カテゴリー別アーカイブ: 生き方

生き様-生き方

早生まれは損か

7月2日の朝日新聞オピニオン欄に「早生まれは損?:1 学力では」が載っていました。

・・・同級生に比べて体が小さく、成長が遅い――。1月から4月1日までに生まれた「早生まれ」の子は平均して、学齢期にそんなハンディがあるといわれます。当事者にはどのような苦労があり、どんな配慮が必要なのでしょうか。まずは学力面を中心に考えます。
3月生まれの生徒が入学した高校の偏差値は、同じ学年の4月生まれより4.5低い。3年前、東京大学大学院の山口慎太郎教授(労働経済学)らがそんな研究を発表し、話題を呼んだ。その後、早生まれのハンディを小さくするための議論や新たな施策は生まれたのか。話を聞いた。

埼玉県のある自治体のデータを用い、統計的な誤差を補正した上で4月生まれと3月生まれで入学した高校の偏差値を比べると、4.5の差がありました。
ただ、学力差そのものは学年が上がるごとに縮まっていた。「埼玉県学力・学習状況調査」の4年分のデータを用い、県内の公立小中学校に通う小学4年~中学3年の延べ100万人超のデータを分析したところ、どの学年、どの教科でも、先に生まれた子ほど成績が良い傾向が見られたが、学年が上がるにつれて差は小さくなっていました。
研究では、学力の差もさることながら、「感情をコントロールする力」や「他人と良い関係を築く力」といった非認知能力の差が、学年が上がっても縮まらないこともポイントでした。

学校外での活動を分析すると、中学3年の早生まれの生徒は、学習や読書の時間、通塾率がいずれも高いという結果が出ました。一方、スポーツや外遊び、美術や音楽に費やす時間は少なかった。これは、保護者が自分の子どもに何らかの遅れを感じて塾が優先され、非認知能力を伸ばすとされるスポーツや芸術系の習い事はしなくなるということだと思います。つまり早生まれの子どもたちは学力面では努力で差を縮めているが、非認知能力を伸ばすような活動が不足しているということです。
非認知能力の中でも、一つの仕事をきちんとこなし、達成を目指そうとする「誠実性」は、大人になってからの労働収入と強い相関があると知られています。30~34歳の所得を比較した先行研究によると、早生まれのほうが約4%低いという結果がある。非認知能力を伸ばす活動の不足が、大人になってからの所得差につながっている可能性があります。

「早生まれの不利」は、記事になるたびに「面白い」と消費されるだけで、教育制度のあり方を考えようということになりません。これまで手がけてきた研究の中で、最も政策に反映される気配がない。生まれ月に基づいた配慮は、障害者に対する合理的配慮と同じだと思います。しかし、結局は保護者や本人が不利をどう克服するかという話に終始しがちです・・・

私は1月生まれ。家族や親族にも、2月、3月生まれがたくさんいます。保育園や小学校1年生では、4月生まれの子とは大きな差がありました。

川北英隆先生のブログ

川北英隆先生のブログ、興味深い話や勉強になる話を、書き続けておられます。前にも紹介したことがあります。「日本的思考パターンへの苦言

先生の専門である投資の話「投資にうまい話は絶対ない」や社会批評「銀行窓口の変貌に驚く」も勉強になりますが、なんと言っても楽しみは山歩きの記です。精力的にいろんな山を歩いておられます。

本格的な高山の登山ではなく、近場の歩きやすい山のようです。京都の近くに、こんなところがあるのだと驚きます。私にも、行けそうですが。「湖南アルプス堂山
山の写真とともに、花や木の写真が楽しみです。例えば「虚空蔵山の花」。
京都も暑いそうです。

突然の病、死と向き合うには

6月14日の朝日新聞夕刊「こころのはなし」、鎌田東二・京大名誉教授の「突然の病、死と向き合うには」から。

 最近、記者(42)の周りでは病気で手術を受ける人が増えた。30、40代のがんも多く、ひとごととは思えない。突然、死を意識せざるを得ない病が降りかかったとき、どう向き合ったらいいのだろう。心の痛みを対話などで癒やすスピリチュアルケアの専門家で、宗教学者の鎌田東二(とうじ)・京都大名誉教授(72)は自身もステージ4のがんが見つかり、治療を続けている。京都の自宅を訪ねた。

――スピリチュアルケアの専門家として、どんなことを考えましたか。
「がんを受け入れて生きる」とは、どういうことか考えました。アメリカの精神科医のキューブラー・ロスが1969年、死にゆくプロセスを科学的にとらえています。
病を告げられてから五つの葛藤があり、最初は「否認」です。頭では理解しようとしても、何かの間違いだと否定します。次に「怒り」です。もっと悪いことをしている人はいるのに、なぜ自分が、と考えます。
3番目は「取引」です。信仰心がなくても神仏にすがり、これをやり切るまで生かして、と取引します。4番目が「抑うつ」です。もうだめ、神も仏もいない、とあきらめの気持ちになります。
最後が「受容」です。死は自然なことと考えられるようになり、静かな時間を過ごすことができます。

――ご自身はいかがですか。
宗教や死生観を50年近く研究し、普段から死を意識してきました。そのせいか、5段階目の「受容」が強いんです。いきなり「受容」したという感じです。
それでも健康を失うと、絶望したり、うつになったり、負の感情が連鎖します。私は合併症による2週間の絶食療法がきつかった。このまま体力が落ちて死ぬかもしれない。治っても今までのように動けるのか。患者が抱く不透明感に直面しました。
このとき、詩を作りました。自分のなかに起こる心の叫びを言葉にすることで、自分自身を支えることができました。
生きていれば必ず逆境が訪れます。逆境は暗く長いトンネルです。しかし、トンネルは必ず抜けられます。抜けたら、大きな光が与えられ、その人の人間性に強い力が加わります。
ただ、信仰心のある人のほうが逆境に強いことは間違いありません。

近藤和彦先生、自宅の改装

近藤和彦先生のブログを紹介します。先生が雑誌『図書』に連載されている「『歴史とは何か』の人びと」は、楽しみにしています。今日紹介するのは、そちらの方ではなく、「〈リフォーム〉ほどではないけれど」(6月3日掲載)です。

・・・じつは現在の集合住宅に入居して、この春でちょうど20年。同居人の構成も変化したうえ、いろいろなモノが貯まり堆積して、自宅がまるで考古学遺跡のようになってしまいそう、と心配してくれた娘の提言で(準備のメールとZoom会議をへて)、4月から夏まで数次に分けて、部屋の使いかたを多少とも転換中です・・・
・・・久方ぶりに床のフローリングがしっかり見えるのは、感動的です!
(とはいえ、ぼくの書斎、図書・ファイルにかかわることについては、さすがの娘も関与を諦め/謝絶し、お父さんが自分で考えてやって、と引導を渡されました!)・・・

同じように荷物と本に埋まった我が家を見て、身につまされます。私は、いつになったら着手するのやら・・・。

助手の研究と発言を止めようとする教授

朝日新聞に連載された「語る 人生の贈りもの」、環境工学者・中西準子さんの第7回「圧力10年、不屈の主張で国動かす」(6月6日掲載)から。

・・・《激しい論戦のきっかけは「浮間(うきま)レポート」だった》
工場排水を共同で処理する最新鋭施設とのふれこみで1960年代半ば、浮間処理場(当時)が東京都内にできました。でも、私たちが調査すると、水銀、鉛、銅、クロムなどの有害な重金属の多くが処理されずに川に流れ出ていました。大量の排水を集めたことで有害物質の濃度が薄まったものの、肝心の物質が除去されなかったのです。
岩波書店が出した雑誌「公害研究」創刊号(71年)に調査結果をまとめた記事(通称・浮間レポート)を出すと、教授や学界、行政の圧力にさらされました。

教授は私に直接、記事を取り下げるように求めました。多くの関係者が大学に現れ、「なぜ言うことを聞かせられないのか」と教授に迫ったといいます。私の研究を手伝う学生たちの就職も妨害されましたが、私たちは屈しませんでした。明らかに技術としておかしい、公害対策として効果がないと分かったのに引き下がるわけにはいかない。ごく単純なことです。数年後に浮間処理場は廃止され、76年の下水道法改正に至ります。

《「万年助手」の一人に数えられ、助手ながら「中西研」と呼ばれる研究グループができていた》
私の研究グループに対する学内外からの圧力は10年以上続きました。肩書は20年以上、東大助手のままでした。それでも私は心ある多くの学生たちに囲まれ、研究を前に進めることができました。
私たちの主張は、学会や専門誌での発表の機会を得にくく、たびたび一般向けの雑誌に記事を書きました。文系出身者が主導する国の政策を変えるには「縦書きで書く」必要がありました。工場排水の規制に次いで、私たちは大規模な流域下水道の問題点を指摘します。82年に家庭の下水を分散型で処理する「個人下水道」を本格提案する頃には理解者も増え、建設省(当時)もやがて姿勢を転換します。私たちは国の方針を動かしたのです・・・

その教授に話を聞いてみたいですね。