カテゴリー別アーカイブ: 歴史

国立公文書館

国立公文書館って、ご存じですか。政府の公文書を保管展示する施設です。皇居の北側、近代美術館の隣にあります。
今、「漂流ものがたり」という展示をしています(3月7日まで)。これは、必見です。
江戸時代に外国に漂流した日本人の記録、それも生きて帰ってきた記録です。私も言われて気づいたのですが、出ていく日本人がいれば、流れて来る外国人もいます。その記録もあります。よくまあ、紙の文書が残ったものですね。それを取り調べた藩の記録が、江戸幕府に届き、その文書が明治政府に引き継がれたのでしょう。
幕政時代の公的機関の記録だそうですが、漂流という状況での人間の生き様が垣間見れて、興味をひきました。井上靖や吉村昭をはじめ、小説の題材にされたものもあるそうです。

あわせて、明治以来の内閣の文書も展示されています。明治天皇と大臣の署名、昭和天皇と大臣の署名。字の上手下手も含めて、興味深いです。
森有礼や佐藤栄作の字は、素人が見てもすばらしいですね。森有礼は、明治22年(1889年)2月11日の大日本帝国憲法発布の詔書に署名した後、発布式典当日の朝に暗殺されます。
終戦の詔書(昭和20年8月15日)に前日夜に署名した陸軍大臣の阿南惟幾は、15日早朝自決します。そう思って展示されている文書を見ると、無味乾燥な事実が、人による生々しい生き様に見えてきます。
それにつけても、子供の時に、お習字教室を逃げた我が身を反省します(大隈重信も字が下手で、直筆署名は展示されている大日本国憲法発布詔勅のほかは数件しかないそうです)。

経済成長、早さと社会の変化

1月10日に、高齢化に要する時間が、国や地域によって異なることを書きました。「高齢化社会、社会の変化と意識の変化」。

1月4日の日経新聞経済教室に、猪木武徳・大阪大学名誉教授が「大転換に備えよ。競争と再分配、豊かさの鍵」を書いておられます。そこに、各国の経済成長の「早さ」が図示されています。産業革命後の経済成長で、1人あたりGDPの倍増に要した年数です。
イギリス58年(18後半~19世紀前半)、アメリカ47年(19世紀半ば)、日本34年(19後半~20世紀前半)、韓国11年(20世紀後半)、中国10年(20世紀後半)です。
先生は、次のように書いておられます。
・・・一般に後発国の経済成長は「後発性の利益」によりかなり高いスピードを示す。高度経済成長の軌道に乗る時期が遅いほど成長は早く、その終わりが訪れるのもまた早い・・・
高度成長により日本は豊かになりました。また、その早さで自信を持ちました。しかし、アジア各国が同様の道を進んだことで、日本だけの特殊なことではないとがわかりました。

そして、ここで指摘したいのは、「かかった時間の長さ」です。急速な高度成長は、多くの日本人に、田舎を出て都会へ出て行くこと、両親とは違う道を歩むことを求めました。結果として豊かになったのですが、故郷や家族と離れて初めての土地で初めての仕事に就くことには、大きな不安があったことでしょう。そして、地域社会もまた大きく変貌しました。豊かさの光の影には、多くの不安や悲しみもあったのです。この変化が徐々に起きたものならば、「ご近所の××さんところも・・・」とか「お父さんやおじさんも・・・」と近くに見本があってその不安は和らげられたでしょう。
急速な変化、それは経済成長であれ高齢化であれ、個人と社会に大きな影響、それも負の影響をも与えます。その変化をどのように「吸収」するか。変化の大きさとともに、変化の早さも、政治や社会が考えなければならない大きな要素です。

近代世界システムの危機、ウォーラーステイン教授

11月11日の朝日新聞オピニオン欄は、世界システム論で有名なイマニュエル・ウォーラーステイン氏の「トランプ大統領と世界 覇権衰えた米国、衝撃は国内どまり。構造的危機の時代」でした。

アメリカ大統領選挙結果について
・・・個人的には、結果を聞いて驚き、失望しました。一方で、分析的な視点に立つと、この選挙の影響については一言で表現できます。米国内には大きなインパクトがありますが、世界にはほとんどないでしょう・・・
・・・しかし、世界に目を向けると、トランプ大統領の誕生は決して大きな意味を持ちません。米国のヘゲモニー(覇権)の衰退自体は50年前から進んできた現象ですから、決して新しい出来事ではない。米国が思いのままに世界を動かせたのは、1945年からせいぜい1970年ぐらいまでの間に過ぎず、その頃のような力を簡単に取り戻すことはできません・・・

「グローバル化の影響が出ているのではないですか」との問に。
・・・私はグローバリゼーションという言葉に懐疑的です。物と人と資本がより簡単に行き来するために障壁をなくす、という状態を指しているのであれば、それは500年前から続いてきたことです。流れによって利益を得る時は皆が開放的になりますが、下向きになると保護主義的になるという循環が繰り返されてきました。最近は、この上向きのサイクルのことをグローバリゼーションと呼んでいますが、すでにスローガンとしての価値はなくなりつつある・・・現在の近代世界システムは構造的な危機にあります。はっきりしていることは、現行のシステムを今後も長期にわたって続けることはできず、全く新しいシステムに向かう分岐点に私たちはいる、ということです・・・

・・・新しいシステムがどんなものになるか、私たちは知るすべを持ちません。国家と国家間関係からなる現在のような姿になるかどうかすら、分からない。現在の近代世界システムが生まれる以前には、そんなものは存在していなかったのですから。
その当時もやはり、15世紀半ばから17世紀半ばまで、約200年間にわたるシステムの構造的危機の時代がありました。結局、資本主義経済からなる現在の世界システムが作り出されましたが、当時の人がテーブルを囲んで話し合ったとして、1900年代の世界を予測することができたでしょうか。それと同じで、西暦2150年の世界を現在、予想することはできません。搾取がはびこる階層社会的な負の資本主義にもなり得るし、過去に存在しなかったような平等で民主主義的な世界システムができる可能性もある・・・原文をお読みください。

御厨先生、日本近代史学の批判

御厨貴先生の『戦前史のダイナミズム』(2016年、左右社)は、放送大学教材を再録したものです。
冒頭の、近代日本史の論争についての説明と評価が、勉強になります。
・・・というのも、高度成長の果実が実り出した1960年代以来、学者の領域と小説家・ノンフィクション作家の領域とに、暗黙のうちに二分されていた歴史の世界の境界が、これら新規参入者たちの活動によって、曖昧になり、その再編の可能性が生じているからです。
一般読者に読まれることのない学者の著作と、学者が読まぬふりをする作家の物語というすみわけ。こんな不毛な事態が続いたのは、やはり学者の側の責任が大きい。知る人ぞ知る存在たるべしという権威主義と、学会内の世界がこの世のすべてと思い込む夜郎自大性とが相まって、一方で空虚な理論研究に、他方でマニアックな実証研究に自らを封じ込めていったからです・・・(p4~)
・・・学者の著作が読んで面白くないと評された60年代以来、学者はかえって専門の世界に閉じこもってしまった。そこでは近代史全体を見渡すことなく、小さな歴史事象一つひとつの「証明」に追われています。
時に空虚なイデオロギーと小さな事柄の「解釈」をドッキングさせての検証、まずはご苦労さま。時に歴史観まったくなきままの、事実の「証明」を終えて業績がまた一つ。しかも「証明」と「解釈」をきちんと読むためには、ルーペが必要とされるではないか・・・(p8~)
(2016年11月5日)

名著の位置づけ

玉木俊明著『歴史の見方 西洋史のリバイバル』(2016年、創元社)が、面白かったです。ヨーロッパ経済史が専門の著者が、西洋史について、特に日本における西洋史の盛衰について書いた本です。
第1部は、近代西洋経済史のいくつかの名著についての書評です。これが、単なる内容の紹介でなく、その本が書かれた時代背景や現在から見た限界を書いているのです。これは、勉強になります。
私たちも、それぞれの分野で名著を読みますが、それがなぜ名著なのか、その本を読んだだけではわかりません。それまでの通説を打ち破ったり、パラダイムを変換したりしたことが、名著に位置づけられるゆえんでしょう。単にそれまでの学界の研究成果をまとめただけでは、概説書や教科書です。そして、その後の研究によって、その名著がどのように乗り越えられたか、今もなお影響力があるとするなら、それはどの部分なのか。門外漢には、わかりません。
玉木先生の試みは、優れたものだと思います。名著=正しいと思っていた私たちに、「あの名著も、その後の研究で、間違っていたとわかった」「このような点が、欠落していた」など厳しい指摘がありますが、それが勉強になります。
第2部は、近代西洋経済史の主要な論点の解説と、日本人が西洋史を研究し日本語で論文を書くことの意味を論じています。これも、一読をお勧めします。これも、興味深いです。
ラース・マグヌソン著『産業革命と政府―国家の見える手』(邦訳2012年、知泉書館)が紹介されています。「神の見えざる手」は、アダム・スミスが『国富論』で主張した市場経済の機能ですが、それだけでは経済の発展はなかった、国家の介入が必要であったことを主張したものです。「国家の見える手」は、よい表現ですよね。使わせてもらいましょう。(2016年10月8日)