カテゴリー別アーカイブ: 知的生産の技術

生き様-知的生産の技術

鎌田浩毅著『理科系の読書術』

鎌田浩毅先生の新著『理科系の読書術』(2018年、中公新書)が良かったです。紹介には、次のように書かれています。

・・・本を読むのが苦行です――著者の勤務する京都大学でも、難関の入試を突破したにもかかわらず、そう告白する学生が少なくない。本書は、高校までの授業になかった「本の読み方」を講義する。「最後まで読まなくていい」「難しいのは著者が悪い」「アウトプットを優先し不要な本は読まない」など、読書が苦手な人でも仕事や勉強を効率よく進めるヒントが満載。文系の人にもおすすめの、理科系の合理的な読書術を伝授する・・・

わかりやすいです。すらすら読めて、納得します。学生だけでなく、社会人にも、役に立ちます。いくつかのキーワードを書いておきます。詳しくは、本を読んでください。
多読と速読の違い。速読とは、時間あたりに読める文字数が多いのではない。未知の分野では速読はできない。
人間関係2:7:1の法則は、本にも当てはまる。
難しい本を読む際の、棚上げ法と要素分解法。音楽的読書(丁寧に最初から読む本)と絵画的読書(飛ばし読みができる本)。
生産の読書と消費の読書の違い。

最近の学生は、本を読まないようです。昨日、このホームページでも紹介しました。京都大学の学生もそうだとか。もっとも、昔から、本を読む学生と読まない学生はいました。読まない学生の割合が増えたということでしょうか。
「本の読み方を教えてもらっていない」という指摘があります。私も大学の法学の授業で、教授から読み方のコツを教えてもらいました。法律学の本は、難しいのです。「そうか、教授もこのように読んでおられるのだ」と自信がつきました。
そこで、私が講義する大学の授業でも、本の読み方と新聞の読み方を教えるようにしています。新学期からは、鎌田先生のこの本を紹介することにします。

グラフを発明した人

5月16日の朝日新聞「ネット点描」は「グラフの進化」でした。
それによると、棒グラフと線グラフを発明したのは、1786年のロンドン、ウィリアム・プレイフェアだそうです。
改めて考えると、これはすごい発明ですよね。数字の可視化です。数字を並べるより、はるかにわかりやすいです。
あのナイチンゲールは、クリミア戦争でイギリス兵の多くが戦闘の傷よりも病院の衛生管理で死亡したことを国に訴えるため、独自の円グラフを使ったのだそうです。

文房具へのこだわり

私は文房具が好きです。文房具店を覗くのは、楽しいですよね。「筆記具は、文字が書ければ良い」というのも一つの考え方ですが、書きやすいペン、お気に入りのペンで書くと、筆が進み、また良いアイデアが出てきます。これらについては、「知的生産の技術」という分類に何度か書きました。「ペンについて」「ボールペンについて」「紙について」。

先日、題名にひかれて買った、片岡義男著『万年筆インク紙』(2016年、晶文社)と、ジェームズ・ウォード著『最高に楽しい文房具の歴史』(2015年、エクスナレッジ)を読みました。
前者は、万年筆を愛用しておられる片岡さんの、万年筆への思い入れを書いたエッセイです。まあ、すごい入れ込みようですね。作家にとっては、紙とペンは重要な生産設備、いえアイデアを生みだす重要な相棒です。「そうだよなあ」「そうなんだろうなあ」と思いつつ読みました。
後者はロンドン在住の作家で、「文房具愛好家」を名乗りブログを書いているようです。インターネットなどで調べたと思われる、鉛筆、万年筆、ボールペン、サインペン、付箋、クリップ、ホッチキスなどの歴史です。「なるほどねえ」と雑学が増えます。
日本発の文房具、サインペン、消すことができるボールペン、カラフルなボールペンなども紹介されていて、「よく調べてあるなあ」と思うとともに、意外なところに日本発を見つけて、うれしくなりました。

私は、原稿などはパソコン(ワープロ)それも「一太郎」で書くのですが、最初の構想は、万年筆かサインペン(プラマン)で紙に書きます。なめらかに書けることが条件です。
万年筆は、改まった手紙を書く場合と、この思考の整理(頭の中を見える化)する場合で、使い分けています。
片岡さんの文章に、私の使っている「柔らか向け」のパイロット製の万年筆が登場していて、「やはりこれが使いやすいんだ」と自信を持ちました。
日本語と英語では、ペン先の使い方が違うのですよね。また、きっちりした文字を書く場合(F、Mのペン先)と、思考をペン先に伝えて構想を練る場合(M以上の太さと柔らかさ)とでは、ペン先は違うのです。

「東大教師が新入生にすすめる本」

東大出版会のPR誌「UP」4月号は、恒例の「東大教師が新入生にすすめる本」です。毎年楽しみにしています。
それぞれの学問では、どのような本が教えられているのかが、わかるのです。もちろん研究の最先端は、もっと専門的な研究書が出ているのでしょうが、それは私には歯が立たないでしょう。大学生が読める本程度が、私にはちょうどです。政治と行政分野は常に関心を持ちつつ、本屋を覗いていますが、それ以外の分野でどのような本が取り上げられているかが、勉強になります。
「こんな本があるのだ」「これって、買ったけど読んでいないよなあ」と思いつつ読んでいます。先生方の紹介文が、勉強になります。「この本は、このように読むんだ」とです。また、先生方の若き日の学問との苦闘が書かれていたりして、これもまた勉強になります。

新聞の書評欄もそうですが、本屋で見ても買わなかった本を、識者の解説や書評を見て「それなら読もう」という気になります。問題は、買うけど読まない本がたまることです。
過去の分は、『東大教師が新入生にすすめる本 2009‐2015』(2016年、東大出版会)にまとめられています。「UP」は、大きな本屋では、無料で配っていることがあります。

書斎の資料整理

いよいよ、書斎の整理に着手しました。本棚は引っ越してすぐに満杯になり、その後読んだ本や買った本は、床に山積みになっています。最初の頃は、それもかわいかった(必要とあれば取り出せた)のですが。気がつくと、50センチ以上の山脈になっていて、取り出すどころではありません。11年間に、たくましく増殖しています。
困ったものです。見ない=使わない=捨てれば良いのですが、その「きっしょ」(関西弁で「きっかけ」のこと)が立ちません。仕事では決断の早い私ですが、本を捨てることに関しては優柔不断です(反省)。
かつて大学教授の研究室を訪れたときのことを思い出します。天井まである大きな本棚はもちろん、通路にも本や資料が山積みされていて、その間の獣道(けものみち)を通って、先生の机までたどり着きました。人様のことを笑えません。

4月から大学で講義も始めるので、その資料を入れる空間を作る必要があり、遂に本棚の一部を整理しました。かつて出講していた大学での講義の資料、書いていた原稿の資料(中断したままのもの)を、捨てました。本棚の良い場所を、それらのファイルボックスが占領していたのです。講義資料はデジタルにして、パソコンや記録媒体(USBメモリ)に保管してあります。原稿もデジタルで保存し、記事にもなっています。しかし、その準備のために集めた資料がたくさんあるのです。
資料を見ると、「良く集めたな」「こんな資料もあったよな」という思い出の旅です。我ながら、よく調べていたものです。私の関心は、「日本の政治と行政」「官僚の役割」です。いずれ文章にして世に問おうと考えてたのですが、総理秘書官や大震災対応の仕事について、それどころではなくなったのです(言い訳です)。

それぞれに有用な資料なのですが、10年近く経つと価値が下がります。もう一度読み返したい資料もありますが、そんなことをしていては、新しい準備に取りかかることができないので、えいやっと捨てました。やれば、できるのです。
けっこうな空間を確保できました。ところが、既に集めてある資料をそれらのファイルボックスに入れると、すぐに埋まってしまいました。いよいよ、本の整理に着手しなければなりません。