カテゴリー別アーカイブ: 生き方

生き様-生き方

家族に捧げる

三浦展さんの著作に触発され、いつか読みたいと思っていたので、藤岡和賀夫著『ディスカバー・ジャパン』(1987年、PHP研究所)を読みました。インターネットで中古品を探してもありませんが、区立図書館を調べたらありました。ありがたいですね。
藤岡さんは、電通の有名な広告プロデューサーで、「ディスカバー・ジャパン」「モーレツからビューティフルへ」「いい日旅立ち」などで有名です。1970年、80年代のことなので、若い人たちは、ご存じないかもしれません。
さて、今日紹介するのは、その内容ではなく、本の最初に書いてある「献辞」です。広告を志す人たちといった後輩にこの本を捧げると書いた後に、次のような言葉が並んでいます。

・・妻 奈美子へ
君が一人の子を家におき
一人を背負い一人の手をひき
一人を幼稚園に迎えに行った頃
私はこんな仕事をしていた・・

この本は、藤岡さんの仕事を振り返るものです。60歳になられて、ご自身の仕事を集大成されました。その時の、ご家族への感謝のお気持ちだと思います。私の場合は、家族へのお詫びになります。

不可能の反対語は

朝日新聞4月26日の天声人語に、次のような文章が載っていました。
・・黒人初の大リーガー、ジャッキー・ロビンソンに名言がある。「不可能の反対語は可能ではない。挑戦だ」。
久しぶりにこの言葉を聞いて、胸にずしんと来るものがありました。
人種差別のきつい時代に、それを切り開いていったロビンソン選手には、私なんぞには、わからないくらいの苦労があったでしょう。しかし、そのような境遇の違いを超えて、この言葉は、これまでにない仕事や困難な仕事に挑戦する私たちに、「勇気」を与えてくれます。
そうです。失敗するかもしれません。完璧な成果を達成できないかもしれません。しかし、それを恐れていては、難しい仕事、これまでにない仕事はできません。前例のない課題に、立ち向かっているのですから。
世間には、前例のないことに取り組むことが好きな人と、前例通りの仕事を好む人(前例がないことはしない人)の、2種類がいるようです。(2012年4月26日)

先日、「不可能の反対語は」で、ジャッキー・ロビンソンの名言を紹介しました。英語の原文を知りたくて検索したら、見あたりません。「ロビンソンの言葉ではないのではないか」という記事がありましたが。

孟郊

先日、孟郊の唐詩「登科後」について書きました(4月10日の記事)。漢文のお師匠さんである肝冷斎先生が、解説をしてくださいました。
孟郊さんって、この詩の伸びやかさとは違って、そんなにおおらかな人ではなかったのですね。それでも、1200年も後まで、しかも異国にまで名が残るのは、男冥利でしょう。

昨日までの苦労、今朝の解放感

東大出版会PR誌『UP』4月号に、齋藤希史先生が「走馬看花」を書いておられました。この四字熟語は駆け足で観光するという意味ですが、その典拠である、孟郊の唐詩「登科後」についてです。

昔日齷齪不足誇
今朝放蕩思無涯
春風得意馬蹄疾
一日看尽長安花

インターネットで「登科後」を検索したら、たくさんの方が書いておられます。例えばこれ
試験に受かって、このような晴れ晴れとした気分になった人も多いでしょう。特に、作者の孟郊は40歳を超えて、超難関の科挙に合格したのですから。
もっとも、合格したら終わりでなく、仕事場では次の苦労が待っているのですが。合格したばかりの若者に、それを言うのは酷ですね。
毎日あくせくしている私には、前の2行(起・承)のような感慨にふけることができる日が、いつ来るのでしょうか。

人は記憶を作る

4月4日の日経新聞夕刊「こころの玉手箱」に、益川敏英先生(ノーベル賞受賞者)が、次のような経験を書いておられました。
・・大学の学生時代、友人たちと映画を見た後、感想を語り合った。登場した女性について、ある者は「黄色い色の服を着ていた」と言い、別の人は「赤い服だった」と言う。また別の者は「違う、青色だった」と、てんでばらばらな議論になった。
そこで、確認するために、もう一度映画館に行こうと提案した。ところがその映画は白黒映画だった。色がついているはずがない。みんなキツネにつままれたような表情だった。
人間というものは、記憶を作ってしまうものだということが、その夜の議論の結論だった・・