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生き様

夏休み

皆さん、夏休みを取られたでしょうか。今年は猛暑の上に、大きな地震や台風が来て、落ち着かない夏です。体調を崩したり、被害はなかったでしょうか。
私は、8月13日から15日まで夏休みを取りました。10日の土曜から12日の振替休日を入れて、6日連続の休みです。ところが16日には台風の接近が予想されたので、職員の助言に従い、出勤することをやめました。で、連続9日です。

毎回、連休の前には「あれもしたい。これもしなければ」「これも読みたい、あれも読まなければ」と、いろいろと思い浮かべるのですが、その通りには進みません。そもそも、休みの日は休むためにあるのに、たくさんのことをやろうと考えることが無理です。
とはいえ、連載の締め切りは毎週来るし、このホームページも書きためないとなりません(やめてもよいのですけどね)。
で、今回は休みに入る前に、「これだけは片付ける」という必達項目を書き出しました。休みの前半は余裕で怠けていたのですが、締め切りに間に合わないことに気がついて、後半は気を入れ替えました。早起きし、何度も水のシャワーを浴び、書斎で冷房をかけて。その成果は、半分以上は達成ということでしょうか。

そのほかに、孫のお供もしました。小さな方は、乳母車で。小学生の方は、近くの公園にセミ取りに。たくさん取ることができました。証拠写真を撮って、逃がしてやりました。キョーコさんのお供で美術館へもいきましたが、外は暑かったです。まずは良しとしましょう。

アサガオ

アサガオが咲きました」の、その後の報告です。
きれいな色の花は咲いたのですが、普通の花のようにラッパ状には開きません。筒状なのです。去年、散歩の途中でもらってきた種のようです。そのうちに、開く花も出てきたのですが、これは小さいのです。我が家の種のアサガオとは、葉っぱのかたちが異なるので、区別がつきます。

我が家の種の方はといえば、蔓と葉はどんどん育つのですが、一向に花が咲きません。と言っていたら、ようやく15日に赤と青の花を咲かせました。

友人たちからは、各自が育てているきれいな花や野菜が写真付きで紹介されています。それなりに、手間をかけているようです。ほったらかしでは、だめですよね。

資料を捨てる

毎日の新聞記事の中から、これは役に立つなあと思ったものを、ちぎって半封筒に入れておきます。そのいくつかは、このホームページで紹介します。
ところが、取り上げるのが遅れて、時機を失したものが残ります。2か月や3か月は、あっという間に過ぎてしまいます。机の横に、2袋貯まっていました。

夏休みに入る前に腰を上げて、整理しました。「あ~、これは取り上げればよかったなあ」と思う記事がたくさんあります。そんなことを言っていては貯まるばかりなので、思い切って捨てました。すっきりしました。
やれば、できる。

もっとも、読みかけの資料や本がたくさん机の上に貯まっているのですが、そこまでは行き着かず。次の課題です。ここは、いつも同じことを言っています。進歩なし。

15分前集合

先日、かつて仕事を一緒にした人たち数人と久しぶりの意見交換会を開きました。お店が17時開店なので、17時開始としました。
いつもは健康のために一駅歩いて、早めに到着するようにしているのですが、この暑さでは断念。17時ちょうどに到着しました。

すでに全員そろっていて、お叱りを受けました。「全勝さんは、いつも15分前集合と言っていたではないですか」と。
みんな15分前には来たのに、お店は閉まっていて、暑い中、外で待っていたのだそうです。
すんまへん。次回は、17:15開始にしましょう。

なんとかなる

なぜか忙しい」の続きです。「7月と8月」に書いたように、なんとか乗り切れました。なぜ、乗り切れるのか。私たちの仕事の多くは、締め切りがあり、その時点である程度のものができていたら、それで許されるのです。

もちろん、資料作成でも原稿執筆でも、「何も書けていません」では、失格です。他方で、「これが満点だ」という基準も、たいていの場合はありません。評価者は、上司であったり、先生であったり、編集長です。その人たちが「仕方ないなあ、この程度でも」と思ってくれたら、それで乗り切れたことになるのです。
満点をもらいたかったら、事前にその評価者に半製品を持ち込んで、何度も打ち合わせをして、評価者の納得を得るようにしなければなりません。でも、そこまで必要のないものなら、「この程度で許してもらおう」と考えて、そこそこのできばえで提出することができるのです。完璧を目指したいのですが、なかなかそうはいきません。でも、すんでしまうと、次の仕事に取りかかるので、不本意だったことも忘れてしまいます。
これは、『明るい公務員講座』にも書いたことです。

しかし、機械や電算機のプログラム作成の場合は、この「この程度で許してもらおう」が通じないのです。完成しない機械は動かず、完成しないプログラムでは誤作動します。自然科学の世界と、社会科学・人文科学との違いとも言ってよいでしょう。