カテゴリーアーカイブ:歴史

国際と国内の分断2

2023年1月17日   岡本全勝

国際と国内の分断」の続きです。1月4日の朝日新聞オピニオン欄、板橋拓己・東大教授の「2度目の大戦を招いた「戦間期」と今の類似点 何に再び失敗したのか」から。

――社会の分断については、どこが共通しているのですか。
「ワイマール期ドイツは、労働者、保守層、カトリックなどに分断され、支持政党も読む新聞も違っていました。主流のメディアがなかったので、同じ出来事への評価がばらばらに分かれてしまう。今でいえばエコーチェンバーのようなところがあって、自分たちが見たいものしか見ない。陰謀論も流行しました」
「現在も、米国が典型ですが、リベラルや保守といったセクターごとに、メディアも政党も固定されてしまっています。対話がなくなっているという状況が、戦間期と似ているように思います」
「分断したからといって、ただちに対立につながるわけではありません。社会が分極化して価値観が多元化すること自体は、多様な利害が反映されるという点で、民主主義にとって健全なことかもしれない。ただ、そのためには、相手の立場を尊重することが必要です。意見の違う相手はたたきつぶすという態度は有害で、その典型がファシズムです。そういう政治を許してはならないというのが戦間期の教訓でしょう」

――なぜ、分断がファシズムに行き着いたのでしょうか。
「最大の原因は不安です。ナチス躍進のきっかけは、世界恐慌で失業が激増したことです。ただ、ナチスの得票率を見ると、むしろ失業者が少ない地域で高かった。ナチスを支持したのは、実際に失業した労働者よりも中産階級でした。明日は我が身かもしれないという中間層の不安を、ナチスは巧みに利用したのです」
「不安をかき立てられた人が急進右派に走るのは、現代も同じです。『ドイツのための選択肢』という排外主義的な右派ポピュリズム政党がありますが、支持者は移民が多い旧西独の都市部よりも、移民が少ない旧東独地域に多い。移民が少ない地域のほうが、外国人が増えたら今の生活が崩れるのではないかという不安が強いのです。不確実な未来への不安が大きくなると、極右への支持につながってしまう」

――「不安の暴走」を防ぐには、何が重要ですか。
「権力者とメディアの責任は大きいでしょう。分断と同様に、不安もただちに対立につながるわけではありません。権力者が自由民主主義のルールを順守し、対立をあおるゲームに乗らないことが重要です。メディアも、行き過ぎた言論に対しては抑制的になるべきです。社会が分極化すると、メディアや政治家も極端な方向に走りがちですが、それをいかに自制できるかが課題です」

国際と国内の分断

2023年1月16日   岡本全勝

1月4日の朝日新聞オピニオン欄、板橋拓己・東大教授の「2度目の大戦を招いた「戦間期」と今の類似点 何に再び失敗したのか」から。

――現在の国際情勢は、二つの世界大戦の間の「戦間期」に似ているともいわれます。
「今のロシアを、戦間期ドイツのワイマール共和国と重ねる見方は多いですね。巨大な国家が解体した後に帝国意識が残存したという点、いったん経済的に破綻(はたん)しかかったという点で共通しています。ワイマールは1920年代にハイパーインフレと大恐慌を経験し、ナチスが台頭した。ロシアも90年代に経済的に大きく混乱し、その後プーチン氏が強大な権力を握りました」
「もちろん戦間期と現代で、全体状況は大きく違います。その中で、あえて現在と似ている点を探すとすれば、大きな戦争後の『秩序構築』に失敗したことと、社会が極度に分断されていることです」

――「秩序構築の失敗」とは。
「欧州諸国が血みどろの戦いを繰り広げた第1次世界大戦は、世界に大きな傷痕を残しました。その戦後の秩序構築が、戦間期の20年間の課題でした。冷戦終結後の30年間も、大きな『戦争』の後の秩序構築という側面がある点では似ています」
「しかし、戦間期の秩序構築は失敗でした。第1次大戦後に成立したベルサイユ体制やワシントン体制は、勝者側の論理で作られた国際秩序でした。やがて、ドイツ、イタリア、日本のような現状打破を目指す国の挑戦を受けることになった」

――冷戦終結の後はどうだったのでしょうか。
「米国の歴史家サロッティは、冷戦後の欧州の秩序は『プレハブ構造』だと指摘しています。NATO(北大西洋条約機構)などの西側の秩序は、冷戦のためにつくられたものです。冷戦終結後、根本的につくり替えてもよかったはずですが、実際にできたのは西側の秩序を建て増したプレハブでした。基本的な構造は変わらないまま、NATOとEUが東に拡大していった」
「旧社会主義国の人々を、冷戦に負けたという屈辱感なしにどうやって国際社会に包摂するか。90年代に模索は重ねられましたが、うまくいかなかった。その反動としてプーチン氏のような人が出てきた。冷戦後の秩序構築の失敗の結果として、今回のロシア・ウクライナ戦争を捉えることもできるかもしれません」
この項続く。

根津美術館、将軍家の襖絵展

2022年11月28日   岡本全勝

キョーコさんのお供をして、根津美術館の「将軍家の襖絵展」に、行ってきました。将軍家と言っても、室町幕府、足利将軍家です。
その屋敷のふすま絵は残っていませんが、文献から復元した姿を見せてくれます。各部屋に何が書かれていたかが記録されていて(これもすごいことです)、それに近いと思われる現存する絵を展示してあるのです。中国への憧れ、水墨画が主流だったことが分かります。安土桃山時代を経て、このような水墨画と、絢爛たるふすま絵とが描かれるようになったのですね。
もっとも、ロウソクや燭台の光では、私たちが見るようには明るくはなかったでしょう。
展覧会は12月4日までです。

根津美術館の庭は、紅葉の真っ盛りで、たくさんの人で賑わっていました。外国からと思われる人も多かったです。都会の真ん中とは思えない、すてきな場所です。
ただし、庭のあちこちに、日本と東洋の石造や金銅製の古美術品が点在しているのは、よいと思う人と、過剰だと思う人がいるでしょう。

高松塚古墳壁画発見 50 周年記念フォーラム

2022年11月20日   岡本全勝

今日は、東京大手町で開かれた「高松塚古墳壁画発見 50 周年記念 第26回 明日香村まるごと博物館フォーラム」に行ってきました。大勢の人が参加していました。村長をはじめ村職員が飛鳥時代の服装だったのも、よかったです。
1972年に壁画が発見されて50年を記念して、さまざまな催し物があります。「3月のシンポジウム

話を聞き、写真を見て、あらためてこの発見の意義を考えました。登壇者が発言したように、それまでは一部の人しか知らなかった考古学が、広く国民に知られ興味を持ってもらえるようになった大きなきっかけでした。新聞の1面に発掘結果が載ったのも初めてで、カラー印刷で紹介されたのも初めのことでした。
私は「明日香村の出身です」と自己紹介すると通じるという恩恵を受けています。

村では、近年も新しい発見が続いています。牽牛子塚古墳も整備され、見学できるようになりました。つくられた当初は、こんな形だったのですね。牽牛子塚古墳は、近くにある岩屋山古墳、真弓鑵子塚古墳とともに、私のお気に入りの古墳で、何度も自転車で行きました。岩屋山古墳と牽牛子塚古墳は加工された石室がよく見えて、鑵子塚古墳は巨大な石室に入ることができました。壁と天井に積み上げられた石が崩れてきそうで、怖かったです。いまは立ち入り禁止のようです。

足立区立郷土博物館「琳派の花園 あだち」

2022年11月12日   岡本全勝

足立区立郷土博物館「琳派の花園 あだち」を紹介します。新聞で取り上げていたので、行ってきました。琳派と足立区とは、どのようなつながりか。多くの人は不思議に思うでしょう。私もそうでした。
江戸後期に、琳派の絵師たちが現在の足立区で活躍したのです。そして、千住の有力町人たちが、その絵を買い求めました。それが、区内の住宅に残されているのです。個人が所蔵して楽しんだ物なので、小ぶりな物が多いですが、なかなか立派な作品が並んでいます。

絵画というと、王侯貴族や豪商が支援者となって所有した、それが美術館に納められていると思ってしまいます。しかし日本でも、藩主や有力武士、豪商だけでなく、有力町民や農家も支援者となり所有者だったのです。
明治以降、伝統文化を捨て、欧米文化に傾倒したこともあって、日本美術は正当な評価を受けてこなかったようです。その後、日本美術が再評価され、神社仏閣に保管されていた美術品は鑑賞の対象となりましたが、個人蔵の美術品は日が当たりませんでした。「お宝探偵団」が、それに日を当てました。

足立区の個人宅に残された名品が、このような形で展示されるのは、素晴らしいことですね。関東大震災と太平洋戦争の空襲がなければ、もっとたくさん残されたのでしょうが。
各地の小京都と呼ばれる地方都市でも、祭りの際に展示されることもあります。各地でさまざまな催しがなされることを期待します。

郷土博物館には、亀有駅からバスで行きます。亀有駅前では、あの「こち亀」の両津巡査長の銅像が出迎えてくれます。