カテゴリーアーカイブ:新居顛末記

2008.09.06

2008年9月6日   岡本全勝

東京では、8月下旬に秋のような涼しさになったのですが、その後、暑さが戻ってきました。しかも蒸し暑く。夕方にはしばしば、豪雨になります。今日も、わが家のあたりは、夜になってから雷を伴うすごい雨で、停電もおきました。
夏の初めに、プランターから間引いたアサガオの苗を、捨てるのももったいないので、椿の根元に植えておきました。すると、椿の木にからんで伸びて、椿の枝で大きな花を咲かせています。

椿、一輪

2008年3月16日   岡本全勝

ようやく、我が家の椿が、一輪花を咲かせました。梅もほとんど終わっている時期にです。お向かいの遅れていた白い椿は、大輪の見事な花をたくさん咲かせています。沈丁花も、強い匂いを漂わせています。去年早く咲いたご近所の桜は、改築のために切られてしまい、今年は楽しむことができません。
毎朝、ウグイスがきれいな鳴き声で、起こしてくれます。

2007.12.2

2007年12月2日   岡本全勝

時間が経つのが早いと言えば、この家に引っ越してから、2年が経ちました。先月には、工務店に来てもらい、2年点検を受けました。なじんでは来ていますが、まだ、ふるさとのような親密さは感じませんね。お隣のダイダイの木は、この夏に青い実をたくさんつけ、黄色くなってきました。わが家の夏椿はすっかり枯れ葉になり、椿はつぼみが膨らみつつあります。チューリップの球根も植えて、準備完了。

武蔵野の変貌

2007年10月21日   岡本全勝

伊藤滋著「面影の街・追憶の家」に、昭和初期の中野の町の暮らしが、書かれていました。先日古本屋で見つけた本で、定価が書いてないので非売品なのでしょう。その後、出版社ぎょうせいから、「昭和のまちの物語」として発売されているようです。
家の近くなので、興味を持って読みました。そして今日、そこに載っている先生の手書きの地図をたよりに、「探検」に行ってきました。地下鉄丸ノ内線の、新中野駅と中野富士見町駅にかけてです。先生が住まわれたのは、昭和6年から18年までです。田畑が宅地化され、住宅が広がっていったとのことです。
道路はかなりその当時と同じなので、ほぼ位置はわかりました。しかし、ビルやマンションが建って、風景はまったく違っています。70年で、これだけの変化があるのかと、びっくりしました。そのあたりは、銀座や新宿といった盛り場、商業地ではありません。武蔵野の畑と住宅地だったのです。それでも、これだけ変化したのです。これが東京の、そして日本の近代化と繁栄の現れなのですね。杉並区の人口は、大正14年に7万人、昭和5年に13万人、10年には19万人になっています。5年ごとに6万人増えています。昭和40年には54万人で、現在は53万人です。
わがふるさとだと、70年前とそう違わないと思われる風景が広がっています。もちろん、道路は広くなり、学校や役場も立派になってはいますが。町の風景と田舎の風景の違い、エネルギーの違いを感じます。
さて、そこから地下鉄で2駅のところにあるわが家は、新築後2年検査を受けました。このあたりも、70年前とは大きく違っているのでしょうね。これから70年後は、どうなっているのでしょうか。私は、それを見届けることができませんが。

夏椿

2007年5月27日   岡本全勝

昨春、玄関脇に夏椿を植えました。しかし、昨夏は、咲きませんでした。今年は、たくさんつぼみを付け、昨日今日と一輪ずつ咲き始めました。インターネットで探すと、立派な木にたくさんの花が咲いた写真がいくつも載っています。それに比べ、わが家の木は小さいですし、花もまだ一輪ずつでさみしいです。でも、清楚できれいです。一日花なのが惜しいですが、それが生き物なのでしょうね。