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生き様-新居顛末記

2007.12.2

時間が経つのが早いと言えば、この家に引っ越してから、2年が経ちました。先月には、工務店に来てもらい、2年点検を受けました。なじんでは来ていますが、まだ、ふるさとのような親密さは感じませんね。お隣のダイダイの木は、この夏に青い実をたくさんつけ、黄色くなってきました。わが家の夏椿はすっかり枯れ葉になり、椿はつぼみが膨らみつつあります。チューリップの球根も植えて、準備完了。

武蔵野の変貌

伊藤滋著「面影の街・追憶の家」に、昭和初期の中野の町の暮らしが、書かれていました。先日古本屋で見つけた本で、定価が書いてないので非売品なのでしょう。その後、出版社ぎょうせいから、「昭和のまちの物語」として発売されているようです。
家の近くなので、興味を持って読みました。そして今日、そこに載っている先生の手書きの地図をたよりに、「探検」に行ってきました。地下鉄丸ノ内線の、新中野駅と中野富士見町駅にかけてです。先生が住まわれたのは、昭和6年から18年までです。田畑が宅地化され、住宅が広がっていったとのことです。
道路はかなりその当時と同じなので、ほぼ位置はわかりました。しかし、ビルやマンションが建って、風景はまったく違っています。70年で、これだけの変化があるのかと、びっくりしました。そのあたりは、銀座や新宿といった盛り場、商業地ではありません。武蔵野の畑と住宅地だったのです。それでも、これだけ変化したのです。これが東京の、そして日本の近代化と繁栄の現れなのですね。杉並区の人口は、大正14年に7万人、昭和5年に13万人、10年には19万人になっています。5年ごとに6万人増えています。昭和40年には54万人で、現在は53万人です。
わがふるさとだと、70年前とそう違わないと思われる風景が広がっています。もちろん、道路は広くなり、学校や役場も立派になってはいますが。町の風景と田舎の風景の違い、エネルギーの違いを感じます。
さて、そこから地下鉄で2駅のところにあるわが家は、新築後2年検査を受けました。このあたりも、70年前とは大きく違っているのでしょうね。これから70年後は、どうなっているのでしょうか。私は、それを見届けることができませんが。

夏椿

昨春、玄関脇に夏椿を植えました。しかし、昨夏は、咲きませんでした。今年は、たくさんつぼみを付け、昨日今日と一輪ずつ咲き始めました。インターネットで探すと、立派な木にたくさんの花が咲いた写真がいくつも載っています。それに比べ、わが家の木は小さいですし、花もまだ一輪ずつでさみしいです。でも、清楚できれいです。一日花なのが惜しいですが、それが生き物なのでしょうね。

椿の若葉と毛虫

庭の椿は花が終わり、若葉が元気よく伸びてきました。すると、早くもチャドクガの幼虫も。変に黒くなっている葉っぱがあるな、と思ってよく見たら、小さな毛虫が密集して葉の裏をかじっていました。その生命力には感心しますが、そうも言っておられないので、早速葉っぱごと取って安楽死してもらいました。
いろいろ教えてもらっている、物知りのご近所の奥さんに、早速報告。「エー、もう来ましたか。岡本さんとこの椿は、風通しも良く日当たりも良いから、あまりつかないはずなんですがねえ」。

経験の空間

読みたいと思いつつ、放ってあった「空間の経験」(イーフー・トゥアン著、ちくま学芸文庫)を、読みました。例によって、布団の中でです。
アメリカの本らしく、結構な分量があって、また、これでもかこれでもかといろんな話が出てきて、私には読みにくかったです。私の関心は、場所や風景がどうして個人と結びつくか、すなわち思い出深い場所となったり、住みやすい場所になるかです。私には、生まれ育った家の細部、家の周囲の景色、小学校からの帰り道などが、いまだに懐かしい「価値ある」場所です。それは、世間から比べると、ありふれた細々とした風景ですが、なぜか安心感をもたらします。そこを離れてもう30年以上が経つのですが。
谷村新司さんと加山雄三さんの歌「サライ」の3番の歌詞に、次のようなくだりがあります。
「若い日の父と母に 包まれて過ぎた やわらかな日々の暮らしを なぞりながら生きる。まぶた閉じれば 浮かぶ景色が 迷いながらいつか帰る愛のふるさと」。これなども、同じだと思います。ただしこれは暮らしぶりであって、場所と景色だけではありませんが。
風景や場所は、客観的な事実です。写真に撮れば、みんなに同じように見えます。しかし、そこに生きる人・生きた人にとっては、観光客や第三者とは違った意味を持ちます。経験を通じて、その空間は「意味ある場所」に変化するのです。
また、それは住民一般に広がると、住みやすい地域、あこがれの場所ともなります。もちろん、ある個人の体験や感覚と、住民一般の思いや考えとの間には、違いはありますが。桑子敏雄著「環境の哲学」(1999年、講談社学術文庫)なども、参考になります。
東京に家を建てて暮らしているのですが、ここはまだ、子どもの時のあの場所のような「親密さ」は生まれません。まあ、まだ日が浅いと言うこともありますが、人格形成期と熟年との感受性の差もあるのでしょう。