昨日は雨で、寒かった東京。今日は、晴れて暖かな一日でした。午後にいつもの経路で、散歩に行きました。
善福寺川沿いの桜は、オオシマザクラが8分咲きほど、ソメイヨシノは木によって違いますが、まだ2分咲きほどでしょうか。昨秋に、これらの桜の木は毛虫の大群に丸坊主にされて、大丈夫かと思うような惨状でした。でも、負けずにつぼみをつけています。
たくさんの人が、桜の下で宴会をしていました。散歩中の知人とも、ばったり会いました。
コロナが少し収まり、日常風景が戻ってきています。
昨日は雨で、寒かった東京。今日は、晴れて暖かな一日でした。午後にいつもの経路で、散歩に行きました。
善福寺川沿いの桜は、オオシマザクラが8分咲きほど、ソメイヨシノは木によって違いますが、まだ2分咲きほどでしょうか。昨秋に、これらの桜の木は毛虫の大群に丸坊主にされて、大丈夫かと思うような惨状でした。でも、負けずにつぼみをつけています。
たくさんの人が、桜の下で宴会をしていました。散歩中の知人とも、ばったり会いました。
コロナが少し収まり、日常風景が戻ってきています。
私の記憶に間違いなければ、50年前の今日、1973年(昭和48年)3月10日は、東大の入学試験合格者発表の日でした。
高校の卒業式の日だったのですが欠席し、東京まで自分の番号を探しに来ました。当時は、本郷キャンパスの御殿下グラウンドの塀に、合格者の番号を書いた紙が張り出されました。
試験は手応えがあったのですが、そこは最難関の入試です。不安と緊張がありました。番号が張り出される直後の混雑する時間帯を避けて、遅れていきました。不思議なことに、遠くから自分の番号がだけが目に入りました。一緒に受けた友人の番号を確認し、公衆電話から両親と担任の先生に報告しました。
大学からすれば、毎年繰り返される行事であり、文科一類に入学した630人(当時の定数)の一人でしかありませんが、私にとっては、その後の50年の人生を決定した日でした。これに受かるということは、官僚になる道を選んだということでした。
振り返ると、たくさんの貴重な経験ができ、充実した職業人生でしたが、他方でえらい苦労をする生活でした。当時は、そんなことを知るよしもありません。
50年とは半世紀。一つ一つを振り返ると長かったような気がしますが、全体を見るとあっという間のことでした。
ところが、間違って記憶していたのです。「50年前の3月10日その2」
今日4日は、西尾勝先生のお別れ会に行ってきました。西尾先生は行政学の泰斗。大学時代の恩師で、ゼミにも入れてもらいました。卒業後も、仕事や放課後にお世話になりました。
このページにも書きましたが、当時20歳だった私は、先生を見て「遠くの山」「とても登ることのできない、絶壁の高山」と思いました。当時、西尾先生は37歳でした。37歳になったときに、我が身の至らなさを反省しました。
「西尾勝先生、分権改革の整理」「西尾勝先生の時代の証言者」
2月も下旬になりました。寒い日が続いています。
でも、ご近所のミモザは、鮮やかな黄色い花を咲かせています。梅の木も、つぼみが膨らんできました。
我が家の椿も、2輪咲きました。
「最近、見かけませんねえ」と話していたメジロも、やってきています。
若いときは、いつでもどこでも原稿を書くことができました。馬力があったということでしょう。新幹線の中や帰宅の電車でも座れたときに、鞄の上に原稿用紙を広げたりパソコンを出して加筆しました。締め切りが迫っていたという事情もあったのでしょうね。だんだんと、場所と時間を選ぶようになりました。というか、気分が乗らないと、書けなくなりました。
ところが、ひょんな時に、書こうという気になることがあります。
先日も、異業種交流会の帰り道に、頭がさえてひらめきました。地下鉄に座ることができたので、原稿を取り出し、赤のボールペンで思いついたことをメモ書きしました。しかも、降りる駅を乗り越すぐらい、熱中していたのです。
翌朝に見ると、そのメモ書きが理解できました。早速、文章にして加筆しました。
不思議ですねえ。深酒をすると、いろいろ思いつくことがありますが、酔いが覚めると、ほぼ使い物になりません。その日は、適度に酔っていたのでしょう。