「報道機関」カテゴリーアーカイブ

新聞は人が書くので信用できない?

11月5日の朝日新聞「日曜に想う」、沢村亙・論説主幹代理の「偶然を楽しむ、人生が広がる」に次のような話が載っています。

・・・4年前の本紙オピニオン欄で、作家の真山仁さんが、高校生21人とジャーナリズムをテーマに議論する企画があった。
毎朝、新聞を読んでいたのは1人だけ。「新聞が信用できない」に挙手したのは7人。ここまでは想定できた。ショックだったのは、その理由だ。
人が書く記事は主観が入るので正しい情報ではない。つまり「人が伝えること」への不信である。人工知能(AI)が記事を書くことに「良い方法です」という反応もあった・・・

ゆがむネット世論

9月15日の朝日新聞オピニオン欄、山口真一・准教授の「歪む「ネット世論」 一部の声が強調されるリスク、メディアは認識を」が参考になります。

・・・インターネットの普及は、社会における情報のアクセス方法やコミュニケーションの方法を劇的に変化させた。人々はSNSなどのプラットフォームで意見や情報を自由に共有し、瞬時に大勢の人々に情報を届けることができるようになり、人類総メディア時代が到来した。
それに伴い、「ネット世論」という言葉をよく耳にするようになった。インターネット上では多様な人が様々な意見を言っており、政治的運動もしばしば起こっている。マスメディアもそのようなインターネットを人々の意見の場として取り上げ、報道することが少なくない。

しかし、実はインターネット上の意見分布が大きく歪(ゆが)んでいることが、筆者の実証研究で明らかになっている。それを世論としてマスメディアが報じたり、政府・政治家・企業・個人もそう捉えたりすることで、大きな問題が引き起こされていることを筆者は危惧している。
なぜインターネット上の意見分布は歪むのか。それは、インターネット上の意見には能動的な情報発信しかないためである。つまり、言いたいことのある人だけが言い続ける言論空間だ。その結果、極端な意見や強い信念を持った人々が大量に発信することが容易になっている。これは、通常行われるような世論調査が、聞かれたから答えるという受動的な発信であるのと逆である・・・

・・・昨今、マスメディアは情報の取得源としてインターネットを頼りにしている。しかし残念なことに、その際にこのバイアスを見落とすことが多い。特に、SNS上でのトレンドやバズといった情報は、多くの人々の意見を反映しているように見えるが、実際には一部のノイジーマイノリティーの意見が目立っていることも少なくない。その結果、サイレントマジョリティー、すなわち静かに意見を持っているがそれを公然と表現しない大多数の声が、マスメディアに拾われない。
この現象がもたらす社会的な影響は大きい。ノイジーマイノリティーの声が過度に強調されることで、社会の中での意見や価値観の多様性が失われる恐れがある。また、一部の声ばかりがマスメディアを通じて大きく取り上げられてお墨付きを得ることで、不要な対立や誤解を生む可能性もある。さらに、一部の声が多数派として伝わり、公共の議論や意思決定の参考とされてしまう・・・

報道機関の甘い追求が生むはぐらかし

9月14日の朝日新聞オピニオン欄、「それ、謝罪ですか」のうち、デイビッド・マクニールさんの「甘い追求が生むはぐらかし」が参考になります。原文をお読みください。

・・・日本に移住して20年以上が経ちますが、この国では「謝罪」に特別な意味があるように思えます。神妙な態度で謝れば、あるいは反省の意思を示すために職を辞せば、責任を取ったことになる。西洋では「責任」(responsibility)は文字どおり応答義務ですが、日本ではかなり意味合いが違う。むしろ謝罪は、責任の追及を避けるためのパフォーマンスという要素が強い。
ただ、私としては、この問題を文化論に還元したくありません。政治家や企業トップが、あいまいな釈明の言葉で済ませてしまえる背景には、やはり日本メディアが抱える問題があります。

首相官邸の会見にも出席してきましたが、まず、質疑のキャッチボールがほとんどない。記者の質問の多くは形式的で、鋭い追及も少ない。これは英語では“short circuit questions and answers”と呼ばれます。おざなりで省略型の質疑、という悪い意味です。菅義偉官房長官時代に厳しい質問を重ねた記者は、私の目には、国民の疑問を代弁するという負託に応えていると映る。でも、現場では記者クラブのルールや「和」を損ねた人物と扱われます・・・

・・・権力者に非公式に接触してオフレコでのリークに頼る「アクセスジャーナリズム」は、どの国にもある。でも、日本の記者はこれに頼りすぎです。ネタをもらうため、表では批判や追及をしない。これでは、権力がアメとムチでメディアを操り、分断させる手段に利用されるだけです・・・

失敗した場合の責任の取り方を、私なりに整理したことがあります。「責任をとる方法2

マイナ保険証の誤登録件数

9月8日の日経新聞オピニオン欄に、中空麻奈さんの「「本末転倒」があふれる日本社会」が載っていました。詳しくは原文を読んでいただくとして、次の指摘を紹介します。ほかの所でも指摘している人がいました。

・・・マイナンバーカードに健康保険証の機能を持たせるマイナ保険証への切り替え問題もそのひとつ。誤登録件数は8441件(8月8日現在)に達し、救い難いシステムではないかとも思えてしまう。
しかし、マイナ保険証の利用登録は6633万件(8月20日現在)で、誤登録割合は、0.013%・・・

そうなんです。しかも、この件は機械化したので、間違い件数が把握できていますが、手書きだとどれくらい間違っているかも把握できないのです。報道機関も、もう少し広い視野で報道して欲しいですね。

 

人を主語にした記事

9月12日の朝日新聞「新聞記者の文章術 新聞を面白くするには」、大鹿靖明・編集委員の「人と、その言動 ストーリー際立つ」から。

・・・人間ほど興味深いものはない。愉快な人、すごい人、ざまあみろと言いたくなる人。新聞記事は「5W1H」が不可欠とされるが、実は「誰が」にあたる「Who」があいまいだったり、「幹部」「関係者」と匿名だったりすることが少なくない。「財務省は」などと役所や企業を主語にした記事も多い。人物紹介欄も「人間」を書き切るには小さなスペースだ。

読者をひきつけるのは「人」。それを実感したのは、新聞を離れてAERA編集部に在籍した9年半の雑誌経験だった。在籍中、省庁や大企業を書くときに、人物に着目して書く方法を編み出した。
東京電力の原発事故の記事では、勝俣恒久会長の生い立ちをさかのぼり、その言動を交えて書く。浮かび上がったのは「慢心」だった。日本航空の倒産を描くときには、財務部門出身者として再建役を期待されて登板したのに、会社更生法の適用の申請に追い込まれた西松遙社長を主人公に据えた。つまり「期待外れ」。こうすれば、官報みたいな経済記事がストーリーに変わる・・・

・・・「財務省は」ではなく「財務省の神田真人財務官は」と書き出せば、従来と違う記事に仕上がりそうである。Whoに着目すれば、新聞はもっと面白くなる・・・