明けましておめでとうございます。皆さん、よいお年をお迎えのことと存じます。
東京はよい天気、穏やかな朝でした。日本海側は荒天のようです。ひどくならないことを願っています。年末年始も働いておられる医療、消防や警察、交通や流通関係者などに感謝しなければなりません。
我が家は、娘夫婦と孫2人、息子夫婦がそろっての、賑やかな正月です。ありがたいことです。
68歳になりました。今年が、よい年でありますように。
恒例の、知人が送ってくれた今朝の富士山です。上は横浜市から、下は富士宮市浅間神社から。
日記
明けましておめでとうございます。皆さん、よいお年をお迎えのことと存じます。
東京はよい天気、穏やかな朝でした。日本海側は荒天のようです。ひどくならないことを願っています。年末年始も働いておられる医療、消防や警察、交通や流通関係者などに感謝しなければなりません。
我が家は、娘夫婦と孫2人、息子夫婦がそろっての、賑やかな正月です。ありがたいことです。
68歳になりました。今年が、よい年でありますように。
恒例の、知人が送ってくれた今朝の富士山です。上は横浜市から、下は富士宮市浅間神社から。
早いもので、今日は12月31日。令和4年も終わりです。
皆さんにとって、今年はどのような年だったでしょうか。うれしいこと悲しいこと、さまざまなことがあったでしょう。
毎年のことですが、あっという間に1年が経ってしまいます。
毎日の時間は、流れるように過ぎていきます。先日書いたように、年末はそれを振り返り、「節目」をつけるよい機会です。時間は、何もしなくても過ぎていきます。そこで活動し、またそれに意味をつけるのは、各人の意識次第です。そんな大げさなことではなくても、この1年が無事すぎたことを感謝し、あるいはつらかったことを置き去りにして、明日から新しい時間を作っていきましょう。
今年も、このホームページをご覧いただき、ありがとうございました。私的な日記なので、受けを狙った記事を書くわけではありませんが、たくさんの人に見てもらうと、うれしいです。
今年の回顧の3は、生活です。
今年も、新型コロナに振り回された1年でした。みなさんは大丈夫でしたか。夏の第7波と最近の第8波の拡大で、日本人の6人に1人は罹患しています。私と家族は罹患しなかったのですが、知人には苦しい目に遭った人もいました。
ワクチンは、5回打ちました。知らない人と出会う場所でも、マスクをして適度な距離を取っていたら、おおむね防げるようです。また、オミクロン株は、症状が比較的軽いようです。
息子が結婚しました。これで、父親としては一安心です。娘には、2人目の孫ができました。近くに住んでいるので、キョーコさんがしばしば応援に行っています。私は休日に、上の孫娘の相手と、この二人目をだっこするくらいしか役に立ちません。
この7月に、結婚40年を迎えました。よく続いたものです。仕事でも家庭でも、私のわがままにつきあってくれたキョーコさんのおかげです。世間知らずの未熟者がここまで仕事ができたのも、キョーコさんの指導のたまものです。有無を言わさない厳しい指導で、従うしかなかったのです。
今年は海外旅行はできませんでしたが、キョーコさんのお供をして、国内旅行や美術館などに行きました。
体力と気力は、若いときのようには、いきません。年相応の健康です。お酒の量を控えめにして、階段で躓いたり走って転ばないように、それなりに気をつけています。健康で過ごせることが、一番の幸せですね。
年末になったので、今年も1年の回顧を始めましょう。第1回は、仕事についてです。
市町村アカデミー学長は、1年余りが経ちました。
コロナの影響で、集合対面授業ができない時期がありました。感染拡大が下火になってから、制限をつけて再開しました。
研修所内でのコロナ蔓延はなかったのですが、春に熱を出した研修生がでて、検査結果が出るまでその対応が大変でした。結果として陰性だったのですが、発熱外来が予約でいっぱいで結果が出るまで1日半かかったのです。その間、宿泊室に隔離して、食事を運んだりと。
集合研修を再開してからは、大勢の自治体職員に、研修に来てもらっています。
この研修所の基本の形は、これまでの35年間に先輩たちが築き上げ、また進化させてきました。なかなかよくできています。その蓄積の上に、研修の主題を変えたり、内容を変更しています。1週間から2週間程度の研修が多いので、内容の変更や講師の交代も柔軟にできます。
仕事ではありませんが、異業種交流会には、今年も困りました。コロナのせいで、お互いに自粛することが多くなりました。重要な情報源なのですが。
年末恒例の行事である年賀状書き。すべて書き終えて、今朝、最後の分を投函しました。郵便屋さん、よろしくお願いします。これなら、元旦に届くでしょう。
今年も、ある程度の枚数で、勘弁してもらいます。毎年たくさんいただいていながら、すべての方に返事を書かず、申し訳ありません。かつて千枚以上書いていた頃は、これが苦行だったのです。枚数を減らしてからは、修行に変わりはありませんが、さほどの苦労ではなくなりました。
宛名書きの際に、送る方の顔を思い出しながら書くのですが、なぜか連想で、その人の周囲にいた人で年賀状を出さなくなった人を思い出します。亡くなった方や、縁遠くなって年賀状の交換をやめた人です。
若い頃に一緒に仕事をした人は、ほとんどの人が私より年上だったので、亡くなった方も多いです。お世話になったことや、一緒に仕事をしたこと、遊んだことなどを思い出します。年賀状書きは、そのような回想の時間でした。