カテゴリー別アーカイブ: 歴史

東京オリンピックの位置づけ

8月3日の朝日新聞オピニオン欄、吉見俊哉・東京大学大学院情報学環教授へのインタビュー「東京五輪、国家の思惑」から。

・・・五輪選手たちの健闘をよそに、新型コロナ感染拡大が日本の首都を脅かしている。もしコロナ禍に見舞われていなかったら、五輪は日本に益をもたらしたのか。今回の五輪を「敗戦処理」と表現する社会学者の吉見俊哉さんは、東京という都市の実相を研究し続けてきた。これからの東京はどこへ向かうべきなのかを尋ねた・・・

――開催前から、今回の東京五輪を批判していました。
「多くの意味で、1964年の東京五輪の『神話』から抜け出せていないことが最大の問題です。根本的な価値観の転換もなく、前回の延長線上で、2020年東京五輪を迎えてしまいました。6月の党首討論で五輪の意義を問われた菅義偉首相が、女子バレーの『東洋の魔女』などを挙げて前回の東京五輪の思い出を長々と語ったことがその象徴です。一国の首相ですら、半世紀以上前の成功体験しか語ることがない。なぜ東京で再び五輪をするのか、誰も分からないまま突っ走ってしまった。開会前から、敗戦処理をしているようでした」

――64年の東京五輪では、「お祭りドクトリン」によって何が行われたのでしょうか。
「東京をより速く、高く、強い都市にすることが前面に打ち出されました。川や運河にふたをして首都高速道路が造られ、路面電車のネットワークが廃止されました。当時、都民の多くは反対していましたが、住民の暮らしよりも経済発展が重視された。開発の結果、東京という都市は著しく効率的になった半面、無味無臭の街になってしまいました」
「東京が、明治時代から続く『軍都』だったことも再開発には好都合でした。明治維新で薩長が江戸を占領し、中心部から離れた現在の港区、渋谷区のような西南部に軍事施設が集中しました。敗戦後は米軍に接収されて、代々木のワシントンハイツなど米軍施設になります。しかし、反米意識を抑えたい米国の意向で、こうした施設は徐々に返還され、国立代々木競技場などの五輪施設に生まれ変わりました。六本木や原宿は流行の先端を行く街となり、東京五輪神話へとつながっていきます」

「今回の『敗戦』で日本ではもう誰も五輪をやりたいとは思わなくなるでしょう。政治家がいくら開催を唱えても、国民の支持は得られない。お祭りドクトリンの化けの皮はすでに剥がれています」

民間戦災被害者への補償

8月2日の朝日新聞オピニオン欄、伊藤智章・編集委員の「戦災救済、民間置き去り 根底に「受忍論」、いびつさ見直しを」から。

・今の日本は原爆、沖縄戦などを除き、民間の戦争被害を救済する制度がない
・第1次大戦後から欧米は民間被害も補償した。戦時中の日本ですら制度があった
・国による慰霊や被害調査も不十分。当事者が存命のうちに救済立法を急ぐべきだ

・・・救済法は3月の参院予算委員会でも取り上げられた。政府は「すべての国民が何らかの戦争の犠牲を負った」(菅義偉首相)としたうえで、「政府は、雇用関係にあった軍人軍属らに補償の対応をしてきた」(田村憲久厚生労働相)と答えた。裏返せば、雇用関係のない一般国民の被害を補償する義務は国にはない、ということだ。
根底には、戦争という非常事態下、身体や財産の被害は、国民が等しく我慢しなければいけない、という「受忍論」がある。最高裁が68年の判決で打ち出した理屈だ。

実は戦争中の政府は、こんな非情は言えなかった。42年に戦時災害保護法を制定し、民間被害者に給付した。
「戦災者の栞 みなさん御存じですか こんな温い手があります」
45年6月8日付の朝日新聞記事が同法を紹介している。持ち家全焼は千円以内、遺族500円、救助中の死亡に千円を支給、とある。41年の国民学校(小学校)教諭の初任給が50~60円だった時代にそれなりの支給をした。
45年度支給額は7億8600万円。傷病軍人や遺族向けの軍事扶助法による支給額2億2800万円の3倍だ。
ところが戦後の46年、民間人の救済は生活保護などで対応するとして占領軍の指示で廃止され、それっきりだ・・・

・・・ 旧西ドイツは独立回復後に連邦援護法を制定し、軍民差別のない救済を進めた。英仏も同様だ。現地調査をした国立国会図書館元調査員の宍戸伴久さん(72)によると、欧州は国家総力戦になった第1次大戦を契機に、民間被害への支援を始めた。日本の多くの援護制度と違い、外国籍も救済する・・・

ドルショックから半世紀

8月2日の日経新聞オピニオン欄、藤井彰夫・論説委員長の「1971年真夏の衝撃 米中とドル、教訓今も」が勉強になります。若い人には歴史でしょう。一読をお勧めします。

・・・新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言下の東京五輪大会の開催。2021年の夏は日本人にとって忘れられない夏になるだろう。
今から50年前の1971年の夏もそうだった。キッシンジャー米大統領補佐官(国家安全保障担当)が極秘に中国を訪れ周恩来首相と会談。それを受けて7月15日にニクソン大統領は翌年の訪中を電撃発表した。1カ月後の8月15日、ニクソン氏は日曜夜の緊急テレビ演説で金・ドル交換の停止を宣言した・・・

あれからもう半世紀も経つのですね。私は高校生でした。キッシンジャー補佐官の極秘交渉で、ニクソン大統領が訪中することは、それなりの衝撃を持って受け止めました。
しかし、ドルショックの方は、それがもつ意味はわかりませんでした。まず為替相場の意味がわからず、「円高になると、1ドル360円が例えば200円になる」と聞いて、「なぜ円「高」といって、下がるの」という程度の認識でした。

この記事にもあるように、日本政府の関係者も何が起きるのか、よくわからなかったようです。
1ドル=360円で守られていた輸出産業が、変動相場の波に洗われることになりました。一つの経済的「開国」だったのですね。
現在では、定時のニュースで、円ドル相場と株式市場の動向が伝えられます。しかし、それまでは、1ドル=360円に固定されていましたから、円ドル相場のニュースはありませんでした。
日経平均株価を定時のニュースが伝えるようになったのは、いつからでしょうか。かつて気になって、NHKに問い合わせたのですが、「いつから報道するようになったかは、わからない」との回答でした。

21世紀最初の20年、2

「21世紀最初の20年」の続きです。
21世紀になってから、20年以上が経ちます。現在の日本を分析するには、バブル崩壊の1991年を起点にするのが良いと思いますが、今回は21世紀の20年を対象としましょう。国際問題は別の機会として、日本国内の変化を見てみましょう。

経済では、低成長が続いています。経済規模は、世界第2位から第3位へ。一人あたり所得は、トップクラスから20位以下へと転落。G7では、この間ずっと7位。非正規雇用は4割近くに。対策は打たれつつありますが、格差縮小はまだ目に見えて進んでいません。
政治では、省庁改革、小泉内閣、政権交代、民主党政権、安倍内閣、非自民政党の分裂がありました。この間の特徴は、政治主導の強化でしょうか。
消費税を5%から10%に引き上げましたが、財政赤字はさらに膨れあがっています。
人口は減少に転じました。少子高齢化は、相変わらず進んでいます。結婚しない若者が増え、一人暮らしも増加。自殺者は一時減少しましたが、増加に転じています。
女性の社会参加が増えました。非営利団体の活躍増加も挙げておきましょう。

インターネットが普及し、多くの人がスマートフォンを持つようになりました。反面、テレビを見る人や新聞を読む人が減りました。商品をネットで購入し、宅配で届けられることが増えました。
出来事としては、2011年の東日本大震災、その後続く大災害。2020年に日本にも広まった新型コロナウイルス感染症。
あなたとあなたの家族、そしてあなたの地域では、どのような変化がありましたか。
さて、次の20年はどのような姿になるでしょうか。私たちは、どのような国と社会をつくるのでしょうか。

明治維新では、黒船来航1853年から20年後は1873年、維新がなり、廃藩置県まで進んでいます。戊辰戦争1868年から明治憲法1889年まで満21年です。戦後改革では、1945年から20年後は1965年。東京オリンピックが1964年、ドイツを抜いて世界第2位の経済大国になるのが1968年です。

国際法と国際関係の相互作用2

国際法と国際関係の相互作用」の続き、7月20日の朝日新聞オピニオン欄、小和田恒・元国際司法裁判所長へのインタビュー「国際法の理想の長い旅」から。

――ところで米中対立など混沌たる世界情勢を「歴史の幕間劇」と評されました。その意味は。
「この講座で歴史をどう扱うかは両大学の判断ですが、私見を言えば、ウェストファリア会議以降に欧州が中心だった『国際社会』は2度の大戦を経て大きく変わりました。グローバル化です。植民地から独立した新興国がメンバーの多くを占め、温暖化対策やコロナ禍のように国境を越えて人間の安全に関わる問題への取り組みが必要な『地球社会』へ変貌した。社会が構成員の福祉と安寧のために存在する以上、国際社会が協調によって秩序を築く流れはとどまることはないと思います」

――しかし冷戦がありました。
「その冷戦を、私はシェークスピアの芝居の幕間劇のように考えます。確かに米ソが戦争をすれば互いに滅ぶという恐怖から均衡が保たれるという、19世紀と同様の『力の均衡』の世界が一時的に出現しました。しかしその間も歴史劇の主題であるグローバル化は着々と進んでいたのです」
「冷戦終結とはグローバル化にソ連の社会体制が対応できなかった『敗北』でした。幕間劇が終わればグローバル化という主題が表舞台に出て、新興国も加わる『第2のウェストファリア体制』と言うべき協調の時代へ向かうはずでした。それが誤解され、米国を中心とする資本主義の『勝利』という考え方が生まれました」

――幕間劇に収拾がつかないまま、今日に至っていると。
「野放しの自由放任主義に統治原理としての正統性が与えられ、協調で国際秩序を築く努力は滞りました。格差拡大への不満から社会の分断が進み、米国では自国第一のトランプ現象が、英国でも欧州連合(EU)からの離脱が起きた。他のEU諸国でも移民や難民の受け入れに国民が反発するナショナリズムが強まりました」
「ソ連の後身ロシアではプーチン長期政権でのクリミア併合に見られるような領土回復主義、中国では前世紀までの植民地支配の屈辱を晴らす復讐主義と、国際秩序を軽視する国民感情が生まれました。ウェストファリア体制前の欧州さながらに、各国が目先の偏狭な利益の追求に走っています」