、縄文土器、平安和鏡、伝来した朝鮮陶器、有田焼、北斎漫画と、私が覚えているだけで5つも選ばれています。これは、日本での展示のために、ご当地モノを優先しているのでしょうか。
・モノで人類の歴史を語るのは、無理がありますね。火や電気が展示されていないと考えていて、突然思い出しました。復興に際して、いつも私が主張しているのは、インフラや建物という「モノ」だけでは、住民の暮らしが戻らない。商業や医療サービスなどの「機能」とコミュニティなどの「つながり」が必要だということです。
人類の発展には、牧畜や農業、火、宗教、教育、出版、行政機構、医療、商工業、電気といった、機能とつながりが重要なのです。しかし、それをモノで示すことは、難しいです(宗教関係のモノは並んでいますが)。このモノでは示しにくいことを、どのように展示して伝えるか。今後の博物館の課題でしょう。
東日本大震災からの復興を解説する際に、失われたモノ・失われなかったモノをお話しするときがあります。失われたモノは、多くの人命や建物が思い浮かびます。しかし、私は、そのような目に見えるモノだけでなく、科学技術(者)への信頼や政府に対する信頼も、失われたものに上げています。

近世の村社会、石高による統治

水本邦彦著『村 百姓たちの近世』(2015年、岩波新書)が、面白くて勉強になりました。この本は、日本近世史シリーズの1冊ですが、日本の村がどのようなものであったかを、古地図や古文書を読み解いて、描いています。村というと、古くさく貧しいという印象を持ちがちですが、そうではありません。もちろん、新書版なので、村の暮らしのすべてが紹介されているわけではありません。例えば冠婚葬祭などは、でてきません。
本書の視点は、全国の村が、米の生産量で把握され、統治されることです。中には、一つの村が、いくつかの領主に分割統治されることもあります。相給村というのだそうです。飛び地が入り交じります。権力者の歴史より、このような視点の歴史は、面白いですね。お薦めです。1月以上前に読んで、いろいろと印象に残ったことがあったのですが、忘れてしまいました。反省。

中国の難しさ、司馬遼太郎さん

昨日の続きです。司馬遼太郎著『明治国家のこと』、「『坂の上の雲』秘話」p148~。
・・・そして、その学者は、逆に質問したのです。
「ヨーロッパは方言によって国ができています。どうして中国も方言ごとに、広東国とか四川国とかできなかったんでしょう。それなら隣国にとって大きな圧迫にならないのに」
そう言うと、シラクさんは練達の政治家ですね、こう言われた。
「ドクター、恐ろしいことをおっしゃいます。日本がいくつできると思いますか」
つまり国家には、適正サイズがあるということでしょうね。フランスもイギリスも大きな国ではありません。日本も適正サイズでした。中国は大きすぎる。そのことをわかってやらなくてはならない・・・

韓国の難しさ、司馬遼太郎さん

今日は趣向を変えて、久しぶりに読んだ本から。1か月以上前に読んだのですが・・。パソコンの前には、そんな本がいくつも積み上がっています(反省)。司馬遼太郎著『明治国家のこと』(2015年、ちくま文庫)、「『坂の上の雲』秘話」(1994年、海上自衛隊幹部学校での講演)からp147~。
・・・シラクさんというフランスの政治家がいますね。私の友達で姜在彦(カン ジェオン)博士(花園大学教授)という人がいます。その友人のある学者が、シラクさんに会ったことがあります。シラクさんが言いました。
「どの民族にも、その地理的環境によって永遠の問題、苦しみがありますが、韓国にとっては何ですか」
「中国です」
韓国人の学者は答え、続けました。
「頭の上にあんなに大きな国が、古代からのしかかっている。中国の文化を取り入れなければ、中国から襲われそうです。中国に甘い顔をしていれば、植民地にされるかもしれない。近代に入って中国の文化が停滞すれば、韓国も自然と世界からは遅れる。韓国は中国に対してずっと、アンビバレント(二律背反)な心を持ってきました」・・・この項続く

近過去を学ぶ

読売新聞の土曜日連載「昭和時代」は、1980年代に入っています。4月11日は、土光臨調でした。学校での歴史では、古代から近代までは詳しく学びますが、近過去のことは、案外詳しく学びません。まだ歴史になっていないという理由もあります、そして定番の本ができていないという理由もあります。古代や明治から始めた授業が、現在までたどり着かないという場合もあるでしょう(私もそうでした。苦笑)。このような私の年代にとっては「つい昨日のこと」(オンリー・イエスタデイ。もっともこの本が対象とした1920年代は、今では歴史になっています)も、若い人には「体験していないこと」であり「学校でも習っていないこと」です。
学者の解説書が出るには、時間がかかるでしょう。また、幅広い対象を取り上げるのは、無理があります。その点、新聞社は資料といい記者といい、資源がそろっています。この企画は良い企画だと思います。若い人にぜひ読んで欲しいです。インターネットでは読めないようですが。連載後、本になっています。