「歴史」カテゴリーアーカイブ

近代化で受けた心の傷

2月18日の朝日新聞読書欄、モリス・バーマン著『神経症的な美しさ アウトサイダーがみた日本』(2022年、慶應義塾大学出版会)についての、磯野真穂さんの書評「急速な近代化がもたらす後遺症」から。

・・・本書前半の一節が甦った。
「(あらゆる先進国が)中世から近代への移行によって受けた傷は精神的・心理的なもので、現実の始原的な層(レイヤー)を押しつぶし、そこに代償満足を補塡した――実に惨めな失敗に終わったプロセスである(略)そこには、実存ないしは身体に根ざす意味の欠如がつきまとっている」
・・・
著者は日本を先進国への移行過程で最も傷を負った国であるとする。英国が200年かけた近代化を、日本は20年ほどで成し遂げねばならなかったからだ。古来より受け継がれた暮らしのあり方を捨て、西洋を模倣し続けた日本人。その精神は西洋への憧憬と、心の核を求める煩悶の間で分裂し、虚無に泳いだ。これはあらゆる先進国が抱える問題であるが、日本はその速度ゆえ、後遺症が神経症レベルで現れ続けていると著者は分析する・・・

近藤和彦先生「『歴史とは何か』の人びと」

近藤和彦先生が、岩波書店のPR誌『図書』に、「『歴史とは何か」の人びと』」を連載しておられます。2月号は、「R・H・トーニと社会経済史」です。
9月号トリニティ学寮のE・H・カー 、10月号謎のアクトン、11月号ホウィグ史家トレヴェリアン、12月号アイデンティティを渇望したネイミア、1月号トインビーと国際問題研究所。

これは面白いです。20世紀前半のイギリス歴史学を担った人たちの「肖像画」「舞台裏」です。学者は書き上げた論文で評価されますが、それは機械が作るのではなく、血の通った人間が作るものです。彼らが置かれた環境、育った経歴、意図したところが、論文を作り上げます。新しい歴史学を作った人たち、新しい見方を作った人たちには、もちろん時代背景もありますが、それだけではなく、それを生み出す個人的な背景があります。人間くささが、私たちを引きつけます。

雑誌『図書』は、1冊100円、年間1000円で、ほかにも興味深い文章を読むことができます。大きな本屋では、ただでもらえます。お得です。
近藤和彦訳『歴史とは何か』

池上俊一著『歴史学の作法』

池上俊一著『歴史学の作法』(2022年、東京大学出版会)を紹介します。
歴史とは何か、歴史学と何かを、先生の立場から考えた本です。歴史学の研究方法も書かれています。「近藤和彦訳『歴史とは何か』『歴史学の擁護』などの延長にあります。
先生の立場は明確です。社会史と心性史を中心にすることです。20世紀に西欧歴史学が、政治史からや経済史に広がり、さらに社会史などに広がってきました。先生はその路線を進めるべきだと主張されます。「歴史の見方の変化」「歴史学は面白い

私も、賛成です。社会は個人から成り立ち、その人たちの関係が作っています。すると、社会科学の基本は、個人とその人たちの関係になると思います。個人の行動に焦点を当てる心性史、人々の関係に焦点を当てる社会史が、基本になると思うのです。

先生は、『シエナ―夢見るゴシック都市』(中公新書 2001年)、『パスタでたどるイタリア史』(岩波ジュニア新書 2011年)、『お菓子でたどるフランス史』(岩波ジュニア新書 2013年)、『森と山と川でたどるドイツ史』(岩波ジュニア新書 2015年)など、一般向けのわかりやすい本も書いておられます。私も、楽しみながら読みました。

鯨肉を食べなくなった、肉食の変化

1月7日の読売新聞夕刊に「クジラ肉は自販機で」という記事が載っていました。

「鯨肉はたんぱく質や鉄分など栄養価が高く、食糧難にあえぐ終戦直後の日本の食卓を支えた。農林水産省の統計によると、国内の鯨肉消費量は1962年度には23・3万トンに達し、牛肉(15・7万トン)や鶏肉(15・5万トン)を上回っていた。
ところが乱獲で鯨が激減し、資源管理を行うIWCは80年代、商業捕鯨モラトリアム(一時停止)を採択し、発効。食文化も変化し、鯨を食べる習慣は急速に失われた」とあります。

その変化が、表になっています。
前が1962年度、後ろが2021年度の国内年間消費量、()は1人1年あたり消費量です。半世紀の間に、牛肉などの消費がこれだけも増えたのですね。
牛肉15.7(1.2)、126.7(6.2)
豚肉32.2(2.3)、267.5(13.2)
鶏肉15.5(1.2)、260.1(14.4)
鯨肉23.3(2.4)、0.1(0.0)

国際と国内の分断2

国際と国内の分断」の続きです。1月4日の朝日新聞オピニオン欄、板橋拓己・東大教授の「2度目の大戦を招いた「戦間期」と今の類似点 何に再び失敗したのか」から。

――社会の分断については、どこが共通しているのですか。
「ワイマール期ドイツは、労働者、保守層、カトリックなどに分断され、支持政党も読む新聞も違っていました。主流のメディアがなかったので、同じ出来事への評価がばらばらに分かれてしまう。今でいえばエコーチェンバーのようなところがあって、自分たちが見たいものしか見ない。陰謀論も流行しました」
「現在も、米国が典型ですが、リベラルや保守といったセクターごとに、メディアも政党も固定されてしまっています。対話がなくなっているという状況が、戦間期と似ているように思います」
「分断したからといって、ただちに対立につながるわけではありません。社会が分極化して価値観が多元化すること自体は、多様な利害が反映されるという点で、民主主義にとって健全なことかもしれない。ただ、そのためには、相手の立場を尊重することが必要です。意見の違う相手はたたきつぶすという態度は有害で、その典型がファシズムです。そういう政治を許してはならないというのが戦間期の教訓でしょう」

――なぜ、分断がファシズムに行き着いたのでしょうか。
「最大の原因は不安です。ナチス躍進のきっかけは、世界恐慌で失業が激増したことです。ただ、ナチスの得票率を見ると、むしろ失業者が少ない地域で高かった。ナチスを支持したのは、実際に失業した労働者よりも中産階級でした。明日は我が身かもしれないという中間層の不安を、ナチスは巧みに利用したのです」
「不安をかき立てられた人が急進右派に走るのは、現代も同じです。『ドイツのための選択肢』という排外主義的な右派ポピュリズム政党がありますが、支持者は移民が多い旧西独の都市部よりも、移民が少ない旧東独地域に多い。移民が少ない地域のほうが、外国人が増えたら今の生活が崩れるのではないかという不安が強いのです。不確実な未来への不安が大きくなると、極右への支持につながってしまう」

――「不安の暴走」を防ぐには、何が重要ですか。
「権力者とメディアの責任は大きいでしょう。分断と同様に、不安もただちに対立につながるわけではありません。権力者が自由民主主義のルールを順守し、対立をあおるゲームに乗らないことが重要です。メディアも、行き過ぎた言論に対しては抑制的になるべきです。社会が分極化すると、メディアや政治家も極端な方向に走りがちですが、それをいかに自制できるかが課題です」