最近、気になることがあります。職員が作ってくれる書類についてです。いまやすべてワープロで打たれた、きれいな文書です。私が気になるのは、年月日に、ほとんど曜日が付いていることです。例えば、平成23年11月25日(金)というようにです。
今週の予定を並べる際には、曜日が付いていると便利です。ところが、公文書のなかで、発信日時などにまで付いています。
理由がわかりました。最近のワープロは「親切」で、自動的に曜日を付けてくれるのです。よけいな親切ですね。
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生き様-知的生産の技術
パワーポイントは嫌い
「パワーポイント」という、プレゼンテーション用のコンピュータのソフトがあります。会議で説明の際に使う、文章や図画を映し出す仕組みです。かつては、プロジェクター、OHP等も使われましたが、最近ではパワポが、圧倒的に使われているようです。商品名ですが、もはや普通名詞になっています。会議や講義、講演では、かなりの人が使っているのではないでしょうか。
講演の依頼が来る時も、「パワポを使いますか?」と聞かれます。私は「使いません。レジュメと資料を配るので、印刷してください」と答えます。私は、パワーポイントが嫌いです。理由は、次の通りです。
1 聴衆との間の視線(アイコンタクト)が、とぎれる。
私は、観客の目を見ながら、お話しします。目を見ると、「この人はわかっているな。あの人は、わかっていないな」とか「この小話は、受けたな」とわかります。
そして、なるべく多くの観客の視線を、話し手である私の方に向けさせ、集中してもらうようにしています。黒板に書く時も、なるべく観客の視線をそらさせないように、心がけています。
これは、人前で話す際のハウツー本には、必ず書かれていることです。パワーポイントを使うと、話し手に集中していた観客の視線が、とぎれてしまうのです。この点を、最近の「話し方講座」では、どのように教えているのでしょうか。
2 情報量が少ない。
パワーポイントに限らず、スクリーンに映し出す画像は、情報量が少ないです。活字だと、せいぜい3~5行でしょう。それより多くなると、読めません。頭に入りません。
グラフや写真、映像などは、映写する方が説明しやすいでしょう。私は、それを否定しません。しかし、私が使うようなレジュメや文字情報が多い資料だと、紙で配る方がわかりやすいです。
パワーポイントでも読みやすいように、図示したりイラストで工夫した資料も見ますが、あまり成功した例は見ません。文字情報をイラストにするには、限界があります。
3 持ち帰ることができない
私は、サービスとして、資料を持って帰ってもらうことにしています。話の骨格とか数字などを、書き取らなくても良いようにです。
パワーポイントの映像を印刷して配付する人もいますが、それなら資料を配ってあげた方がよいでしょう。パワーポイント1枚に入る情報は、少ないです。
4 横長は、人間工学に反する(笑い)
最近は、配付資料でもパワーポイントを使ったものがあります。A4の紙を横長に使い、文章も横書きです。これって、読みにくいですよね。1行の文章が長くて、それから折り返されます。
和書でも洋書でも、紙は縦長に使います。横長の本は、子どもの絵本か図画や音楽の教科書くらいでしょう。手紙でも役所の文書でも、横長はまずは見ません。日本の手紙は、古くは巻紙に書かれます。これは究極の横長ですが、その際は文章は縦書きです。パワーポイントでも、縦書きにすれば読みやすいのでしょうが、皆さん横書きに使っておられます。
また、紙を横長に使って、横書きにすると、箇条書きにする際の項目数が少なくなるのです。
欧米の封筒やカード、日本でも名刺などで、横長横書きがありますが、これは情報量が少ないので、問題ないのでしょう。
コンピュータの画面(ディスプレイ)にあわせて、横長なのでしょう。しかし、インターネットのいろいろなホームページも、画面の横幅いっぱいに、文章を書き連ねて使っているページって、そんなにないでしょう。新聞社のサイトも、文章は画面の左右幅いっぱいに広がらず、短く折り返しています。横には別の情報が入っています。文章は横に長いと、読みにくいのです。いまご覧のこのページ(表紙)も、左右に広く空間をとって、文章は短くしてあります。
「お前の勝手だ」と言われれば、それまでの話です。
ボールペン
職場では、万年筆とサインペンを使っています。外出時は、かつては2色ボールペンを使っていました(2006年11月13日の記事)。半年ほど前から、ボールペンを変えました。伊東屋で「2色ボールペンで、人前で品が良くて、書きやすいのはどれですか」と質問したら、直ちに「三菱鉛筆のジェットストリームが書きやすいです。よく売れています」と答が返ってきました。「そのピュアモルトが、品がよいです」とのこと。
確かに外見も良く、なんと言っても書き味がよいです。かすれもなく、すいすい書けます。一つ買いましたが、この難点は、2色のほかにシャープペンがついていることと、胴体が太めなことです。私はシャープペンは使わないので。よって、これは職員にプレゼントしました。
今は、3色ボールペンを胸の内ポケットに挿しています。これも胴体はやや太めで、見栄えはいまいちなのですが、それは辛抱しています。2色で良いのですが、職員の資料に手を入れる時に、たくさん加筆することがしばしばあります。加筆したものにさらに加筆する際に、赤と青の両方を使っています。
もう一つの難点は、書きやすくて、ペン先がすべってしまうのです。それくらいなめらかです。
万年筆のインク
校正の悲しみ
北海道大学の宮脇淳先生から依頼されていた、原稿の校正をしました。「行政改革の現在位置~その進化と課題」年報『公共政策学』第5号(2011年3月予定、北海道大学公共政策大学院)です。1990年代以降の行政改革を分類し、その範囲と目的の変化を論じました。この数年間にわたり温めていた勉強の成果なので、自信作です。
今日の話は、原稿の校正についてです。かつては、手書きの原稿が活字になって帰って来るので、ゲラ刷りを校正することは楽しみでした。ところが最近は、ワープロ原稿を渡すので、汚い手書きがきれいな活字に変わる喜びは小さくなりました。それどころか、校正をするたびに、がっかりします。
原稿を書き終えて提出した時は、ほっとするとともに、書き上げた高揚感で満足しています。「我ながら良く書いた」と。ところが、ゲラになって戻ってきて読み返すと、落ち込みます。時間をおいて読み返すことで、書き足りなかった点や、読みづらい文章が見つかるのです。自らの力不足を反省します。 しかし、執筆の分量は限られ、締め切りが迫っているので、最小限の手直しをして送り返します。その際、編集長の朱が入ったところは、「なるほどねえ。そうだわ」と納得し、安心します。ありがたいことです。
私は依頼を受けると、なるべく早く骨子だけは書いておき、それをいったん原稿にした後、締め切り前にもう一度加筆するようにしています。そしてできれば、誰かほかの人に読んでもらって、意見を聞くようにしています。時間をおいて読み返すと、書き足りないところや読みにくいか所が見えてきます。また、読み返すたびに、加筆する場所が見つかるのです。もっとも、今続けている連載は、毎回締め切りに追われて、「熟成させる」時間が取れません。反省。