「明るい課長講座」カテゴリーアーカイブ

生き様-明るい課長講座

レジリエンス

セルジュ・ティスロン著『レジリエンス こころの回復とはなにか』(2016年、白水社、文庫クセジュ)を、たまたま本屋で見つけて、読みました。

レジリエンスという言葉を、私は最近聞くようになりました。災害復旧や国土強靱化の文脈で、災害に強い施設や仕組みと理解していたのです。
ウィキペディアなどによると、心理学で使われる用語なのですね。ストレスという言葉とともに、元は物理学の用語です。それを、心理学が借用しました。
ストレスは「外力による歪み」で、レジリエンスはそれに対して「外力による歪みを跳ね返す力」とのことです。看護学でも、詳しく解説されています。

人がストレスやトラウマ(精神的外傷)を受けた際に、それを乗り越えていく力です。この本によると、レジリエンスの概念には、3つ+1つの波があったそうです。
一つ目は、トラウマを乗り越えていく能力を、個人の「素質」に求めました。しかし、この考えでは人間が二分化され、生まれ持って克服できる人とできない人に別れてしまいます。
二番目には、「過程」と理解しました。トラウマを受ける状況の中で、行動を起こす、あるいは援助することで、その状況を乗り越えていく過程です。ところが、この考えでは、あらかじめ道筋が決まっていて、誰もがその段階を経てレジリエンスを身につけます。うまく行かない人は、その路線からの失敗者になります。
三番目には、「力」と考えます。誰もがこの力を多少とも持っていて、生まれ持った力もあれば、環境によって身につける力もあります。そして、ストレスは常に有害とは言えず、うまく付き合えばレジリエンスを強くすることができます。援助することも有用です。
さらに第四番目には、個人だけでなく、集団(社会、経済、政治)にも適用されるようになりました。「レジリエント(強靱)な都市」「レジリエント(打たれ強い)会社」というようにです。

「抵抗力」や「回復力」という訳が当てられていますが、「克服」という日本語がわかりやすいと思います。ストレスに対する抵抗力です。
私はこの分野は門外漢なのと、翻訳という制約があって、読みやすい本ではありませんでした。わかりにくいところは、サッサと飛ばして読みました。それでも、得るところは多かったです。日本語で簡単な入門書があれば良いのですが。あるのかもしれません、私が知らないだけで。
もっと早く、このような学説を知っておくべきでした。私個人の人生についても、職員たちの悩みを聞く際にもです。この項続く

パワハラ、しごき。その2

11月22日の朝日新聞オピニオン欄「人を導く力とは」の続きです。

松崎一葉さん(精神科産業医)
・・・企業の研修で、講師が一般的なパワハラ話をしても、管理職は「きれいごとに従っていたら契約は取れない」「今の若者は9時~5時で働くだけでは育たない」と話半分にしか聞いていません。彼らには、利益を上げるためには自分の指導方法は多少きつくても「善」であるという信念があるからです。
彼らが部下を指導する内容自体は無理難題ではなく、事実、若手が頑張ってもとれない契約が、課長がいくとまとまったりする。「こうしたらいい」という彼らの指導内容はおおむね正しいのです・・・

・・・しかも彼らは自分の出世目的というより、「国民にいい車を届けよう」とか「お客さんが満足するサービスを考えよう」と、本心から思っています。その目標がしっかり共有されているとき、私は上司と部下との間に「共感的関係」が成立していると言います。部下は「この人が言うのなら」と我慢して、自分から過重労働に耐えようとするのです。働き方改革が叫ばれても、こうした関係が会社の中に内在する限り、うつ病や過労死の危険がなくなることはないと思います。
昨今のレスリングや体操など競技団体でのパワハラ騒動も、同じように「金メダル」という崇高な目標を共有していた「上司と部下」の信頼関係がくずれた結果、とみることができるでしょう。
上司は結局、自分の成功体験を部下に押しつけ、自分のコピーをつくろうとしている。中にはうまくいき「育てられた」と思う部下も出ます。その部下は次の世代に同じ厳しい指導を課します。我慢して成し遂げた経験が無意味とは言いませんが、会社は次第に劣化するかもしれません。経済成長の鈍化でイノベーションが必要とされている現在、画期的な商品や新たなビジネスモデルは、商品を改良し量産すれば消費が伸び、売り上げが出た高度経済成長やバブル時代の「できる社員」からは生まれないからです・・・

パワハラ、しごき

11月22日の朝日新聞オピニオン欄「人を導く力とは」から。

筒香嘉智さん(プロ野球横浜ベイスターズ選手)
・・・今年の夏、少年野球で暴力を振るう指導者の動画を見ました。あり得ません。罰はまったくいらない。他のスポーツや会社でも、怒鳴る、殴るという指導があると聞きますが、そのような指導者は、相手に聞いてもらえる言葉を選べていないわけで、言うだけで足りないから殴ったり怒鳴ったりしてしまうんですよね。
指導する際は、じっくり見守り、迷いがあるときなどに手を差し伸べる、というのが理想的です。答えをすぐに教えたくなる気持ちもわかりますが、それは子どものためにならない・・・
・・・コーチングというのは、本来は導くという意味です。しかし、日本ではティーチングをしていることが多い。怒鳴りつけるコーチは米国でもドミニカでも見ませんでした。会社でも、部下が仕事でミスをしたというだけで怒り、自己満足しているのは厳しさじゃないと思います。愛がないように感じます。共にする時間が長い上司として、部下が日ごろどう考え、どんな努力をしてきたのかをすべてわかった上での言葉ならいいと思いますね・・・

川人博さん(弁護士)
・・・元ラグビー日本代表の故・平尾誠二さんと、ノーベル賞を受賞した山中伸弥さんの物語を書いた「友情」という本に、「人を叱る時の四つの心得」が記されています。(1)プレーは叱っても人格は責めない(2)あとで必ずフォローする(3)他人と比較しない(4)長時間叱らない、とありました。
私が担当する東京大学のゼミで、(お好み焼き店チェーンの)千房の創業者である中井政嗣さんに話をしてもらったことがあります。元受刑者を積極的に採用し、上司が部下に接する際に大事なのは、「ねぎらい」と「励まし」だと指摘されていました。これこそリーダーシップだと思います。
この逆がパワハラで、相手のためではなく自分のストレス発散のために叱っています。誰でも加害者になる可能性があります。個人的資質も関係ありますが、環境や置かれた条件にも左右されます。社長から無理難題を課せられた部長や課長が、その部下に八つ当たりをするようになります。
長時間労働で肉体的にも精神的にも疲れると、他者への配慮を欠くことにつながります。抑圧は下へ下へと移っていき、最終的に家庭内での虐待などにもつながっていると私は考えています・・・
この項続く。

パワハラ

NHKウエッブニュース欄に「人が人を傷つける悲しい会社」が載っていました。パワハラの実態です。

調査会社の調査結果によると、パワハラを受けたことがある従業員は、平成24年には25%で、28年には33%に上っています。3人に1人がそう感じています。他方で、パワハラをしたことがある・パワハラをしたと指摘されたことがある人も12%います。
この差は、加害者は「自分はやっていない」「教育的指導だ」と思っている人が多いことが理由でしょう。
しかし、8人に1人は「自分もやっている」と認識しているのです。わかっているなら、やめてほしいですね。

・・・また、そうした企業では、仕事ができる人がパワハラの加害者になっているケースが多い、というのも金子さんの見方です。
「自分ができるために求めるハードルが上がり、部下ができないことを認められません。上層部も仕事ができるために止めることができない。そこでエスカレートしていく。悪循環ですね」・・・

・・・社会心理学が専門で集団における人間関係に詳しい立正大学の西田公昭教授です。パワハラをするのは、自身のこれまでの経験がベースにあるのではないかとみています。
「自身が成長する中で家庭や学校で実際に人が人に高圧的に接する場面を見てきた、暴力的な指導を受けてきた。それを受け継いでパワハラを当たり前と思ってしまっているのではないか。パワハラという概念はなく、例えば教育やしつけだと考えている場合もあると思います」(西田さん)
「そのうえで家庭や上司との間でストレスがあったり、相手が無礼な態度をとったと感じたりすることが引き金になり、ハラスメントにつながってしまうのではないでしょうか」
西田教授は「個人的な資質はなかなか変わらないこともあります。研修をしたり、当事者以外の第三者の目を入れて、“それ以上はだめ”とパワハラに気付かせたりする態勢づくりが必要です」などと話し、組織として対策を進める必要を強調していました・・・

働き方改革の意味

11月19日の日経新聞は、働き方改革を特集していました。数ページにわたる特集なので、本紙を読んでいただくとして。中村直文・編集委員の「「働くとは」考える集団へ 会社は個人の力発揮の場に」の一部を紹介します。

・・・働き方改革関連法が成立した2018年は日本経済にとって歴史的な節目の年として位置づけられるだろう。日本企業は方向性が決まると速い。時間短縮、テレワークの普及など数年内に一段と進みそうだ。もっとも働き方改革は形の問題ではない。会社は個人の能力を効率よく、最大限に発揮させる「場」に脱皮できるのか。質的転換のスタートにすぎない・・・

・・・なぜ政府が腰を上げるまで企業の働き方改革が進まなかったのか。原因の一つが高度成長型の製造業モデルが染みついていたからだ。人口が増え、作れば売れる時代、時間をかければ生産性は上昇し、成長を実現できた。
そして同じ場所で目標を一つに働く“チームワーク信仰”も大きい。同じ空間でないと、生産性が上昇しない工場経営の発想だ。経済のサービス化・ソフト化が進んでも、緊密なコミュニケーションの方が競争力がアップするとの見方から「同一空間・同一労働」を重視してきた。

もちろん五輪のリレーチームのように、まとまりこそが日本の競争力という考え方に理もある。だが女性の社会進出、経済のグローバル化に伴い、従来型の“チーム一丸型経営”は通用しなくなっている。ダイバーシティーが求められる今、「日本人はむしろチームワークが苦手」との指摘もある。
同じ空間と同じ発想に依存するのではなく、仕事の成果と報酬がリンクする自律性を持った社員が増えないと働き方改革は頓挫してしまう。アフラックではテレワークによる本社業務の地方展開を進めている。「働く場所にとらわれることなく、キャリアの選択肢を広げる」のが狙いだ。

コミュニケーションは大切だが、会社に行くことが目的ではない。「仕事とは何か」を再定義し、習慣を変える必要がある。顧客の抱える問題を解決し、その見返りとしての利益を得ることが最終目的だ。
例えば清涼飲料の場合、新商品は増えているが、ヒット商品はない。「顧客のため」と掲げ、新商品を乱発しても無駄に終わる。家電、ファッションなど例外ではない。社員の均質的な思考パターンが一因で、横並びの体質が抜けきれない。働き方改革とはゴールにたどり着くためのプロセス刷新、アイデアを多く生む土壌作りなど、新たな場作りに他ならない・・・