東京ステーションギャラリーの「大阪の日本画」が、よかったです。
江戸時代から戦前まで、大阪は経済力のある商人の町でした。文化を支える力があったのです。
文楽は有名ですが、日本画も商人たちが支えました。残念ながらそれらを見せる施設や機会がなく、知られていません。
カテゴリー別アーカイブ: 歴史
一身にして二生を経る
「一身にして二生を経る」とは、 福沢諭吉の『文明論の概略』に出てくる言葉です。
一つの身体で二つの生涯を生きたということです。 福沢諭吉は、江戸と明治という二つの大きく異なった社会を生きました。
戦前と戦後を生きた人も、同様でしょう。天皇制・軍隊・家父長制の時代と、民主主義・戦争放棄・基本的人権の尊重の時代の二つを生きました。明治維新と敗戦は、革命的な転換でした。
さらに、私たちも二生を生きています。前二回と異なり、憲法は変わっていません。でも、昭和後期と平成・令和では社会の実態は大きく変わりました。
夫婦と子ども二人が標準家庭と言われましたが、今や最も多いのは一人暮らしです。夫は仕事に出かけ、妻は家庭を守るという役割分担も、過去のものとなりました。片働きより、共働きが多くなっています。
「日本とは日本語を話す日本人が暮らす国だ」というかつての通念は、農業、水産業、工事現場、コンビニ、飲食店などで多くの外国生まれの人が働くようになり、通用しなくなりました。
差別や人権侵害も大きく変わりました。私が就職した際の人権教育は、部落差別でした。現在では、女性(性犯罪・性暴力・DV・ハラスメント)、子ども(いじめ・体罰・児童虐待・性被害)、高齢者、障害のある人、性的マイノリティなどでも人権侵害が起きています「人権教育」。
女性に向かって「まだ結婚しないの」とか「子どもはまだですか」といった質問を、かつては平気で言っていました。
私にとって、また多くの昭和人間にとっては、これは革命的な変化です。その意識改革について行けない人もいます。その人たちが、職場でセクハラやパワハラを行います。
岸田首相は2月1日の衆議院予算委員会で、夫婦別姓や同性婚について「制度を改正するということになると、家族観や価値観、そして社会が変わってしまう課題なので、社会全体の雰囲気のありようにしっかり思いをめぐらせたうえで判断することが大事だ」と述べました。しかし、既に社会は大きく変わっています。
黎の字の成り立ち
「黎」という字。黎明などに使います。この字の上の部分を、不思議に思っていました。上左は、のぎへんです。上右は、物の右に似ていますが、「ノ」が一本です。犂も、同じです。この分野に詳しい肝冷斎に教えを請いました。答えを要約して掲げます。
・・・まったく違う「図形記号」だからです。
「勿」は「ふつ」で、「不」と音が近いので「なかれ」と訓じられますが、本来は日月や灯・玉などから光が射しているすがたを表しています(後漢の「説文解字」では)。「物」(ぶつ)は神々しい(光が出るような)異様な特産の動物・物体をいうことばだったので、「勿」を使っています。
「黎」の方は、「犂」などと同じで、禾へんの右側(リ)は牛馬に曳かせる「すき」の象形です。人間が使う「すき」(「力」りき)とほとんど同じ形のものです。「利」の旧字です。
「黎」字は「黍(きび)」に「リ」が付いた、と説明されています。すきとキビでたくさんの実がなって「多い」の意味。「黎民」、多く人民が集まるとその頭が黒いことから「黒い」という意味になり、暗闇の意味を持ち、暗闇の中に明るさが兆すのが「黎明」だ、といわれています・・・
それなら、利にしてくれればよかったのに。
『人類とイノベーション』
マット・リドレー著『人類とイノベーション:世界は「自由」と「失敗」で進化する』(2021年、NewsPicksパブリッシング)を読みました。読みやすく、面白くて勉強になります。お勧めです。
エネルギー(蒸気機関、電球、シェールガス)、公衆衛生(予防接種、水道殺菌、ペニシリン、マラリア抑制の蚊帳)、輸送(機関車、内燃機関、飛行機)、食料(ジャガイモ、アンモニア、小麦)、ローテク(インド数字、ゼロ、下水、ブリキ波板、コンテナ、キャリーバッグ)、通信、コンピュータなどが取り上げられています。その幅広さも、この本の特徴です。あわせて、偽物や失敗例も。ここも面白いです(失礼)。
それらの技術がどのように発展してきたかを解説し、技術発展の要素を分析しています。
技術革新を生むのは、自由な社会での失敗の積み重ねであること。一人の発明家が生み出すのではなく、何人もの人の改良によって進むことが説明されています。
特許が進歩を阻害すること、政府は失敗することも指摘されています。
町、「ちょう」か「まち」か
4月28日の朝日新聞夕刊が「「ちょう」or「まち」、あなたの町は 西日本は「ちょう」優勢、境目は長野・山梨」を解説していました。
・・・地方自治体の「町」の読み方は「ちょう」「まち」どちらなのか。転勤や進学で引っ越しが多いこの時期、戸惑うかもしれない。総務省が公表している読み方を元に調べると、中部地方を境に東西で二分される傾向が見えてきた。地域の歴史や文化が影響しているようだ。
NTT東日本と西日本の営業エリアは、東日本は新潟、長野、山梨、神奈川を含む都道県、それ以外は西日本だ。この分けかたに基づくと、東日本は北海道を除けば「まち」の傾向が強く、西日本は「ちょう」が優勢を占めていた。
北海道を除く東日本は265町のうち、「まち」は222の多数派だ。西日本では349のうち「ちょう」は295あり、圧勝だ。北海道は例外的に、森町(もりまち)以外の128町全てが「ちょう」だった。
両方の読み方が共存する長野と山梨の両県が、読み方の境目になっている。全国では「ちょう」が466町、「まち」は277町で、「ちょう」が優勢だ。
なぜ、読み方が東西で分かれているのか。地名の研究をしている日本地図センターの客員研究員・今尾恵介さんは「推測の域を出ない」と前置きした上で、二つの説を挙げる。
一つ目は、現在の市町村制が施行された1889(明治22)年以降、江戸時代に使われた「まち」と区別をするために、「ちょう」と読む自治体が出てきた可能性だ。その後、何らかの理由で、西日本側で「ちょう」が広がった。東日本は、江戸幕府の直轄領が多かった名残で「まち」を維持する自治体が多かった可能性が考えられる。
二つ目は、各都道府県庁が、「まち」か「ちょう」に統一するように、各自治体と調整した可能性だ。その際、近隣の都道府県での読み方に合わせようとしたという説だ。
現存する「町」の多くは、1950年代の「昭和の大合併」と、2000年代初めにピークを迎えた「平成の大合併」によって生まれた。今尾さんは「新しい町をつくるということで、従来の自治体呼称の『まち』と区別したかったのではないか」と話す・・・