カテゴリーアーカイブ:報道機関

将来的に?

2010年10月4日   岡本全勝

朝日新聞10月3日夕刊1面トップ記事(東京版)は、大阪地検の証拠改ざん事件でした。その中に、次のような記述がありました。
・・この際、大坪前部長と佐賀前副部長から、将来的に改ざん疑惑が発覚した時の口裏合わせの資料として、意図的な改ざんを過失とすり替えた内容の上申書の作成を指示された・・
うーん、朝日新聞も、「将来的に」という言い回しを使いますか。「将来、」または「将来に」では、ダメなのでしょうかね。

政策の検証

2010年9月5日   岡本全勝

日経新聞連載「ニッポンこの20年、長期停滞から何を学ぶ」9月5日は、大林尚編集委員の「止まらない少子化」でした。1990年6月に前年の合計特殊出生率が発表され、1989年の出生率は1.57でした。1966年の丙午の1.58をさえ、下回りました。2.1を下回ると、人口が保てません。その2.1を下回ったのは、1974年でした。しかし、平均寿命が延びたので、直ちには人口減少につながりませんでした。
記事では、当時、日本の政治や社会が、この問題に大きな危機を感じなかったことが、取り上げられています。
何度も書きますが、日々のニュース以上に、このような長期的な検証記事が、重要ですね。

口蹄疫対策の教訓、新聞による評価

2010年8月22日   岡本全勝

18日の朝日新聞が、今回の宮崎県での口蹄疫を振り返って、特集をしていました。10年前の成功が過信となり、今回の失敗につながったのではないか。市町村に、防疫と埋却を同時に求めるのは無理があるのではないか。机上の消毒と殺処分計画は機能しなかったことなどの反省を書いていました。また、各種のデータも整理されています。とかく新聞は、事件を細切れに速報することに偏しがちですが、この特集は振り返って評価をするという、良くできた記事だと思います。

新聞と編集者の権威と役割

2010年8月22日   岡本全勝

古くなりましたが、8月8日の読売新聞一面「地球を読む」は、山崎正和さんの「報道の電子化」でした。報道の電子化によって、アメリカで新聞社が倒産、廃刊に追い込まれていることを、憂慮しておられます。
・・報道も出版も同じことだが、その最大の使命は情報を評価することであり、責任を持って選択した情報を世間に伝えることである。そのために新聞社も出版社も一定の権威を許されるべきであり、その権威を守るために社会の支援が与えられなければならない。
近代、権威主義への抵抗は時代の流行になったが、すべての権威がなくなれば文明は成り立たない。医療、教育、政治、法曹などどの分野を見てもわかるが、権威とは知的な分業のための社会制度である。これらの分野で誰が信頼できるかを、個人がいちいち事実に即して判断しようとすれば、頭に何万冊の人物興信録をつめこんでもまにあわない。
この選択を容易にするために国家は資格制度を設けているし、世間は評判というかたちで信頼の手引きをつくってきた。だが国家には腐敗の恐れもあるし、世間の評判には無責任に揺れ動く危険がある。そこで近代文明が発明したのが、ジャーナリズムであって、それ自体が権威である複数の新聞や雑誌が、情報を評価し取捨選択するという仕掛けであった・・
電子情報の氾濫が教えたのは、無限に多い情報は情報ではないという発見であった。また情報の価値付けについては、自然淘汰の法則は働かないばかりか、むしろ悪貨が良貨を駆逐するという現実であった。
今日の新聞の役割は社会的権威の是非はもちろん、日々の事件についてもその重要性を判別し、多忙な現代人が最低限でも知るべき情報を限定することだろう。専門分化の進む社会の中で、万人が共有すべき知識を選別することである。啓蒙とはいわないまでも、注意喚起が新聞の使命であり、そのためには熟達のプロが必要なのはいうまでもない。
出版も同じであって、編集者の仕事はまず筆者を選ぶことであり、原稿の主題と文体を評価することである。時流に反した言い方だが、言論の自由とは誰でも好きなことを好きなように書く自由ではない。電子出版はそれを可能にしたようだが、これは議長のいない大衆討議のようなものであって、言論が言論を打ち消しあう効果を招くだけだろう。出版社とプロの編集者は、真に自由で上質な言論の関守としてこそ不可欠なのである・・
いつもながら、鋭い見方ですね。

政治の在り方

2010年8月16日   岡本全勝

読売新聞政治面では、最近の政治主導について、「政策決定」の連載を載せています。まずは、経済財政諮問会議を取り上げています。日々の出来事を追いかけるのではなく、このような分析を期待します。