「上司はおおらかになる」の続きです。
私は若い頃は、部下職員にとても厳しかったようです。本人は、「私は優しい」と思っていました。ある職員が、キョーコさんに「全勝課長は厳しいんです」と直訴するのを見て、現実に気づきました。
心を入れ替えたのは、大臣秘書官になって、大臣の立ち居振る舞いを見てからです。この経緯は、『明るい公務員講座』にも書きました。また、諸先輩たちの立ち居振る舞いも、参考になりました。よいお手本以上に、「反面教師」が役に立ちました。「あのように振る舞ってはいけないんだ」とです。
といって、仕事に手を抜くことは、よくないです。仕事に厳しいことと、部下厳しく当たることは別のことです。それに気がつきました。
県の総務部長になって、なるべくおおらかに振る舞うようにしました。
国に帰り、省庁改革本部に勤務しました。ここは各省から職員が集まり、各省を削って新しい府省をつくるという任務もあり、なかなかの「修羅場」でした。
つとめて、にこにこして部下の話を聞くようにしました。ある省からきていた職員が、私のことを「仏のゼンショウさん」と呼んでくれたのです。これでますます、おおらかに振る舞うようになりました。
東日本大震災の被災者支援本部や復興庁では、厳しく振る舞う暇もありませんでした。こんな経験談もありました。大震災から1年後のことです。「今日は桜が満開、トラブルも満開」
もっとも、キョーコさんからは、未だに「××がだめ」と教育的指導を受けています。自分のことは、なかなか客観的には見ることができないものです。助言をくれる上司や部下、連れ合いはありがたい存在です。
(追記)
これを読んだ当時の同僚が、次のような指摘をくれました。
「全勝さんが優しかったのではなく、ほかの人が厳しかったので、相対的に仏に見えたのでしょう」
(追記2)
4月14日の肝冷斎のホームページに、次のような記述がありました。富山時代に、中国旅行で秦始皇帝陵に行き、まだ珍しかった兵馬俑の模型をいくつか買ってきたのです。片膝を地に着けた兵士像か、直立して武器を持っている兵士像だったと思います。職員が武器を手作りして、添えてくれました。瓦のような焼き物ですから、落とせば割れたのでしょう。
・・・筆者も若いころに仕えた上司が職場に持ってきていたそこそこでかい兵馬俑の模型みたいなやつを、誰かが壊してしまった(直接手を下したのは肝冷斎ではなかったと思います。ほんとです)ときに、その上司に
―――形あるものは壊れるものですぞ。
と教えてさしあげたことがあります。
上司は、「仕方がないなあ」とにこにこしておられました。いま思うとホトケさまのような方でございました・・・