7月13日の朝日新聞広告欄のインタビュー「仕事力。手嶋龍一が語る仕事、第3回」から。手嶋さんは元NHK記者です。このホームページでは、『1991年日本の敗北』(1993年、新潮社)の著者として紹介しています(2008年1月11日)。
・・メディアの世界は大きな出来事が向こうから押し寄せてきます。まじめな若者ほど全力を出し切ってニュースに立ち向かう。早朝から深夜までデスクの指示を真に受けて働き詰めです。これではくたびれるだけでなく、知的にも油が切れてしまう。そう「メディア界の焼き畑農業」なのです。でも日本では、干からびると早速前線から放り出してしまう。ジャーナリストがこれほど若くして現場を離れる国は見たことがありません・・
このインタビューには、湾岸戦争開戦前夜、ブッシュ大統領に同行してサウジアラビアに行った際の、ワシントン・ポスト記者の働きぶりも載っています。お読みください。
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偏った報道、媚びる発言。復興の真実を伝えて欲しい
復興庁の職員が、災害に関する国際会議に出席して、東日本大震災からの復興状況を発表しました。彼の帰国報告から。
出席者(海外の研究者)の発言、「日本の報道からは、復興が遅れているという印象しか持っていなかった。日本政府がこれほどしっかり復興に取り組んでいるとは、知らなかった」。
日本人研究者の発言「インドネシアでは、3年で住宅が復旧した。日本はようやく着工した程度で、遅い」に対して、インドネシアの研究者は、「住民が自ら周辺の木材を使って家を元通りにしただけ。日本のように、防潮堤や高台移転などの安全対策をしっかり議論した上で住宅を再建していく方が、時間はかかるが賢明だ」と発言しました。
日本のマスコミの偏った報道は、困ったものです。マスコミの人と議論すると、「遅れている点を指摘することが、マスコミの使命」とおっしゃいます。そのような役割はあるでしょう。しかし、進んでいることも取り上げないと、偏った情報は、間違った情報になります。
また、この研究者の自虐趣味も、良くないですね。外国人に媚びを売るのも、悪い癖です。そうすることで、相手国を賞賛しているとでも思っているのでしょうか。学問や研究の世界で媚びを売っても、評価されないでしょう。
インドネシアの津波からの復興への取り組みの方が、日本政府の取り組みより優れていると、本気で考えているのでしょうか。もちろん、インドネシア政府も、復旧に力を入れています。しかし、日本のインフラや住宅の復旧は、技術と言い予算と言い、世界最高級のものです。
新聞は社会参加を育てる。中央か地域か
5月18日の読売新聞、廣瀬英治・ニューヨーク支局長の「米新聞、地域密着の道へ」から。
・・経営的には収入の多くを広告に頼るため、景気の変動を受けやすい。2008年のリーマン・ショックでも廃刊が相次ぎ、米新聞協会によると、日刊紙の数は2009年には1387紙と、2007年から35紙も減った。
新聞が公益を担うとすれば、廃刊で新聞が減った都市では市民の社会参加にも影響が出るはず―。米ポートランド州立大学(オレゴン州)のリー・シェーカー准教授(33)は今年、国勢調査を基に2008年と2009年で市民の社会参加にどんな変化があったか、全米の主要都市を比較した。
「公的な役員を引き受けたか」や「何かのボイコットに加わったか」など5項目の参加率を調べたところ、2008年に地元2紙中1紙が廃刊したコロラド州デンバー市とワシントン州シアトル市は、それぞれ4項目と2項目で大きな落ち込みがあった。
両市と規模などが似た8都市を見ると、大きな落ち込みは1都市の1項目を除いて見つからなかったことから、シェーカー氏は「新聞廃刊の影響が明らかだ」と結論づけている。新メディアが台頭しているが「紙で配られる新聞ほどには情報が届かないし、特に地域ニュースの発信源は今でも新聞」なのだという。
米国の新聞にそんな「公益」があったとしても、経営の難しさは変わらない。その中で、後年「あれが転換点だった」と言われるかもしれない動きがある。
米新聞協会の最新の統計(2012年)をみると、全体の発行部数が減り続ける一方で、日刊紙の数は前年より45紙も増え、ほぼ2007年並の1427紙に回復したのだ。どの新刊紙も、小さな地域紙として新しい役割を見つけようとしているようだ・・
この背景には、日本とアメリカとの新聞事情の違いがあると思います。日本では、大部数を発行する全国紙が主要な地位を占めています。一方、アメリカでは小さな地域紙が多いのです。日本では、1面は東京の中央政治と全国経済ニュースが占め、他のページでも多くは中央からの配信記事です。市町村での暮らしの近くのニュースは、載らないのです。
このことによる「意識の中央集権」について、拙著『新地方自治入門』p317以下で指摘しました。さらにここで指摘されているように、意識の中央集権だけでなく、地域での社会参加・政治参加をも育てないという弊害を生んでいるのだと思います。
どちらが良いとは、簡単にいえません。しかし、この新聞の状況が、国民の意識を作り再生産します。私は、他人に任せることができる中央の情報を「消費」するより、地域の情報に「参画」することほうが大切だと思います。しかし、参画はしんどくて、消費は楽です。この意識や習慣を変えることは、大変な作業です。
新聞、署名入り記事
今朝5月10日の朝日新聞1面を見て、おやっと思いました。全ての記事に、記者の署名が入っていました。いつからそうなったのだろうと聞いてみたら、社会部や経済部は2005年頃から原則署名入りだそうです。政治部が最近から署名を原則にしたそうです。1面は政治部記事が多い、また私が読むのは政治部が多いから、私が気づかなかったのですね。
私は、署名入りが良いと思います。責任がはっきりします。もちろん、社内で上司の手が入り、また入らなくとも社の方針に従うので、記者個人の思いを全て書くわけではありませんが。署名入りの方が、記者も張り合いが出るでしょう。無署名は、無責任になります。これは、ブログにも当てはまります。
毎日新聞は、早い時期から署名入りが原則でした。次は、社説にも、執筆担当者の名前を入れて欲しいです。社説は、論説委員が合議して書くようですが、執筆担当者はいます。それを、明らかにすると良いと思うのですが。
新聞報道を自己検証する
尾関章著『科学をいまどう語るかー啓蒙から批評へ』(2013年、岩波書店)が勉強になりました。長年、朝日新聞科学部記者として勤めた著者が、福島第一原発事故をきっかけに、過去の朝日新聞の科学報道を検証したものです。自己評価、自己反省の書になっています。
まず、朝日新聞という日本の言論界で大きな位置を占めている組織の、自己評価であることが、大きな意味があります。
そして、率直に、過去の科学報道の欠点を述べています。それは、副題にもあるように、これまでの新聞による科学報道は啓蒙型のジャーナリズムであって、批評型のジャーナリズムでなかったという反省です。その結果、国策宣伝の一端を担った、しかし他の道もあったのではないかという反省です。その背景には、科学が社会を進歩させる、科学は善であるという思い込みが、続いていたからです。原子力発電、医療、宇宙開発など具体例で、検証しています。
この本は、一記者による検証ですが、組織として、新聞社や各編集部が、自らの報道を振り返って評価や反省することは、重要な意味をもつと思います。個別の記事の検証やこの1年の回顧でなく、中長期的な位置づけです。社会に大きな影響をもつ存在であるほど、それが必要でしょう。第3者を交えた評価も良いでしょう。
その点では、私たち官僚も、各省がこの半世紀、あるいはこの20年間に、何をして何をしなかったか、何に成功して何に失敗したかを、大きな視点から振り返る必要があると思っています。もちろん、自己評価は難しいです。よいことばかりが書かれて、不利な評価はあまり期待できません。しかし、今後も国民の期待に応えていくならば、何がよかって何が足らなかったということの反省に立って、次の仕事を組み立てる必要があります。
かつて連載「行政構造改革―日本の行政と官僚の未来」で、官僚の失敗と官僚制の限界を論じたことがあります。もちろん、現役官僚が一人で検証するには、大きすぎるテーマですが、議論のきっかけになると思って試みました。途中で、総理秘書官になって忙しくて中断してしまいました。