カテゴリー別アーカイブ: 歴史

ルーヴル美術館展

先日、国立新美術館で開催中の「ルーヴル美術館展 愛を描く」に行ってきました。
「愛を描く」という主題で、作品が選ばれています。なるほど、このような展示もありますね。ルーブル美術館などは古今東西、膨大な数の美術品を集めていますから、そこから展示品を選ぶとなると難しいです。ごった混ぜになると、見る方も疲れます。

「愛」と言っても、西欧の歴史では大きな変遷があります。
古典古代の時代は、ギリシャ神話やローマ神話での愛で、神々の愛です。生身の人間は出てきません。しかし、男女の愛を神様に仮託して描いたのでしょう。
中世は、キリスト教の愛です。これは、男女の愛ではありません。
ルネッサンスのあと、かなり時代が経ってから、現実社会での男女の愛が絵に描かれるようになります。
共通するのは、女性の美しさを表現することです。そして中世以外は、裸像です。
ところで近世では、理想的な愛だけでなく、俗な愛も描かれています。娼婦や不倫と思われる絵です。注文した人がいたのです。これらは、どこに飾られたのでしょうか。お客さんが来る応接室や、子どもたちもいる食堂や居間には掛けなかったでしょうね。

国立西洋美術館の「憧憬の地 ブルターニュ」もよかったです。祝日の上野公園は、大変な人出でした。

『古代豪族 大神氏』

鈴木正信著『古代豪族 大神氏 ─ヤマト王権と三輪山祭祀』(2023年、ちくま新書)を読みました。

「大神」と書いて「おおみわ」と読みます。大和盆地の南西、桜井市に三輪山があります。その麓に、三輪山をご神体とする大神神社があります。桜井市は明日香村の隣です。大神神社には、子どもの頃に初詣にも行きました。それはそれは大変な人出でした。
「大神と書いて、なぜおおみわと読むのか」、不思議に思っていました。
三輪山の周辺には、箸墓をはじめたくさんの古墳があり、また初期の大和朝廷の宮殿が置かれました。でも、天皇家の崇拝する神社は大神神社でなく、はるか東にある伊勢神宮です。

大神氏という、三輪山をまつる豪族がいたのですね。物部、大伴、葛城、蘇我などの豪族の名はよく出てきますが、大神は知りませんでした。というか、出てきたのでしょうが忘れていました。
限られた古文書、それも後世に人の手が加わっています。それと出土した遺物から、歴史を組み立てる。一種の推理小説です。しかも小説と違い、「これですっきりした」とはなりません。

近代化で受けた心の傷

2月18日の朝日新聞読書欄、モリス・バーマン著『神経症的な美しさ アウトサイダーがみた日本』(2022年、慶應義塾大学出版会)についての、磯野真穂さんの書評「急速な近代化がもたらす後遺症」から。

・・・本書前半の一節が甦った。
「(あらゆる先進国が)中世から近代への移行によって受けた傷は精神的・心理的なもので、現実の始原的な層(レイヤー)を押しつぶし、そこに代償満足を補塡した――実に惨めな失敗に終わったプロセスである(略)そこには、実存ないしは身体に根ざす意味の欠如がつきまとっている」
・・・
著者は日本を先進国への移行過程で最も傷を負った国であるとする。英国が200年かけた近代化を、日本は20年ほどで成し遂げねばならなかったからだ。古来より受け継がれた暮らしのあり方を捨て、西洋を模倣し続けた日本人。その精神は西洋への憧憬と、心の核を求める煩悶の間で分裂し、虚無に泳いだ。これはあらゆる先進国が抱える問題であるが、日本はその速度ゆえ、後遺症が神経症レベルで現れ続けていると著者は分析する・・・

近藤和彦先生「『歴史とは何か』の人びと」

近藤和彦先生が、岩波書店のPR誌『図書』に、「『歴史とは何か」の人びと』」を連載しておられます。2月号は、「R・H・トーニと社会経済史」です。
9月号トリニティ学寮のE・H・カー 、10月号謎のアクトン、11月号ホウィグ史家トレヴェリアン、12月号アイデンティティを渇望したネイミア、1月号トインビーと国際問題研究所。

これは面白いです。20世紀前半のイギリス歴史学を担った人たちの「肖像画」「舞台裏」です。学者は書き上げた論文で評価されますが、それは機械が作るのではなく、血の通った人間が作るものです。彼らが置かれた環境、育った経歴、意図したところが、論文を作り上げます。新しい歴史学を作った人たち、新しい見方を作った人たちには、もちろん時代背景もありますが、それだけではなく、それを生み出す個人的な背景があります。人間くささが、私たちを引きつけます。

雑誌『図書』は、1冊100円、年間1000円で、ほかにも興味深い文章を読むことができます。大きな本屋では、ただでもらえます。お得です。
近藤和彦訳『歴史とは何か』

池上俊一著『歴史学の作法』

池上俊一著『歴史学の作法』(2022年、東京大学出版会)を紹介します。
歴史とは何か、歴史学と何かを、先生の立場から考えた本です。歴史学の研究方法も書かれています。「近藤和彦訳『歴史とは何か』『歴史学の擁護』などの延長にあります。
先生の立場は明確です。社会史と心性史を中心にすることです。20世紀に西欧歴史学が、政治史からや経済史に広がり、さらに社会史などに広がってきました。先生はその路線を進めるべきだと主張されます。「歴史の見方の変化」「歴史学は面白い

私も、賛成です。社会は個人から成り立ち、その人たちの関係が作っています。すると、社会科学の基本は、個人とその人たちの関係になると思います。個人の行動に焦点を当てる心性史、人々の関係に焦点を当てる社会史が、基本になると思うのです。

先生は、『シエナ―夢見るゴシック都市』(中公新書 2001年)、『パスタでたどるイタリア史』(岩波ジュニア新書 2011年)、『お菓子でたどるフランス史』(岩波ジュニア新書 2013年)、『森と山と川でたどるドイツ史』(岩波ジュニア新書 2015年)など、一般向けのわかりやすい本も書いておられます。私も、楽しみながら読みました。