「報道機関」カテゴリーアーカイブ

報道機関の「保身」?

7月28日の朝日新聞論壇時評、林香里・東京大学大学院教授の「元首相銃撃事件 知られぬ事象、拾う報道こそ」から。

「安倍元首相 撃たれ死亡」
これは、7月9日の朝日、読売、毎日、産経、日経(以上東京版)の朝刊1面見出しだ。5紙とも、一字一句同じだった。
各紙はさらに翌週、宗教法人「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」が記者会見をし、容疑者の母親が会員だと認めた11日まで、揃って「特定の宗教団体」と呼び、その名を明示しなかった。事件後、「特定の宗教団体」で検索し、最初に教団名がヒットしたのは「現代ビジネス」や「Smart FLASH」など、出版系サイトだった。
画一化された見出しの付け方や、すでに周辺取材で明らかになっていたであろう団体名を報じない態度。ネット時代には、こうした態度こそ、陰謀論や誤情報を呼び込むことになりかねない。デジタル時代に期待される情報のスピードと、新聞社が培ってきた「紙の伝統」とがどんどん乖離してしまっていると感じる。重大事件では知り得た情報は確認状況も含めて随時出すことを原則とし、市民を信頼して判断を委ねるなど、発信のしかたを見直さないと乖離は埋まらないだろう。

こんな状況なら、私たちには新聞や地上波テレビは必要ない。大手メディアはもはや過去の遺物だ。そんな声も聞こえてきそうだ。が、それは間違いだろう。
新聞やテレビなど旧来型マスメディアには、まだまだ、私たちが何を考えるべきか、思考枠組みを提供する議題設定力がある。さらに、新聞やテレビという「老舗」が取り上げれば、その話題には社会的価値があるという権威付与の機能もある。知られぬ事象や届かない声を拾うことは、大手メディアにこそ求められるのだ。

オンライン取材の背景

7月16日の朝日新聞「メディア空間考」、浜田陽太郎記者の「同調圧力は米にも? ビル・ゲイツ氏とのマスク談議」から。本筋でないところを紹介します。

・・・6月中旬、米マイクロソフト創業者で、社会貢献活動家のビル・ゲイツ氏(66)に、オンラインでインタビューした・・・
・・・オンライン越しのゲイツ氏は瀟洒なオフィスのテーブルの向こう側に座っていて、かなり距離があった。背後には大きな窓。逆光になるので表情は陰になる。「あちゃー」と思ったが、声はちゃんと聞こえた・・・

・・・さて今回、私は自宅の寝室兼書斎から取材した。後ほど先方から送られたスクリーンショットに映っていたのは私のでっかい顔、背後には量販店で買ったカーテンと家庭用エアコン。世界屈指の富豪が、一介の記者が日々寝起きしている部屋のインテリアを見ながら話していたのか。不思議な気分だった・・・

曽我豪記者の振り返り

4月8日の朝日新聞「日曜に想う」、曽我豪・編集委員の「国会の「抑止力」伝承されるか」がよかったです。本論もよい分析なのですが、ここで取り上げるのは裏に隠された第二の主張です。

冒頭は、次のように始まります。
・・・戦後日本の安全保障の歴史を画したその記事は、拍子抜けするほど小さい。30年前の昨日、1992年5月7日付の朝日新聞朝刊(東京本社発行最終版)は1面でなく2面に3段の見出しを立てる。
「PKO法案 『自公民で成立も』 小沢氏、同日選挙は否定」・・・
最後の部分で、もう一つ指摘します。
・・・最後にもう一つ。30年前の昨日の2面を縮刷版で見直して驚いた。小沢氏の記事の右隣に4段の見出しがある。後に生じた衝撃を思えば、やはり小さ過ぎる。
「細川前熊本知事が新党 『自由社会連合』 参院選へ候補者擁立」・・・
そして最後を次のように締めます。
・・・課題に向かう敏感さを欠く者は退場するほかない。激動期の政治の怖さだ・・・

二つの大きな転換について、当時の朝日新聞記事が小さいことを振り返った「朝日新聞の自己批判」が秀逸だと思います。

消費としての批判、建設的な批判

人や組織が失敗をした場合、他人がそれを批判します。失敗したのだから、批判されても仕方がない場合があります。ところが批判には、建設的なものと消費でしかないものとがあるようです。

失敗の問題点を分析して改善案を提案するような批判は、建設的です。批判された人も関係者も、次回は失敗しないように参考にするでしょう。しかし、失敗をあげつらうだけの批判は、建設的ではありません。特に匿名の批判は、無責任ですよね。間違った批判でも、反論や議論のしようがありません。

反省とおわびも、建設的なものと消費としてのものがあります。「ひとまず謝っておけばよい」という風潮があるようです。直ちにおわびしないと、批判が強くなることがあるからです。世間もおわびを求めます。
ところが、おわびだけでは物事は終わりません。損害を与えたならその穴埋めと、原因究明・再発防止策がないと、反省は意味がありません。おわびより、その後の対応が重要です。「責任を取る方法2

「批判をしてすっきりした」「おわびをしてひとまず切り抜けた」「おわびをしたから、水に流す」で終わっては困るのです。
報道機関にも、おわびの記者会見を伝えることより、その後どのように対処されたかを、追いかけてほしいです。時に「詳しいことが分からないので、コメントできない」なんていう会社の説明で終わっては困ります。3日後に再取材に行って、「あの件はどうなりましたか」と質問してください。

ニュースがない?

皆さん、最近のテレビのニュース番組を見て、「ニュースがないなあ」と感じませんか。
私は最近、NHKの朝昼夜、定時のニュースを見なくなりました。見ても冒頭の「今日の項目」を見たら、ほかの番組に変えてしまいます。インターネットでNHKニュースを確認しておけば、19時のニュースを見なくても大きなニュースは分かります。そして、ウクライナとコロナのニュースばかりです。これらが重要であることは間違いありませんが、ほかのニュースはどうなったのでしょうか。

新聞も同じなのですが、解説欄などは勉強になるのでちぎって、後でゆっくりと読んでいます。このホームページで紹介するのも、ニュースではなく解説記事が主です。

コロナで取材が難しいことは分かりますが、これら2つ以外のニュースはないのでしょうか。
記者にとって、足で拾う能力とか、テーマを決めて取材するといった能力が落ちるのではありませんか。 心配です。