カテゴリー別アーカイブ: 知的生産の技術

生き様-知的生産の技術

よい単語を探す

このホームページを書いたり、原稿を書いたりするときに、良い単語が浮かばなくて難儀することがあります。

例えば読んだ本を紹介する際に、「面白い」とか「興味深い」と書きたくなるのですが、これでは紹介になりませんよね。漫画のように笑えるのか、小説のように引き込まれるのか、学術論文のように分析が鋭いのか。
「面白い」という表現は、話し言葉ではよく使います。分かりやすいのですが、多義的で、思っていることが正確に伝わらないのです。他に適切な言葉がないか知恵を絞り、なかなか出てこなくて、自分の語彙の貧弱さを嘆きます。
学者や小説家、記者さんたちも、毎日、私と同じように悩んでいるのでしょうね。そこに、力量が表れるのでしょう。

この文脈とは少し異なりますが、「環境」もよく使いつつ、多義的なので困ります。「環境」と聞くと、環境省に代表されるような自然環境を思い浮かべます。しかし、それに限らず、仕事をする条件(労働環境)、住居のある空間(住環境)などのように、取り巻く条件やおかれた空間を指し示す場合もあります。これは日本語に限らず、英語にあっても、一つの単語がたくさんの意味を持つ場合があります。
ところで、「自由」は、日本古来では勝手気ままを意味し、西洋語を翻訳する際に拘束を受けず自らの責任で行動する意味を持たせたようです。

「知ってる、知ってる」

原研哉著『低空飛行ーこの国のかたちへ』(2022年、岩波書店)の14ページに、次のような文章があります。
「情報過多と言われる今日、人びとは何に対しても「知ってる、知ってる」と言う。英語で言うと「I know! I know!」。ウイルスについても、ヨガについても、ガラパゴス諸島についても・・・。なぜか「知ってる、知ってる」と二回言う。しかし何をどれだけ知っているのか。情報の断片に触れただけで知っているつもりになっているように見える。」

指摘の通りです。なぜか「知ってる」を二回繰り返すのですよね。それは「知ってる」とゆっくり一度言うのと、意味が違うのでしょう。そして若い人にとって、知人との会話で「知らない」というのは、勇気が要ることかもしれません。

そして、次のような文章が続きます。
「だから今日、効果的なコミュニケーションは、情報を与えることではなく、「いかに知らないかを分からせる」ことである。既知の領域から未知の領域へと対象を引き出すこと。これができれば人びとの興味は自ずと呼び起こされてくるのである。」

インターネットとパソコン、スマートフォンの普及によって、膨大な情報を瞬時に得ることができるようになりました。しかし他方で、それらの機器と情報の虜になっていることも多いです。送られてくる情報を追いかけることで精一杯になり、またそれで満足することで、自ら考えることがなくなります。それは情報と時間の消費(浪費)であり、学習や思考ではありません。

ひらめき

ぼんやり考える時間」の続きです。
ある主題に集中しているのでもなく、ぼんやりといろいろなことを連想しているのでもないときに、重要な問題の解決をひらめくことがあります。
ニュートンがリンゴが落ちるのを見て万有引力を発見したとき、アルキメデスがお風呂に入っていて比重を思いついたときです。

その発見のためには、それに関する「問題意識」を持っていることと、そこにたどりつくまでの「基礎知識」が必要です。量子力学の世界は、私たち素人では基礎知識がなく、どんなセレンディピティ(幸運な偶然を手に入れる力)に恵まれても、発見はないでしょう。
しかし、試験や試験勉強のように、その問題を前に紙と鉛筆を持って考え込んでいるのではなく、ぼんやりと考えている時にひらめくのです。なぜでしょうかね。参考「直観サバンナ

少し脱線しますが、「探しものを見つける」場合にも、集中して探す場合と、ぼんやりと探す場合があります。
本屋を考えてください。書名が分かっている本を探す場合、ある分野の棚で良さそうな本を探す場合のほかに、何か面白そうな本はないかと棚を見渡す場合です。3番目の場合は特に主題を決めていないのですが、ぴんとくる本に出会うことがあります。これも、頭の中にぼんやりと関心事項があって、それにはまるのでしょうね。
ぼんやりとでも、アンテナを張っていると、引っかかるものがあるのでしょう。

東大教師が新入生にすすめる本2022年

今年も東大出版会の宣伝誌「UP」4月号は、「東大教師が新入生にすすめる本」を特集しています。毎年、出るのを期待しています。

「今はこんなことが研究されているのだ」と勉強になります。
書評欄に取り上げられる新刊だけでなく、先生方が読んだ本やおすすめの本もあって、「こんな本もあるのだ」と知ることもできます。専門でない分野を知ることは、面白いですよね。
このような記事は、インターネットで読むことができるようにしてほしいですね。
東大教師が新入生にすすめる本2019」「東大教師が新入生にすすめる本2017

ぼんやり考える時間

物事を考えるときには、二つの状態があるようです。
一つは、ある課題を集中して考える場合です。試験勉強や、差し迫った仕事の課題を考える場合、締め切り間近の原稿を書く場合です。これは、皆さんおわかりでしょう。
もう一つは、ぼんやりと考える場合です。特段の課題はなく、締め切りもない状態です。新聞や本を読んでいて連想がわく。布団の中でふと思いつくことなどです。

不思議ですよね。課題があって考える場合は、それにつながりがあることを考えつくのは分かりますが、後者の場合は、何も焦点がないのに連想が続きます。かつての体験を思い出したり、ある風景を思い浮かべたり、音楽を口ずさみます。
私たちの脳は、いろんなことを、脈絡もなくミラーボールのように映し出しているようで、それを別の脳細胞が取り出すのでしょう。つながりがないように思えても、脳は何か「同じような映像の形」あるいは「ある鍵となる言葉」をつながりとして、ほかの記憶を呼び起こしているようです。

このホームページの記事の半分は、読んだ新聞や本、体験から主題を考えつきます。残りの半分は、ぼんやりしているときに「こんなことも記事になるなあ」と思いつくのです。
しかも、一生懸命考えている場合より、ぼんやりと考えている場合の方が、さまざまなことを思いつきます。布団の中、電車の中、職場での仕事の合間などです。
頭の中の引き出しから、いろんなことを引っ張り出すようです。もちろん、引き出しにいろんな記憶が入っていないと、取り出すことはできませんが。引き出しに入っているだけでは、出てきません。何が、引っ張り出すきっかけなのか。よく分かりませんね。
脳の働きと仕組み、推理の能力