4月9日の朝日新聞文化欄に、町田康さんの「本の整理、破滅への一本道」が載っていました。私は、まだその心境に達しません。全てを紹介できないので、関心ある方は全文をお読みください。
・・・同業者に比べれば少ない方だとは思うが、職掌柄、家に本が仰山ある。
そしてその中には常な必要な本、たまに必要な本、まったく必要でない本がある。そしてそれらが分類整理されぬまま混在している。
それはあかん事や、と思う。なぜなら必要な本をすぐ取り出せないし、不必要な本は空間を圧迫して、住人(俺の事)のメンタルを削るからである。
なので本を分類整理しよう。不要な本は処分し、必要な本を、恰(あたか)も掌(たなごころ)を指すように容易に取り出せるようにしよう、とこう考えたのが、事の始まり、それ自体は穏当な考えであったと今も思うが、それから一瀉千里、気がつけば破滅への一本道を歩んでいる。
と言うと、「本の分類整理の何が破滅なのか」と疑問に思う方も多かろう。順に申しあげる。
・・・つまりどういう事かと言うと、本棚もそうなのだけれども、家中のありとあらゆるところに、様々の雑物が分類整理されぬままぎっしりつまって整理をしようにも手を付けられない状態に成り果てているという事である。
これでは出世は覚束ない。いや、出世とかそういう厚かましい問題ではなくして、物に圧迫され、精神があかん感じになり、その結果、仕事も投げやりになって経済的に追い詰められ、人間関係も破綻、荒れ果てた家で一人、猫にすら疎んぜられて、すべてを後悔しつつ滅びていく。
そんな人生、己(おら)やんだ。
心の底からそう思った私がやるべきことはただ一つ、そう、取り敢えず、明確な不要品をゴミとして捨て、家内で物が回転する余地を確保する事であった。
そこで私は、次のゴミの日に、もう買ったばかりで結局一度も着していない悪趣味で安っぽい衣服を廃棄した。
これはしかしなかなかに困難な仕事であった。なんとなればそれを捨てるということは、そのそれを買った自分の過去の過ちを認め、それに費やした費用を心の家計簿に損失として計上することに他ならないからである。
・・・しかしそうこうするうち家の中に堆積している物品の九割はそうした失敗物であることが判明するに至り、自分がアホではない、という気持ちが滅亡して、半笑いで物を捨てられるようになった。
それからはもう勢いが付いてしまい、それどころか物を捨てて空間が出来る事に異様な快楽を得るようになり、様々の、今現在、使用している物にさえ、難癖をつけて捨てるようになり、肝心の本も今では人から贈られたものを除いて殆ど処分、スペースだらけ、というか、ただのスペースと化した家の中を捨てる物を探してケタケタ笑いながら歩き回っている・・・