カテゴリー別アーカイブ: 世界

海外に増える和食店

2023年の海外における日本食レストランは約18.7万店で、2021年の約15.9万店から2割増だそうです。農水省資料「海外における日本食レストランの概数」(2023年10月13日)

2006年には2.4万店でした。2013年に5.5万店、2017年に11.8万店、2019年に15.6万店と急速に増えています。地域別では、北米28,600店、欧州16,200店、アジア122,000店です。
フランス料理店や中華料理店は、世界にどれくらいあるのでしょうね。

フランス語に「我慢する」はない

日経新聞1月7日の別刷りに、カルティエ・プレジデント(会長ということでしょうか)のシリル・ヴィニュロンさんの経験が載っています。

日本人である妻から、「我慢する」のフランス語訳を聞かれて、困惑したそうです。「なぜなら、フランス人は我慢しないから。すぐに文句を言ってストライキするから。我慢の仕方を知らない」

一方で、日本人は愛の表現が苦手だそうです。愛を表現するフランス語は、数多く存在するとのこと。

エッセイとessay

エッセイと聞くと、随筆と考えますよね。でも、英語のessay、フランス語のessaiは随筆ではないのです。
インターネットで、Oxford Learner’s Dictionariesをひいてみたら、「a short piece of writing by a student as part of a course of study」とあります。

色摩力夫書『黄昏のスペイン帝国ーオリバーレスとリシュリュー』(1996年、中央公論社)342ページに詳しく書かれていました。「フランス語の明晰性とその限界
ラテン語のexagiurnを語源として、本来の意味は「試みること」で、文書の上では「試論」です。純然たる学術論文ではなくて、必ずしも根拠をすべて明示せずに書かれた論文だそうです。日本語では「評論」と言えるとのこと。
モンテーニュの「エセー」は、随筆ですが。

ロシアの禁書

12月27日の日経新聞夕刊コラム、ロシア文学者・奈倉有里さんの「未来、ストルガツキー」に次のような話が載っています。
ソ連時代は書物の検閲が厳しく、体制を批判する書は読むことができませんでした。ペレストロイカが進み、読めるようになったのですが、ウクライナ侵攻後、2022年から再び検閲が厳しくなったとのことです。

図書館から撤去された図書を見て、驚きます。
ジョージ・オーウェル「1984」、フランツ・カフカ「城」、オルダス・ハクスリー「すばらしい新世界」、レイ・ブラッドベリ「華氏451度」などはまだ理解できますが。
サン=テグジュペリ「星の王子さま」、ドストエフスキー「罪と罰」、トルストイ「戦争と平和」、シェイクスピア「オセロー」となると、誰が何の基準で選んでいるのかと疑問になります。
ドストエフスキーとトルストイは、ロシアの誇りではないのですかね。

キッシンジャー氏死亡

キッシンジャー氏が亡くなりました。100歳だったそうです。夏には中国を訪問しておられました。最後まで元気だったのですね。

アメリカと中国との国交正常化の時、私は高校生でした。自由主義陣営と共産主義陣営が対立するという国際構造を教えられていた、そしてそれが強固なものと思われていたときに、米中が手を握るとは、驚天動地でした。後から考えると、それが成り立つ国際条件はできていたのです。でも、誰もそんなことを考えず、企画しませんでした。構想力の強さを考えます。

20世紀後半の歴史を変えた、それも誰も予想をしないことをやってのけたのは、キッシンジャー氏とゴルバチョフ氏でしょう。戦争なしで成し遂げたのです。
キッシンジャー氏はその後も影響力を保ったのに対し、ゴルバチョフ氏は政権を追われその後は不遇でした。
ゴルバチョフ氏の場合は、共産主義を変えるという構想は実現したのですが、現実はそれを追い越してソ連や共産主義国家の崩壊まで進んでしまいました。今となっては、「必然」とも見えますが。彼が自由化を進めなければ、そして東欧諸国の自由化を阻止したら、大きな被害を生んでいたでしょう。
もっとも、キッシンジャー氏の作った「共存」する世界は、レーガン大統領がソ連を解体に追い込むという「力でねじ伏せる」政策で、終わったようです。

キッシンジャー氏の『外交』 (1996年、日本経済新聞出版)も勉強になりました。これも、古くなりました。世界情勢は驚くほど早く変化しています。