「歴史」カテゴリーアーカイブ

即位礼正殿の儀

今日10月22日は、天皇陛下の「即位礼正殿の儀」でした。あいにくの雨模様でしたが。皇居で、古式豊かな儀式が、行われました。
千年も昔の平安時代の装束は、当時の宮廷の文化を偲ばせてくれます。多くの子供たちは、雛人形を思い浮かべたでしょう。

日本が、天皇制(それは時代によって変わってきましたが)とともに、文化と伝統を受け継いできたことは、一つの誇りです。この国のかたちの一つです。
歴史と伝統は、科学が発達しても、お金を出しても作ることができないものです。理屈を超えたものがあります。日本列島に住まい、稲作を続け、日本語を生み出し、治安の良い社会をつくりました。
もちろん、時代にそぐわないものは、変えていく必要がありますが。

他国の政治的混乱を見るにつけても、日本国民統合の象徴としての機能は重要です。
立憲君主制は、人類が生み出した一つの智恵です。世襲の王様や皇帝が政治権力を握ると、失敗もあります。選挙で選ばれ、権力を持った大統領は、権力を手に入れそして維持するために、時に困ったことをしでかします。
政治権力を持たない「象徴的元首」を戴くのは、社会を安定させる一つの工夫です。

漢帝国がつくった、中国のかたち

渡邉義浩著『漢帝国―400年の興亡』 ( 2019年、中公新書) が、勉強になりました。
中国を統一したものの、短期間で滅んだ秦の後を継ぎ、途中の断絶をはさんで400年もの間、支配を続けました。漢字や漢民族として、中国の元となっただけでなく、近代まで続く「儒教国家」を作り上げました。本書では、それを「この国のかたち」と表しています。

武帝が儒教を国教とした説は間違いだそうですが、儒学者は、じわじわと政権に取り入り、国教とすることに成功します。
支配者側も、支配を正統化する説明が必要でした。被支配者に納得させ、また支配を継続する説明です。常に武力で人民や豪族を抑えるのは、コストがかかり、かつ難しいです。とても200年も続かないでしょう。そして、国家の基本となった儒教は、統治者、官僚、国民を縛ることになります。その後、2000年にわたってです。

かつては、中国古代史もいろいろと本を読んだのですが、この本が出たときは、「また、通常の歴史書だろう」と思い、読みませんでした。あるところで、時間待ちの必要ができて、買って読み始めました。
すると、戦争や政権争い、事件の羅列でなく、「この国のかたち」がどのようにしてできあがったかを書いてあって、興味深く読むことができました。このような歴史書は、価値がありますね。歴史と事実を、どのような切り口で分析するかです。

「はじめに」も書かれていますが、古代ギリシアとローマが、西欧の古典古代となり、その後の規範となりました。学問、政治、宗教です。
それとの対比で、儒教が規範となり、漢が完成させた皇帝と官僚による中央集権体制が、東洋の古典となりました。もう一つの要素として、仏教がありますが、これは支配の思想にはなり得ません。
儒教は海を渡って、日本社会も縛りました。今もなお、徳目として、私たちを支配しています。父子、君臣、夫婦、長幼、朋友の五倫と、仁・義・礼・智・信の五徳などです。

スチュアート・ケルズ著『図書館巡礼』

スチュアート・ケルズ著『図書館巡礼』(2019年、早川書房)を、本屋で見つけて、読みました。
著者の博学に脱帽します。古今の図書館、それも図書館の概要より、エピソードがたくさん詰まっています。読み終えるのに、時間がかかりました。

本をどのようにして収集したか以上に、貴重な本が盗まれた、切り取られた、火事に遭った、放置された、価値がわからず捨てられたという話が並んでいます。
とんでもない収集家や泥棒がいたのですね。本が貴重だった時代は、それだけ犯罪を誘ったのでしょう。読んでいて、気分が悪くなります。
対象としているのが古代、中世、近世のヨーロッパですので、多くが教会、修道院、王侯貴族の図書館です。羊皮紙に書かれた豪華かつ貴重な書物と、印刷術が発展した初期の部数の少ない書物です。
多くの収集家にとって、読むことでなく、きれいなそして貴重な本を所有することに意義があったのです。宝石を集めることと同じだったのでしょう。

これを読んでいると、図書には2種類のものがあるようです。一つは豪華本で、もう一つはたくさん印刷された本です。
それによって、図書館にも、貴重な本を保管する図書館と、市民が気軽に利用する図書館があるようです。

池上 俊一 著『情熱でたどるスペイン史』

池上 俊一 著『情熱でたどるスペイン史』 (2019年、岩波ジュニア新書) を読みました。
私は、ローマ帝国の属領、イスラム支配、レコンキスタ、植民地帝国、フランコ独裁などの知識しかなく、スペインの通史を読んだことがなかったので、とても勉強になりました。お勧めです。
「ジュニア」と銘打っているので、中高生向けと思いますが、大人が読んでも十分に役に立ちます。というか、中高生には少々難しいかもしれません。

先生の著書「××でたどる○○史」には、このほかにフランス、イタリア、ドイツ、イギリスがあり、これで5か国目です。
イタリアがパスタ、フランスがお菓子、イギリスが王様、ドイツが森と山と川です。この切り口は、それぞれに「なるほどなあ」と思います。もちろん、一つの切り口でその国の歴史、文化、社会を紹介することはできませんが。わかりやすいです。
では、日本を紹介するとしたら、何を切り口にしますかね。天皇、和食、仏教と神道、島国・・・。

参考『ドイツの自然がつくったドイツ人』『パスタでたどるイタリア史

国際政治史研究、冷戦後をどう見るか

東京財団政策研究所、「政治外交検証研究会レポート ―政治外交史研究を読み解く」、細谷 雄一教授の「国際政治史研究の動向」から。

・・・今回は「近年の通史にどのような傾向が見られるのか」という問題意識から、以下3冊を取り上げてお話したいと思います・・・この3冊の通史に共通することとして、ポスト冷戦時代についての記述の分量が非常に多いことが挙げられます。私が大学生のころは、基本的には20世紀まで、つまり冷戦史を中心に歴史を学んでいたと思いますが、今の大学生は21世紀に生まれ、20世紀を知りません。冷戦どころか90年代も知らない世代がいま大学生として国際政治を学んでいるわけです。

そのような学生の問題関心は、当然ながら平成とほぼ重なる冷戦後30年がどのような時代であったのかという点に向かっていきます。例えばモーリス・ヴァイス『戦後国際関係史』では、全体の半分が冷戦後の記述です。冷戦後すでに30年が経過しており、第二次世界大戦終結から冷戦終結までが40~45年ですから、「戦後+冷戦時代」と「冷戦後の時代」が徐々に同じ長さになってきており、当然といえば当然かもしれませんが、問題となるのは、この冷戦後の時代をどう位置付けるかということであり、恐らくそれが重要な意味を持つのだろうと思います・・・

・・・ポスト冷戦期は、ソ連という帝国が崩壊したことでアメリカ一極となりましたが、その後アメリカがイラク戦争、アフガニスタン戦争によって国力を浪費し、2008年のリーマン・ショック以降さらに世界から後退していくことによって、アメリカが超大国としてのリーダーシップを失い、一極が零極、無極となりました。つまり現在は無極の時代なのだろうと思います。無極の時代とは、覇権安定論の理論で言えば混乱の時代だと言えます。このような時代をみて、ヴァイスはポスト冷戦期の時代を「混迷の時代」と位置付けたのではないでしょうか。

では、具体的に何が問題なのか。これについて、ヴァイスは必ずしも同書で明確に主張しているわけではありません。ただし、フランス的な視野から言えば、望ましい国際秩序とは多極である、つまり「ヨーロッパ協調(Concert of Europe)」なのです。
5大国によって勢力均衡と協調が図られた19世紀のウィーン体制は、このヨーロッパ協調の理想的なイメージであり、このイメージを基に、第一次世界大戦および第二次世界大戦の戦後処理が進められ、さらにはこれが国連安保理における常任理事国、いわゆる「P5」として帰結します。結局のところ国連P5の大国間協調による安定は、実現しませんでした・・・

・・・ポスト冷戦期の時代に対する3冊の描き方の相違を以上にみましたが、つづいてこの3冊の本に共通するもう一つの特徴についても触れたいと思います。それは、「西洋中心主義の相対化の模索」です。
ここで「模索」と言いましたのは、ヴァイス先生にしても、あるいは板橋さんや有賀先生にしても、そもそもアカデミックなトレーニングとしては、やはり欧米中心の国際政治史をこれまで学んできたのだろうと思います。それをいわば「接ぎ木」のように、力技で他の地域も加えていく。現代の国際政治を論じるためには、構造自体の見方を変えなければいけないので、やはり非常に難しいところがあると思うのです・・・