カテゴリー別アーカイブ: 歴史

昭和は遠くなりにけり

「降る雪や 明治は遠くなりにけり」

俳人、中村草田男の有名な句です。
草田男がこの句を詠んだのは、昭和6年(1931年)のことです。明治は45年(1912年)までですから、それから約20年後です。というか、20年しか経っていないのです。
そこで、「遠くなりにけり」と詠んだのです。20年間のうちに、明治、大正、昭和と元号と時代が変わったことの、感慨があったのでしょう。

彼は、明治34年(1901年)の生まれ。明治45年には11歳、尋常小学校でした。そしてこの句は、母校を訪ねて詠んだようです。その時には、30歳です。
私は、この事実を教えてもらったときに、びっくりしました。
もっと時代が経ってから、そして老人が詠んだ句だと思っていたのです。草田男の表現力の素晴らしさとともに、その早熟なことにも驚きました。
江戸から明治。日本は特に東京は、大きく変貌しました。草田男は、江戸時代を直接知りません。江戸時代を知っていた人は、もっと大きな変化を見ています。

来月には、平成が終わり、令和になります。
明治時代の変化、また敗戦と高度成長時代の変化に比べれば、平成の30年間の変化は大きくないかもしれません。さはさりながら、昭和30年(1955年)生まれ、高度成長以前の村の暮らしを知っている私にとっては、この半世紀の変化はびっくりするものがあります。

そこで、草田男の句を借りて、一句。
「散る桜 昭和は遠くなりにけり」

芭蕉の句に「さまざまのこと思い出す桜かな」があります。
桜は、日本人に様々なことを思い浮かべさせます。その中でも、散る桜は、特に深い思いを引き出させてくれます。
東京は、いま桜が満開です。

ダルタニャンの生涯

書評で見かけて、佐藤賢一著『ダルタニャンの生涯 史実の『三銃士』』(2002年、岩波新書)を読みました。
アレクサンドル・デュマの『ダルタニャン物語』は、子供の頃(児童書)で読みました。わくわくしましたよね。ところが、佐藤さんの本を読んでいただくとわかるのですが、ダルタニャンは実在の人物なのです。もちろん、小説は実物を基にしつつ、脚色してあるようです。さらに、デュマの小説には種本があって、その「ダルタニャン氏の覚え書」は本人の回想録の形を取った創作なのです。ややこしい。

ガスコーニュ地方(フランス南西部のピレネ近く)出身の若者が、郷土の先輩を頼って、パリに登り、王の親衛隊として出世します。
まさに、「出仕、陰謀、栄達、確執・・・小説よりも奇なる、人生という冒険に挑んだ男の足跡」が生き生きと描かれています。私生活もわかるのです。
ルイ14世の時代、金とコネで官職が手に入ります。当時の社会もわかります。

ところで、佐藤さんがこれを執筆されたには、元になった本や資料があると思うのですが。本書は、それについては一切触れていません。新書という体裁だからでしょうか。「直木賞作家初のノンフィクション」とあるのですが、この本も「史実」と名乗りながら、創作なのではないかと、疑ってしまいます。それも、佐藤さんの計算なのかもしれません(苦笑、失礼)。

『時がつくる建築』

加藤耕一著『時がつくる建築 リノベーションの西洋建築史』(2017年、東京大学出版会)が、面白く勉強になりました。西洋の古代から現代までの、建物の再利用の歴史です。

古代ギリシャ、ローマでは、神殿など巨大な石造建築が造られました。その後、使われなくなった建築物の石材をはぎ取って、別の建物に使います。
キリスト教が国教となると、それまでの神殿が、改築して教会に転用されます。
ローマ帝国がつくった競技場には、中世になって、住民が住み着いて住宅になります。
ルネッサンスは、それまでの中世建築をゴシックとおとしめ、古典古代に帰ることを理想として、建築物の改修をします。
(と書いたら、19日夜のNHKブラタモリで、古代ローマの巨大浴場を教会に転用した事例などが紹介されていました。)
イギリス国教会成立の際に、修道院が捨てられます。フランス革命で、たくさんの教会や修道院が廃棄されたり、他の目的に再利用されます。モンサンミッシェル修道院が、監獄に転用されたのは有名です。
都市での人口増加で都市の再開発が行われます。既存建物の破壊を伴う、再開発です。
そして、近代になって保存の概念が出てきます。歴史的建造物を保存する動きです。世界遺産などの制度もできます。

以下、本を読みながら考えたことです。
人の暮らしの変化、科学技術の発達などによって、建物や都市は絶えず変化します。その際に、既存建物をどのように扱うか。
面的広がりを持つ都市計画や、住民の共通認識(どのような建物を理想と考えるか)があれば、秩序ある町の景観ができます。
また、建築技術と素材が限られていた時代には、自ずと同じ様式の建物が建ちました。
しかし、近代の技術と経済力の発達で、既存建物は容易に壊され、様々な様式の新しい建物が建ちます。そして、人口密度の高い都市では、敷地は狭いままかあるいはさらに細分化され、住宅が建つことになります。

工務店も建築士さんも、古い建物を壊して新しい建物をつくることが商売です。まだ、既存建物を再利用するというより、新しい建物を造ることに価値がおかれています。
石やレンガ造りでなく、日本の木造建築は再利用が難しいとの意見もあります。しかし、寺社建築や豪農の家は手入れをしながら、長年使われています。
耐用年数の短い建物を、造っては壊しています。経済的には、短期的にはDGPを押し上げるのですが、長期で見ると蓄積ができず、ムダが生じています。
かつて、矢野暢さんに『フローの文明・ストックの文明』という優れた分析がありました。
近年の住宅の性能の向上(電気、ガス、断熱、冷暖房)で、新築住宅は住みやすいです。私も、わが家で体験しています。それにしても、昔の家は寒かったです。
この技術発展が一段落して、そして日本の経済力が落ちたときに、既存建物を再利用しようという風潮が広がるのかもしれません。

中公新書『日本史の論点』

中公新書『日本史の論点 邪馬台国から象徴天皇制まで』(2018年)が、面白いです。お勧めです(「面白い」という表現以外に、もっと適切な単語はあるのでしょうが。持っている語彙の少なさを、反省します)。

分担は、古代・倉本一宏、中世・今谷明、近世・大石学、近代・清水唯一朗、現代・宮城大蔵さんと、5人のベテランと若手研究者です。
それぞれの時代について、5~7の論点を設定して研究がどこまで進んだか、どのような議論がされているかを、解説しています。
私たちは、学校の教科書で「通説」を学びます。しかし、現代だけでなく、はるか昔のことでも、新しい発見や新しいテーマと解釈が出て、歴史像は変わっています。
新しい議論や解釈の本が出ると、読むのですが、どの論者が正しいのか、支持を受けているのか。そして議論の最先端はなにか。素人にはわかりません。この本は、良い観点を狙いましたね。歴史ファンに受けると思います。

ところで、この本で取り上げられた論点はそれぞれ興味深いものなのですが。さらに望むなら、次のような視点での、歴史学が進まないでしょうか。すなわち、庶民の暮らしの歴史、社会史をもっと取り上げることはできないのでしょうか(文化史とは何か)。事実の発見や解釈の変化とともに、歴史を見る見方自体が変化しています(歴史の見方の変化)。

天皇、貴族、武士といった支配者の歴史も良いのですが、多くの庶民はどのような暮らしをしていたのでしょうか。それは、どのように変化したのでしょうか。奈良時代から平安時代に代わって、農民の暮らしはどの程度変わったのでしょうか。
私の史観では、日本列島に住んでいた人の歴史は、縄文時代、長い弥生時代(稲作を中心とした生活)、産業化の時代(高度成長期以降)に分けられると考えています。
支配者が代わっても、庶民の生活にはそれほどの差はなく(誰に税金を納めるか、誰が守ってくれるかの変化くらい)、それよりは、どのようにして生産性が向上したか、病気や災害への対応は変化したか、家族関係はどのように変わったかの方が、大きな関心事項だったと思うのです。

イタリア、本の行商人

内田洋子著『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』(2018年、方丈社)が面白かったです。

19世紀、イタリアの山奥の村人が、町に行商に行きます。何と、担いでいったのは、本です。本の行商人です。へ~、と驚きです。重い本をカゴに入れて。
この山中の村は、中世にはフランスからローマに通じる街道であるフランチジェーナ街道で栄えたようです。写真を見ると、とんでもない山の中にあります。日本でいうと、箱根の関所が、山の尾根にあるようなものです。石造りの家と街並みなので、残っています。

もっとも、新しく別の道路が整備され、外れてしまった村は、寂れます。そこで、出稼ぎに行き、その延長で石を売り歩いたり、本を売り歩くようになります。石も本も、重たいですね。
高価な本でなく、庶民が読むような、安くて軽い内容だったようです。しかし、国家統一が1861年、義務教育普及もその後です。識字率が低い時代に、本を求めた人が増えたのでしょう。また、その時流に乗ったのでしょう。
高価な本は都会の本屋で、安価な本はこのような行商や露天の市場で売るという棲み分けがあったのでしょう。その後、何人かの家族は、行った先の町で本屋を開業します。ベネチア、ミラノ・・・。
庶民からはどの本を読んだら良いかの助言を求められ、出版社からも出版前に「書評」を求められます。売れるかどうか。日本でも近年、本屋さんが選ぶ「本屋大賞」がありますが、イタリアでは「露天商賞」という文学賞が1953年から続いています。目利きとしての能力が評価されたのでしょう。

私の育った村も本屋はなく、私が子供の頃は、町の本屋さんがバイクの後ろに大きな箱に乗せて、本を届けてくれていました。

きれいな写真がたくさん入っています。山村を訪ねる紀行文としても楽しめます。