カテゴリーアーカイブ:生き様

『中世ラテン語の辞書を編む 100年かけてやる仕事』

2023年9月1日   岡本全勝

中世ラテン語の辞書を編む 100年かけてやる仕事』(2023年、角川ソフィア文庫)を本屋で見かけて、買いました。「このような内容の本を読んだことがあるなあ」と思い、目次を見て、ぱらぱらと目を通しました。「読んでなかったか。じゃあ買おう」と決断。

読み始めると、記憶が戻ってきました。「やはり読んだはずだ」。で、このホームページで検索してみると、出てきました。「100年かけてやる仕事
内容のほとんどは忘れていました。まあ、「2度読んだのだ」と思えばよいのですよね。

このような本は、私の分類では、「貯蓄の読書」か「消費の読書」に当たります。よしとしましょう。「生産の読書、消費の読書、貯蓄の読書

アサガオ花盛り

2023年8月27日   岡本全勝

8月5日から少しずつ咲き出した、玄関横のアサガオ。先週から、花盛りです。毎朝、10も20も咲かせています。白、紺、赤、赤紫。きれいなものです。

種をまいて、水やりを欠かさないと、花を咲かせてくれます。小学生にも、無精な爺さんにも育てることができる、良い花ですね。しかも、来年のための種もつけてくれます。

高円寺阿波踊り

2023年8月26日   岡本全勝

8月26日27日と、高円寺阿波踊りが開かれています。25日金曜日夜から、前夜祭が始まりました。
徳島の阿波踊りを元祖とし、正統的なものと、近代的・都会的に編曲された音楽もあります。何と言っても、ドラムの連打が激しいです。今日も見に行きましたが、すごい人出です。そして、踊っている人たちのうれしそうな顔。「踊りは~やめられない~」という台詞の通りです。
高円寺近辺の連だけでなく、広く都内からも出場しています。家族や関係者と思われる人たちが、連のあとをついて歩き、ひと躍り終わるとそのはじけようの大きなこと。踊りは、人を楽しくしますね。

我が家は、演舞場(商店街)と通りを一つ隔てていますが、大きな音が響いてきます。演舞場への通路となっているので、通行人も多いです。夜8時に終わって静かになると、ほっとします。

ひどい上司と憎めない部下と2

2023年8月25日   岡本全勝

ひどい上司と憎めない部下と」の続きです。今日は、小道具編です。

課長補佐の私は、ある時期は国会議員への説明で議員会館を飛び回り、講演会などもこなしていたので、席を空けることも多かったのです。そこで、部下たちが相談したい資料を私の机に提出しておいてもらって、あとで目を通すこともありました。
小学校の時に先生に捺してもらった「よくできました」というゴム印を覚えていますか。「よくできました」ゴム印。遊び心もあり、それを捺して書類を返却していました。文房具店で買ってきたゴム印は5種類が入っていて、「たいへんよくできました」「よくできました」のほかに「もうすこしです」や「がんばりましょう」などもありました。

最初の頃は、「たいへんよくできました」か「もうすこしです」を捺していたのですが。ある職員(県から派遣されていた職員)が私に説明しながら、「補佐、これを捺しましょう」と言って、勝手に「たいへんよくできました」を自分で捺しました。憎めない職員です。今は副知事をしています。
その後いつの間にか、「たいへんよくできました」以外のはんこは、行方不明になりました。そして、残った「たいへんよくできました」を、職員が自分で捺すようになりました。

もう一つ小道具の話です。
私はプロ野球、近鉄バッファローズのファンで、机の上に小さなマスコット人形などを飾っていました。ある日出勤すると、机の下に落ちていて、しかも壊れています。
「なんやこれは」と言うと、あの係長が「補佐の厳しさに耐えかねて、自ら身投げをしたのではありませんか。かわいそうな人形です」と、真面目に説明してくれました。

「こやつが遊んでいて、あるいは鬱憤晴らしで壊したな」と推測しましたが、そこまで堂々と言われると、反論のしようがありません。職員が壊れる前に、人形が身代わりになってくれたのです。
多分、他の職員は笑っていたでしょうね。
彼らのおかげで、仕事は大変でも、風通しの良い職場だったと思っています。

ひどい上司と憎めない部下と

2023年8月23日   岡本全勝

先日、30数年前に一緒に働いた後輩2人と、久しぶりに意見交換会をしました。当時、私は30代半ばの自治省財政局交付税課課長補佐で、2人はまだ20代半ばで係長とその手前でした。その頃の思い出話で、盛り上がりました(この頃の話は、何度か書いたことがありますが、あらためて)。

この頃の私の仕事ぶりは省内でも鳴り響いていて、この2人も周囲から「岡本補佐に仕えて、大変だね」と、ねぎらいの言葉をかけてもらっていたとのことです。
土曜日の朝に彼らに指示を出し、月曜日朝にできていないと「昨日休んだやろ」と言ったとか。もちろん笑いながらですよ。月曜午後には、「まだできてないの。昼飯食っただろう」と言ったとか。
上司以上に彼らは大物で、「まだですよ~」と、笑って受け流していました。

2人は素質もあり、将来の幹部に育てるために、他の人より重い負荷をかけたのです。もちろん、彼らの疲労度を勘案してです。私も彼らの職位のとき、しょっちゅう泊まり込んだ経験がありますから、「無理の程度」はわかっています。彼らに聞くと、「明け方までは仕事をしたけれど、家には帰りました」とのこと。
24時間戦えますか~ビジネスマン、ビジネスマン~」という栄養剤の宣伝が流行ったのは、昭和63年です。「そんなこと、できっこないわ」と、私は自分の経験で思っていました。1日か2日はできるとしても、生産性は落ちるし、長続きはしません。

当時は週休2日に移行する時期でしたが、忙しい時期の私には休日という概念はなかったです。ただし季節労働者で、暇なときもありました。そうでないと、体が持ちません。私は休日出勤はしましたが、平日は早く帰るようにしました。
と言っても、意見交換会に出かけていたのです。部下にとって、「上司元気で留守が良い」を理解していたので。もう一つの栄養剤の宣伝、高田純次さんの「5時から男」を実践していました(笑い)。私が退庁してから、彼らが盛り上がっていた話は、次回にします。

次のようなやりとりも、有名でした。
私が彼らに指示を出す際に「私は忙しい。返事は簡潔にせよ。しかし私は民主的だから、押しつけはしない。次の2つの答えの中から選んで良い。一つは『はい』だ、もう一つは『わかりました』だ」と言ったとか。
部下の一人は「はいはいはい~、わかりましたよ~」と、グレながら返事をしていました。私が許した選択肢を逸脱してはいないのですが、不服従をきっぱりと顔に出していました。
この話には、後日談があります。私が交付税課を離れて数年後に、後輩から聞きました。「全勝さん、最近は選択肢がもう一つ増えたんです」と。で「3つめは何?」と聞くと、「喜んで」ですと笑いながら教えてくれました。ある飲食店で、注文を聞いた店員が客に答える際の言葉だそうです。
ここだけ読めば、ブラック職場に見えますね。