「殿様は目黒でサンマを食べたか」を読んだ読者から、次のような文献を教えてもらいました。
福島信一・元水産庁東北区水産研究所海洋部長による「東北海区サンマ漁業創始100年」(東北水研ニュース69号、平成17年1月~平成17年6月)です。江戸時代に、千葉県沖でサンマ漁がされていたようです。詳しくは原文を読んでいただくとして、関係ある部分を引用します。
わが国のサンマ漁業が,延宝年間(約330年前)に熊野灘に起こった事は,水産高校の教科書などにも見られる。河村瑞軒が西廻り,東廻り航路を開いた年代である。この頃,三陸では唐桑村鮪立(しびたて)の漁業者が,紀州の漁師から鰹釣漁を習い,普及に努めたので,漁獲量も桁違いに急増した。しかしサンマ漁業は,元禄年間(約310年前)に安房国に伝わり,伊豆地方にも普及したが,明治時代の末までは,千葉県以西の本州南岸各地先で営まれていた。カツオ釣漁のように,東北海区へ伝わらなかった主な要因は,当時の漁具・漁法と,サンマの回遊特性によるのである。
1912年(大正1)農商務省水産局発行の,日本水産捕採誌全によると,秋刀魚は東海にて多く漁獲し,関東ではサンマ,関西ではサイラと称し,安房・志摩・紀伊国が盛漁地である。安房国の秋刀魚漁は,東海岸の七浦・千倉浦に盛で,漁期は陰暦9月中旬~11月末で,近海各地から廻船入漁し,頗る活況を呈した。
1890年に府県制・郡制が公布されたが,その数年前に,県の史員がとりまとめた「陸前国宮城郡地誌」は,35頁・32項目にわたる力作である。その物産の頁には,水産物24種が記されている。鯛・鮃・鰹・鮪・鰯などの生産量が,1駄・2駄・・・の単位で,魚種別に記されているが,秋刀魚の記載は何処にも見当たらない。この資料から,当時の三陸漁場に於いては,秋刀魚は漁獲されていなかった事が判る。
このため漁場は,外洋性のサンマが黒潮により陸岸近く来遊する,千葉県以西の本州南岸の岬や島しょの東側に限られていた。
このように,1916年の岩手県漁業者のサンマ流網漁業の開始・大成功は以南各県漁業者の三陸沖への出漁を促し,企業体数・漁獲量ともに急増した。この年以降は,東北海区漁場の漁獲が,江戸時代から営まれてきた,千葉県以西のごく沿岸の漁獲を大きく凌駕した。福島県の漁業者が,サンマ流網漁業を起こして以来,10年が経過し,東北海区がサンマ主漁場となったのである。