カテゴリー別アーカイブ: 歴史

戦後民主主義の罪、4

戦後民主主義の罪、3」の続きです。

3 憲法の神格化
もう一つ加えておきましょう。憲法の神格化です。「憲法を守れ」という主張は、憲法を神棚に祀る神様にしてしまいました。ここには、いくつかの問題が含まれています。
(1)棚ぼた
一つは、自分たちでつくったものではない、そして自分たちで努力しないということです。
憲法は、国民が勝ち取ったものではなく、占領軍に与えられたものです。出自がなんであれ、良いものを取り入れることは良いことです。ただし、努力せずに手に入れたので、民主主義は努力しなくてもできると思ってしまいました。「棚ぼた」は、努力の必要性を忘れさせる副作用がありました。平和主義を唱えつつ、その努力はしないことも、ここにつながります。

(2)変えない
それは、今あるものを守るという思想につながりました。新しい課題があっても、それに取り組まないのです。その思想は、憲法を不磨の大典にしてしまいました。成文憲法では、日本国憲法が最古になっています。制定は最古ではないのですが、条文が変わっていない点では世界で最も古いのです。

(3)西欧が基準
憲法を与えてくれたのは西欧であり、ものごとの基準は西欧だという意識です。これは、戦後民主主義だけの罪ではありませんが、戦後民主主義が助長した面もあります。その背景に、明治以来、西欧をお手本にして追いつこうとした「この国のかたち」があります。
革新勢力と呼ばれた人たちは、「進歩的文化人」とも重なっていました。かれらは、欧米に留学し、その輸入に努めました。後進国日本を、先進国に引き上げました。その功績は大きいです。しかし、追いついた後も、その考え方を変えることができませんでした。
西欧を向いていることは、国内の問題を拾い上げないことにつながります。学者は西欧に留学します。しかし、国内の問題には取り組みません。憲法学者は、ハンセン病患者への差別を拾い上げませんでした。参考「憲法を機能させる、その2

(4)国民は客体
「憲法を守れ」という主張は、国民が憲法を作りかえていくことを阻害します。国民は、憲法を作る主体ではなく、憲法に守られる客体になります。
また、政府と国民を、対立する関係にとらえます。政府の間違いを批判するのは良いことですが、批判だけでは、自分たちが主権者であることを忘れてしまいます。

4 「革新勢力」の罪
戦後民主主義を唱え、擁護した人や勢力の問題は、戦後民主主義が定着した後に、次なる課題に取り組まなかったことです。
新憲法が定着し、戦前に戻らなかったことは、大きな成果です。しかし、新憲法が定着した後も、「憲法を守れ」と言い続けたことで、「保守勢力」になってしまったのです。そして、ここに述べたような問題に、頬被りしてしまったのです。社会の課題を切り拓く革新勢力にならず、国民からも支持を失ったのです。
たぶん1960年代半ば、遅くとも1970年には、新しい方向に転換すべきだったのでしょう。それは、1960年安保闘争と1970年の安保闘争との違い、国民の参加と関心度に表れています。
これを乗り越えるには、「輸入業」から自分で考える研究者になること、西欧の言論より日本の課題に取り組むことでしょう。批判と反対だけでなく、改革案を提示することでしょう。
厳しいことを書きましたが、民主主義が日本に定着したことを高く評価しつつ、次なる発展への課題を整理しました。これは、戦後民主主義や革新勢力だけの責任ではありません。

戦後民主主義の罪、3

戦後民主主義の罪、2」の続きです。2つ目は、建て前と本音の使い分けです。

2 建て前と本音の使い分け
憲法に書かれたことを理想と掲げつつも、実生活では違ったことをしています。そして、それを変だと思いませんでした。
例えば男女同権は、日本型雇用慣行ではまったく適用されませんでした。女性社員は男性社員の補助として扱われ、結婚したら退社を余儀なくされました。女性議員や女性管理職の少なさは、世界でも突出しています。
結婚は両性の同意に基づくといいつつ、親が決めたり、親が反対することも続きました。

日本では、憲法という建前の世界と、世間という本音・実態の世間の2つがあります。世間とは、日本社会の集団主義であり、個人を縛る力です。前者は、個人が主体で、権利と義務があり、もめるときは法律で決め、裁判で決着をつけます。後者は、個人より先に世間があり、法律ではなく世間常識が規則です。もめたときは、裁判ではなく、お詫びで片をつけます。
会社でも社会でも、「世間の常識」に従うことが要請され、時に強要されます。「空気を読め」とです。それに反する行動をした場合は、「世間をお騒がせしました」と謝罪を要求されます。
新型コロナウイルス感染症拡大の際に、外出や会合そして会食の制限が私権の制限であるにもかかわらず、法律ではなく自粛要請で行われます。そして自粛要請に従わない店や利用者を「取り締まる」のは、警察ではなく、匿名の個人の批判なのです。公務員が自粛要請に反し、夜遅くまで大勢で会食をした際におとがめを受けるのは、コロナ特措法違反ではなく、信用失墜行為としてです。

「変な平等主義」も、この延長にあります。平等が主張されます。それはもっともなことです。ところが憲法が定めた平等は、法の下の平等扱いであって、現実には各人は平等ではありません。身長、体重、運動能力、性格、趣味などなど、人は平等ではありません。「順位を付けない運動会」は、「変な平等主義」の表れでしょう。
目立つ人をやっかみます。エリートの存在を許さず、足を引っ張ります。しかし、そのような人たちがいないと、社会がうまく回らないことも事実です。エリートの存在を許さないのに、彼らが職責を果たしていないと批判します。官僚批判には、このような面があります。
この項続く

戦後民主主義の罪、2

戦後民主主義の罪」の続きです。もたらした罪はいくつかありますが、大きく括ると「利己主義」「建て前と本音の使い分け」と「憲法の神格化」に、まとめることができるでしょう。
「利己主義」「建て前と本音の使い分け」は、戦後の発展に寄与しました。しかし、それもいくつかの面で限界に達しました。それが露呈したことで、「戦後民主主義」の限界が見え、評価が下がったのだと思います。

1 利己主義
新憲法が個人の尊重を定めたことにより、各自が自由に生きることができるようになりました。戦前の全体主義や、封建的な束縛(ムラやイエ)から、解き放されました。各人が努力すれば豊かになれるという、経済成長期の時代背景もこれを促進しました。
他方で、自分と家族を優先する思想と行動は、「マイホーム主義」と呼ばれました。それは、社会への貢献を重視しません。

それは、「平和主義」にも現れました。平和を唱えますが、国際貢献はしません。積極的に平和を作るのではなく、他国に守ってもらうのです。そのような中で、物を世界に売りまくるので、エコノミックアニマルとも揶揄されました。
この「ただ乗り」が露呈したのが、1991年の湾岸戦争です。石油を運ぶタンカーを中東の交戦区域に送るのに、支援物資を運ぶ船は危険だと言って行かないのです。これは、戦後日本の最大の恥辱だと思います。

私権の制限が進まないことなども、ここに原因があるでしょう。コロナウイルス感染拡大防止のための行動制限が、各国では法律で行われるのに、日本では自粛要請で行われます。国民に番号を振って、行政手続きを効率化することも、税金の手続きを簡素化することも、進みません。

かつて紹介した「橋の哲学」もそうです。美濃部都知事が、反対意見のある公共事業を中止する際に、「1人でも反対があれば橋は架けない」という言葉を引用しました。この言葉はフランツ・ファノンの言葉だそうですが、この言葉の続きにある「その代わり川を歩いてる」といった趣旨の部分を省略してあります。このような発言が、支持されるのです。
この項続く

戦後民主主義の罪

戦後民主主義」の続きです。
戦後民主主義は、日本に、民主主義、自由と法の下の平等、平和をもたらし、ひいては豊かさと安定をもたらしました。戦前と比べると、その功績は大きいです。クーデターや政治を巡る暴力的事態が起きなかったことも、成果でしょう。
そのような功績を残しつつ、いくつもの問題を抱えていました。また抱えています。それが「戦後民主主義」と、カギ括弧付きで語られるゆえんです。

平和主義について。
戦争放棄という理想は良いのですが、まだ現実世界はそれを実現する条件がそろっていません。北朝鮮が核開発を進め、ミサイルが日本上空を飛び越えます。中国軍は装備を増強し、日本領海をかすめます。
戦後民主主義の柱であった一国平和主義は、まことに身勝手な話でした。国内でも警察のない社会は理想ですが、現実的ではありません。
国連には加盟するが国連憲章の義務は果たさないという矛盾にも、目をつむります。(国連憲章第45条 国際連合が緊急の軍事措置をとることができるようにするために、加盟国は、合同の国際的強制行動のため国内空軍割当部隊を直ちに利用に供することができるように保持しなければならない。)

戦後民主主義の残る二つも、実質的であったか、定着したかという点で、疑問があります。
基本的人権も、大学の憲法で詳しく教えられますが、それは西欧の歴史が主で、国内での人権蹂躙については知らん顔を続けます。その一つの象徴が、ハンセン病患者です。憲法学の教授は、これについて発言してきませんでした。「憲法を機能させる、その2
代表制民主制についても、例えば、政権交代なく半世紀が過ぎました。アジアでは、日本より先に、韓国と台湾で平和的に政権交代が実現しました。その他の点で代表制民主制がどのような成果を残したかは、議論されるべきです。この項続く

「戦後民主主義」

山本昭宏著『戦後民主主義-現代日本を創った思想と文化』(2021年、中公新書)が、お勧めです。特に、日本の近過去を知らない若い人に、読んでもらいたいです。国政、論壇だけでなく、国民の意識や生活にまで目を配った、すばらしい分析になっています。

敗戦で、占領軍によってもたらされた憲法によって、民主主義が国民に受け入れられます。代表制民主制、基本的人権、平和主義(戦争と軍隊の放棄)です。
その後、代表制民主制と基本的人権は大きな争点になりませんが、平和主義は日米安保条約改定などで大きな争点となります。そして、革新勢力と呼ばれる側が「憲法を守れ」と、保守勢力と呼ばれる側が「改憲」を主張する「ねじれ」が続きます。

その後は、国民がこぞって経済成長に邁進し、憲法議論は棚上げ状態になります。米ソ対立、中国や北朝鮮が脅威にならないという国際条件も、それを支えます。
自国を他国(アメリカ)に守ってもらう、海外の紛争には関与しない、という一国平和主義を続けます。

そのご都合主義が破綻したのが、1991年の湾岸戦争です。最も多くの石油を輸入していながら日本は、そこでの紛争解決に軍隊を送ることができず、支援もお金だけ(後に掃海艇を派遣)で、国際社会から軽蔑される事態となりました。石油を買うためのタンカーは送るのに、支援物資を運ぶ輸送船は危険だからと航海を拒否するのです。この点は、岡本行夫さんの著作などを読んでください。「湾岸戦争での日本の失敗」。この項続く

著者は、1984(昭和59)年生まれだそうです。私は1955(昭和30)年生まれです。1960年の安保闘争は知りませんが、その後の日本の歩みは体験しました。彼にとって、昭和後期は体験していない時代です。よく調べたものです。