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グローバル化の果て

6月28日の朝日新聞オピニオン欄、牧原出・東大教授の「グローバル化の果て 富の偏在進み固定、徳の失墜と無関心、民主主義が劣化」から。

ベルリンの壁に象徴された東西分断が終わり、グローバリゼーションが世界を席巻し始めてから約30年。世界の経済はつながり豊かになったが、その一方で社会の分断は進み、国際的な対立も激しくなっている。新たな壁が地球を覆うのか。我々は何をなすべきか。国内外の政治や行政を見つめ続けてきた牧原出さんに聞いた。

――グローバリゼーションが生み出した変化とは何でしょうか。
「東西世界を引き裂いていた『壁』が崩壊して冷戦が終わった時、最大の問題は旧ソ連、旧東欧圏の国々をどうやって民主化するか、そして資本主義に取り込むかでした。私が大学の研究員として英国に向かった2000年から数年は、EU(欧州連合)で共通通貨ユーロ導入が本格化した時期です。これら旧社会主義圏の取り込みによるEU拡大を、フランスは官僚制の枠組みで、ドイツは連邦制の手法で、英国は投資先の広がりとして捉えているとまで報じられていました」
「当時、グローバル化には希望がありました。ピュリツァー賞受賞者の米ジャーナリスト、トーマス・フリードマンの著書『フラット化する世界』がこの頃出版されます。そこでは、中国やインドの経済成長をインターネットが促す結果、世界経済は一体化し、どこでも共通の条件で競争できる、という世界が描かれていました」

「しかし、その後の現実は異なりました。中間層が縮小し、現代化に向けた改革も世界標準を喪失し、各国独自の方向を探らざるを得なくなりました。経済成長を前提とする『希望のグローバル化』も、成長エンジンだった中国は鈍化し始め、インドもそれに代わるだけの力が見えません。コロナ禍とウクライナ戦争は、そうしたマイナス面を推し進めました」

――結局、プラス面よりマイナス面が大きかったのでしょうか。
「グローバル化の結果、19年の世界のGDP(国内総生産)総額は85・9兆ドルと、1960年の約60倍にもなりました。一方でG7(主要7カ国)の世界経済でのシェアは、00年の65%から20年には46%と急速に小さくなっています。同じ時期に4%から17%に急拡大した中国と対照的です。世界はそれなりに豊かになり、最貧国も貧しさの度合いは確実に改善した。その半面、『壁』がなくなり、グローバルな規模で移民が拡大して先進国にグローバル水準の貧困が流入し、新たな分断が起きています。貧しかった国でも、富が一部の層に集まり、貧富の分断が起きています」

「問題は、こうした富の偏在が是正されなくなっていることです。欧米や韓国などでは、富を自分の家族の中で蓄積させて、子や孫らを高学歴とするための獲得原資に充てようとする傾向が強まっています。米国では大学の授業料があまりに高額になり、授業料ローンを返済できない学生も現れています。結局返済できるのは高額所得を確実に得られるか、親が富裕層の場合だということになっています。教育による富裕層の固定化と言えるでしょう。そこで何が起きたかというと、『徳』の失墜とも言うべき現象です。高等教育を受けて高度専門職に就くと高額の所得を得ますが、そのために不正が行われたり、貧困層への関心を失ったりする傾向が目立ち始めました。彼らの中には一部の市民をどこかで軽蔑している者もいる、とまで指摘する人もいます」

言語が階級を作るインド

6月21日の日経新聞夕刊「映画でみる 大国インドの素顔(3)」、インド映画研究家・高倉嘉男さんの「お受験熾烈、英語力で決まる人生」から。

・・・2023年に中国を抜いて人口世界一に躍り出たとされるインドは、単に人口が多いだけでなく、若年層が総人口の半分を占める若い国でもあり、受験戦争も熾烈だ。
さらに、インドには言語が教養人と無学者を分断してきた歴史がある。庶民の言語とは異なる高等言語が政治や文学の場で使われ、その言語にアクセスできない者は無学者扱いされた。古代の教養語はサンスクリット語だったが、中世、イスラーム教の浸透に伴ってペルシア語がそれに取って代わり、英国植民地になった後の近現代では英語が教養語に躍り出た。
現在、インド人英語話者の数は総人口の1割ほどとされている。この1割がほぼそのまま上位中産階級から上流階級までの社会的上層を形成し、富と権力を手中に収めている。インドの身分制度というとカースト制度が有名だが、カースト制度以上に古代からインド社会を分断してきたのは言語だ。

近現代の都会を舞台にしたインド映画を観ると、台詞には現地語に加えて英語がかなり使われていることに気付く。単に現地語文の中に英語の単語やフレーズを交ぜるだけでなく、現地語文と英文を往き来しながら会話をする。日本人の耳には奇妙に聞こえるのだが、これが教養あるインド人の一般的な話し方であり、インド映画はかなり写実的にそれを再現している。英語を適宜交ぜながら会話をすることで、彼らは自身の教養を証明し、エリート層としての仲間意識を確認し合うのだ。
それだけではない。多言語国家インドには無数の現地語があるため、英語には共通語の役割もある。IT企業など、高収入が期待される多国籍企業が就職先として人気だが、その絶対条件も英語力だ。つまり、インドにおいて英語ができない人は、教養層から排除され、社会的・経済的な地位の向上も難しく、異なる地域から来た人とのコミュニケーションにも困ることになる・・・